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たった23日間の夢。かつて宇宙に憧れた少年は、苦難を乗り越え人類の宇宙望遠鏡を修理した

ARTS & SCIENCE
ライターabcxyz
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マイケル・J・マシミーノ(Michael J. Massimino)という宇宙飛行士をご存じだろうか。その名前を聞いたことのない人も多いだろうが、彼はハッブル望遠鏡を宇宙で修理した人物だ。宇宙飛行士試験を何度も落とされてもあきらめずに宇宙飛行士になった彼の人生を、少し覗いてみよう。

スヌーピーのぬいぐるみと庭で宇宙飛行士ごっこ。アポロ11号が月面着陸した直後で、私は6歳。宇宙飛行士になることを夢見ていた。

マイケル・マシミーノは最近自伝『Spaceman: An Astronaut's Unlikely Journey to Unlock the Secrets of the Universe』を出版している。それを紹介するPopular Scienceによれば、マシミーノが宇宙に行く夢を抱いたのは1969年。彼が6歳のときに、バズ・オルドリンとニール・アームストロングが月に降り立ったのを見たことがきっかけだった。庭に出て月を見上げ「あそこを人が歩いてるんだ」と考えたマシミーノ。しかし彼が宇宙に行く決意を抱いたのは1986年、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故を目にしたときだった。「人生は一度きり、何か意義のあることに生きないと」と考えた彼は、NASAに応募した。

1989年、26歳のときに初めてNASAに志願したマシミーノは、NASAの求める人材そのものだった。ただひとつ、視力の悪さを別にすれば。そのせいで不合格となったマシミーノは1991年に再度応募するも、またも同じ理由で落とされてしまう。しかしこの2度目に応募した際にはNASAの航空医官に視力改善のためにオルソケラトロジーを受けるよう勧められる。しかし、これによる視力改善は数日間しか続かず、また目を傷つける原因ともなってしまった。それでもあきらめなかった彼はついには良い眼科医を見つけ、目の傷を直すと共に目の筋肉をほぐすことにより視力を改善することができた。

長い年月を費やし、どれだけ訓練を受けたとしても、常に隣り合わせになっているのが死の危険だ

視力の問題を克服することができたマシミーノはついに1996年にNASAの宇宙飛行士養成部門、NASA Astronaut Corps(NASAの宇宙飛行士グループ)に入ることができたのだった。ここまでの道のりは長かったが、Astronaut Corpsに入れたからと言って宇宙への扉を開いたとは言い難い。そこから始まるのは何年も続く訓練だ。ジョンソン宇宙センターの巨大プール、Neutral Buoyancy Laboratory(中性浮力研究所)での宇宙歩行訓練、ジェット戦闘機の操縦などは想像にたやすいかもしれないが、それと同じくらい重要なのは終わることのない工学と数学の授業。そして長い年月を費やし、どれだけ訓練を受けたとしても、常に隣り合わせになっているのが死の危険だ。

マシミーノが最初に宇宙に行くことになるのはそれから6年経った2002年。スペースシャトル・コロンビア号によるハッブル宇宙望遠鏡補修のミッションSTS-109だった。

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幸いにもマシミーノのミッションでは大きな問題は起きなかった。しかしこのとき彼の乗ったコロンビア号は、翌年2003年のミッションSTS-107を終え地球に帰還中に7人の乗組員と共に空中分解した。

この朝が全部悪夢で、はやくそこから目を覚ましたい、という気持ちだった。私たちはあの日7人の家族を失ったんだ。

共に訓練してきた家族を7人一度に亡くすという痛ましい経験を乗り越え、2009年にマシミーノは再び宇宙へ旅発つ。スペースシャトル・アトランティス号によるミッションSTS-125、これもまたハッブル宇宙望遠鏡を補修するミッションである。しかしここで思いもかけないことが起きた。マシミーノはSTIS(Space Telescope Imaging Spectrograph / 宇宙望遠鏡画像分光器)を修理するためにまずそれを覆うカバープレートをはずさなければならなかった。100以上のネジを外す過程で、ネジが宇宙に漂っていかないよう、この作業には「ファスナー・キャプチャー・プレート」という部品を用いる必要があったのだが、ハンドレールが邪魔をしてファスナー・キャプチャー・プレートが使えない状態であった。マシミーノ曰く「ハッブルの部品はシャトルの発射も宇宙の過酷な状況にも耐えれるようにデザインされている」、そしてこの分光器は「修理されることは想定外」の設計だったのだ。Spaceflight Nowによれば、ハンドレールには4つのボルトがついており、3つは無事に取り外せたものの、4つ目は硬く、パワーツールの力でボルトの角がつぶれてしまったのだ。

97分で地球を周回する宇宙望遠鏡で、時速約28,163kmのすさまじい速さで昼と夜が移り行くのを感じながら作業を行なう

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マシミーノはこのミッションの障害となるハンドレールを力ずくで取り外すこととなる。ハッブルを補修するこの時のために、長い年月をかけ、たくさんの計画、準備をしていながら、力任せにハンドレールを引きはがすことになるとは地球のミッションコントロールも、マシミーノも思っていなかっただろう。ミッションコントロールは念のためゴダード宇宙飛行センターの飛行装備ユニットで同じ状況を造り、試した。そして直線方向に60ポンドの力を加えることでハンドレールを外すことを成功させたことをマシミーノに伝えた。

だが地上班がいくら似た状況で成功させたとはいえ、マシミーノが置かれた状況は全く違うものだった。97分で地球を周回する宇宙望遠鏡で、時速約28,163kmのすさまじい速さで昼と夜が移り行くのを感じながら作業を行なうのだ。船外活動はマイケル・T・グッド宇宙飛行士と共に行なっていたし、アトランティス号にはそれ以外の乗組員もいるが、なにか間違いが起きても地球は遠い。そんな映画のような状況で、マシミーノは無事ハンドレールを引きはがした。

予定されていた船外活動は6時間程度だったが、最終的に8時間近くかけて修理は完了した。

挫折を乗り越え、何年もかけて宇宙に行くべく訓練した彼だが、実際にそのキャリアの中で宇宙に滞在したのはわずか23日間

マシミーノは2014年に引退し、この2度目のハッブル修理が彼にとって最後の宇宙でのミッションとなった(偶然にもこれはハッブル宇宙望遠鏡にとっても最後の修理ミッションであった)。

挫折を乗り越え、何年もかけて宇宙に行くべく訓練した彼だが、実際にそのキャリアの中で宇宙に滞在したのはわずか23日間だ。しかしハッブル宇宙望遠鏡が今もこうして遥か遠くの銀河を私たちに見せてくれるのは、宇宙飛行士になる夢をあきらめず、一度きりの人生を、意味のあることに費やそうとしたマシミーノのおかげである。

「副操縦士」のスヌーピー人形と共に宇宙を夢見た6歳の少年は、人類に星々の彼方を映し出す宇宙望遠鏡の修理人となったのだ。

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