聖人伝ではない、真実のロック伝記映画『イングランド・イズ・マイン - モリッシー、はじまりの物語』
ARTS & SCIENCE解散後もなお世界中の音楽ファンを魅了し続ける伝説のロックバンド、ザ・スミス。そのフロントマンであり、独自の個性と詩世界を繰り広げる孤高のアーティスト、モリッシーの若かりし日々を描いた映画『イングランド・イズ・マイン - モリッシー、はじまりの物語』が日本公開された。
スクリーンに登場するのは、まだモリッシーになる前のこじれたティーンエイジャー、スティーヴン・モリッシー(ジャック・ロウデン)。モリッシーと同じくイギリス・マンチェスター出身のマーク・ギル監督は、自意識過剰ながらも不安だらけのスティーヴンが、苦悩しつつも未来への扉に手をかけるまでの時代に焦点を当てた。公開を前に来日を果たした監督に、ザ・スミスへの思いや映画の制作秘話をたっぷりと聞いた。

彼の歌う言葉のすべてが僕の人生を語っているような気がした
――劇中では70年代〜80年代のマンチェスターの若者の生態がリアルに描かれています。監督もマンチェスター出身だそうですが、マンチェスターはどのような街ですか?
マーク・ギル監督:僕はモリッシーと同じストリートで育ったんだ。だからこそ、ザ・スミスに夢中になったんだと思う。当時のマンチェスターは不景気で暗くて、サッカーでもできない限り、若者にとっては逃げ道がなかった。大学に進学する人も少なかったんだ。
――ザ・スミスについて知ったきっかけは?
ギル監督:当時はデュラン・デュランのような、巨大なヘアと肩パッドみたいなバンドが人気だった。ところがある日、エルヴィスのような髪型でメガネをかけて花を振り回している男をテレビで観たんだ。「なんだこれ!?」と思ったよ(笑)。そしたら親父が「ああ、そいつは通りの先に住んでいるアホだ」と言うじゃないか。「は!? ストレットフォード(モリッシーと監督の地元)にポップスターが住んでるって、どういうこと?」と思ったよ。どうしたらそんなことが可能なのか不思議だった。それからザ・スミスにハマって、彼らの音楽が大好きになったんだ。
――当時はすでにバンドをやっていたのですか?
ギル監督:その時点で、まだバンドはやっていなかった。僕は15歳のときにザ・スミスにインスパイアされて音楽を始めたんだ。アルバム『The Queen Is Dead』の頃で、その前は幼すぎて彼らの存在に気づいていなかった。ザ・スミスを知って、初めて音楽が自分に向かって語りかけてきたような気持ちになったよ。彼の歌うすべての言葉が、僕の人生を語っているような気がしたんだ。だからこそ、多くの人がザ・スミスの虜になったんじゃないかな。それにマンチェスターは、いまだにどこかマッチョな社会なんだ。そんななかで突然、自分と同じような人がテレビに出てきたわけで。僕自身のセクシュアリティーは明確だし、僕は女性が大好きだけどね。でも詩が好きでもいいし、自分がやりたいことがわからなくても大丈夫だと感じられた。それがモリッシーの歌詞の天才的なところで、彼は彼自身について書いていたわけだけど、そこにつづられているのは性別や人種を超越したオープンな言葉なんだ。
――とても私的なのに普遍的ですよね。
ギル監督:天才的だと思う。僕は彼にインスパイアされてバンドを組み、それによってマンチェスターを出ることができた。今はまたマンチェスターに住んでいるし、大好きな場所だけどね。人は誰もが土地によって形成されるものだと思うけど、僕は間違いなくマンチェスターに形成された。ただ、そこを出ることによって、広い世界を見ることができたのも確かだ。
――撮影のロケーションはどのように決めたのですか?
ギル監督:すべて自分が育ったモリッシーの地元でもあるストレットフォードで撮影した。撮影本部は街の市民会館に構えて、セックス・ピストルズのライブシーンもそこで撮ったし、職場のセットやアートギャラリーも作ったんだ。すべては実際にモリッシーが住んでいた場所から半マイル以内の場所だよ。劇中に登場するストリートや運河、スティーヴンとクリスティーンが夜に歩くシーンも、すべてストレットフォードで撮影したんだ。
この映画は僕の物語でもあり、君の物語でもある
――ザ・スミスのファンだったそうですが、自分の好きなアーティストについての映画を作るのは大きな決断だったのではないですか?
ギル監督:プロデューサーのボールドウィン(・リー)とは10年前から一緒に仕事をしているんだけど、彼と出会って半年くらいの頃、モリッシーの半生を描いたら良い映画になると思うと話していたんだ。その後、短編映画『ミスター・ヴォーマン』(2012)がオスカーにノミネートされて、モリッシーの映画を作る良いタイミングだと思った。それを長編一作目で手がけるなんて、みんなには狂っていると言われたよ。でも正直に言って、僕が作れる唯一の映画だと思ったんだ。これは自分が何者なのかを模索し、人生を生き抜こうとする若者の話だ。僕自身もかつては同じような若者だったわけだから、絶対にできるはずだと思った。
――長年温めていたイメージがあったのですか?
ギル監督:17歳の頃、ザ・スミスの曲を流しながら雨の中を運転していたときに、彼のつづった言葉を聴いて、フロントガラスが映画のスクリーンのように見えたことを覚えている。ミュージシャンとして音楽を作っていた頃も、僕はこの映画について考えていた。あとは、既存市場であることもわかっていたし、フィルムメーカーとしてもより注目されるのではないかと思った。でも短編映画でオスカーにノミネートされていなかったら実現しなかっただろうね。ある意味リスクではあったけど、こうして東京にも来られたし、言うことはないよ。
――劇中では今のモリッシーになる前の若きスティーヴンを描いていますが、何がモリッシーを特別な存在にしたのだと思いますか?
ギル監督:正直なところ、彼のお母さんのおかげだと思う。
――劇中のスティーヴンは強い女性たちに囲まれていますね。
ギル監督:気づいたらそうなっていたんだ。どうやってあのように女性を描くことができたのか、よく聞かれるんだけど、僕は彼女たちを人として描いただけだよ。女性を平等に扱えばいいだけなのに、男性は誰もが女性から生まれたという事実を忘れがちなんじゃないかな。僕だって女性がいなかったら何の役にも立たないよ。彼の母親はとても鋭い女性で、スティーヴンが幼い頃から彼の個性を見抜いていたのだと思う。彼が11歳の頃にはオスカー・ワイルド全集を与えたそうだ。とても難解な作品だけど、当時から息子が特別な存在だとわかっていたんだろう。息子を理解したうえで、自分のような人生を歩んでほしくなかったのかもしれない。だから無条件に彼をサポートしたんだろう。そのおかげで、僕らは素晴らしい曲の数々に出会えたんだ。
――なるほど。
ギル監督:もちろん、スティーヴンは苦悩していたし、決して楽な道のりではなかっただろうけど、恐らく母親のおかげであのような人になったのだと思う。デヴィッド・ボウイを観たことやパンクブームなども多少は人生に影響しているだろうけど、エリザベス(母親)が常に彼を信じていたことが大きいと思うよ。彼女は今もご健在だけど、彼女もお姉さんも、本作はお気に召さなかったようだ。でも、彼らにとっては(自分たちの物語が映画化されることは)すごく奇妙なことだろうから、よくわかるよ。逆に僕はモリッシーの家族には関与してほしくなくて、自分が思い描くまま、好きに作りたかった。みんなそれぞれ異なるヴィジョンがあるだろうしね。
――どこか自意識過剰でありながら不安だらけの10代のスティーヴンに、共感を覚える人は少なくなさそうです。
ギル監督:この映画はスティーヴンの物語であるのと同じくらい、僕の物語でもあり、君の物語でもあるんだと思う。それこそが僕が撮りたかった映画なんだ。スティーヴンのような体験は普遍的で、誰もが通過してきたことだ。ある意味、僕はだからこそバンドを組んだんだと思う。バンドをやっていれば、ステージでプレイしている一時間は自分が何者かを忘れることができたし、他のことを考えずに済んだから。
――スティーヴンには監督自身の十代の日々も投影されているのですか?
ギル監督:どんなアーティストでも、作品に自分のすべてを注ぎ込まなければならないんだ。自分が抱える希望や絶望をすべて作品に詰め込む必要がある。そうでなければめちゃくちゃになってしまうよ。もしくは九時五時の仕事をするしかない。僕の母親は僕が幼い頃に亡くなってしまったから、父親は工場で働いて5人の子どもを育ててくれた。父は僕のやっていることなどさっぱり理解できなかったようだけど、「もしやりたいのなら、ちゃんとやれよ」とだけ言ってくれた。励ましの言葉はそれだけ(笑)。でもちゃんとした仕事に就けと言われることはなかった。僕を説得しても意味がないと、早い段階で気づいたみたいだ。とにかく、作品には自分のすべてを注ぎ込む必要があるんだ。
まるでザ・スミスのレコードを聴いているような映画にしたかった
――日本では昨年『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットしたのですが、本作は対照的な作品ですね。
ギル監督:特に興行収入がね(笑)。『ボヘミアン・ラプソディ』はとてもエンターテイニングな作品だったけど、フレディについては何もわからなかっただろう? 実際にバンドが関与すると、ああなってしまうんだ。理想化されてしまって、伝記ではなく聖人伝になってしまう。僕が撮りたかったのは正直かつ真実に基づいた作品で、まるでザ・スミスのレコードを聴いているような映画にしたかった。若い人や観る人みんなにそのような感情を呼び起こしたかったんだ。僕も彼の苦悩を理解できるからね。
――監督自身がミュージシャンだということも、映画の信ぴょう性に影響しているのでは?
ギル監督:そうだね、自分が求めていた信ぴょう性を実現するうえで、それは大いに役立ったと思う。『ボヘミアン・ラプソディ』のライブシーンを観て、実際にはそんな風ではなかっただろうなと思った。でも本作のライブシーンはラフだしダーティーで、スタジオで歌を別録するのではなく、ジャック(・ロウデン/スティーヴン役)が現場で歌ったんだ。長回しで撮影したんだけど、確かあれは2テイク目だった。ジャックはめちゃくちゃ楽しんでいて、全部で7テイクくらい撮ったよ。「もっと上手くできるから、もう1回だけやらせて」とノリノリだったんだ(笑)。打ち上げではバンドを呼んで、僕がオープニングでザ・スミスの曲をプレイして、ジャックと一緒に「Give Him a Great Big Kiss」を披露した。最高だった。

――ジャックはモリッシーに似ているわけではないのに、映画が進むごとに態度や話し方なども含め、少しずつモリッシーになっていったので驚きました。
ギル監督:スティーヴンも最初はモリッシーではなかったからね。モリッシーはスティーヴンが生き延びるために装着した仮面だと思うんだ。だからジャックもそう見えたんじゃないかな。誰にでも自分を特定の姿に見せようとすることがある。僕は今でこそ年を重ねて何も気にしなくなったし、いつも自分のままでいられるけど、当時のスティーヴンはモリッシーという人格を演じていたんだと思う。映画の最後のショットはまさにそれを示しているんだ。そこにいるのはモリッシーだとわかるんだけど、手は届かないという感じで。それに、劇中に登場する友人のアンジーのご遺族が、彼女の日記や貴重な写真を提供してくれたんだけど、そこに写る15歳のモリッシーはまったくの別人なんだ。ジャックは「僕はまったくモリッシーに似ていない」と言っていたけど、「そんなことはどうでもいい、君は僕が長年の間に出会ったなかで最高の役者だ」と伝えたよ。
――モリッシー自身も、十代の頃は今の姿とは違ったのですね。
ギル監督:そうなんだよ。「君はモリッシーではなくてスティーヴンを演じるんだから、つべこべ言うな」と言ったんだ(笑)。
――ジャックにはどのように演出しましたか? 事前にリサーチするように伝えたのですか?
ギル監督:逆にこれは読むなとか、これは聴くなと伝えた。当時のスティーヴンが聴いていたような音楽は何でも聴いていいし、ザ・スミスの『The Smiths』と『Hatful of Hollow』と『Meat Is Murder』だけは聴くことを許可した。それ以降の作品では歌詞がモリッシーになってしまったけど、最初の3枚はスティーヴンが書いたアルバムだと思えるから。でも自叙伝やそれについて書かれた本を読むことは禁止とした。あとは初期のインタビュー動画のみ視聴を許可した。当時のモリッシーは23歳くらいで、非常にシャイで傷つきやすそうなんだ。ちょうど撮影時のジャックと同じくらいだね。それがスティーヴン役のベースになっている。

――ジャックのことは、どのように見つけたのですか?
ギル監督:キャスティングディレクターのシャヒーン・ベイグが見つけてくれた。スティーヴン役を探すにあたって、UKのさまざまエージェントに3つか4つのシーンを送ったんだ。「モリッシーの物真似はしないでください。歌わないでください」という注意書きを添えてね。数百人からひどい物真似映像が送られてきたよ。でもジャックは他の人とは全然違うテイクを送ってきた。ジャックはモリッシーの名前くらいしか知らなくて、彼なりに課題のシーンを演じたんだけど、それが面白かったんだ。

――ジャックは最初から歌が上手かったのですか?
ギル監督:そう思うよ。最終的に3〜4人まで絞って、ジャックにも実際に会ってみたら、部屋に入ってきたときの存在感が違ったし、知性が感じられた。部屋の中でいくらか歌ってもらって、そこで2人まで絞ってスクリーンテストをしたんだ。それは部屋にいたみんなにとって、背筋がゾクゾクするような体験だった。ジャックのスクリーンテストを見たときに初めて、ページに書かれたスティーヴンが立体化したんだ。一目惚れだったし、理想的な監督/俳優関係だった。それから僕らはクランクインまでに1年をかけて準備した。ジャックはマンチェスターにも来てくれて、僕が案内したり、常に電話で話したりしていた。彼は素晴らしい役者であり、人間性も素晴らしい人なんだ。今では僕は彼の兄貴的存在で、とても良い友人でもある。今後も新たな企画を一緒にやる予定だよ。

モリッシーがジョニーに惚れ込むわけだから、ラブシーンのようなものだよね
――監督自身はモリッシーやジョニー・マーの自伝を読んだのですか?
ギル監督:読まなかった。自伝が出版された段階で、すでに脚本を書き始めていたしね。理由のひとつは、法的に事前に読むことは不可能だったから。もうひとつは、自伝を読むことで自分の考え方が変わるのを恐れていたんだ。
――細かいところまで再現されていて驚きましたが、かなりリサーチをしたのですか?
ギル監督:リサーチもしたし、自分も同じエリアで育ったから再現しやすかった。あとは初期のインタビューも読んだし、リリックに人生や親やうつ病について書かれていたことも役立った。(スティーヴンと最初のバンドを組む)カルトのビリー・ダフィーや友人のアンジーの遺族が協力してくれたこともあり、情報はたくさんあったよ。


――劇中に登場する友人のアンジーは、モリッシーにとって大切な存在だったのですか?
ギル監督:そのようだよ。アンジーは率直な物言いでスティーヴンを応援していた。リンダーほどスティーヴンをインスパイアすることはできなかったかもしれないけどね。映画を制作するにあたって、ご遺族は非常に協力的で、アンジーの日記まで見せてくれた。スティーヴンのことをスティーヴォと呼んでいて、日記にも書かれていたよ。でも彼女は自分の死が近づいてくることに気づいていたから、日記を読むのはとても辛かった。しかも、彼女が亡くなる6週間前に、父親が亡くなっていたんだ。そして読んでいるうちに、急に日記が終わるんだ。最後は「今日は気分が悪い」と書いてあって、それで終わり。読んでいて本当に辛かった。ご遺族の寛大な対応には恐縮したよ。だから映画に出てもらったんだ。アンジーがビリーと電話で話しているシーンで、スティーヴンの後ろに座っている3人の女性たちは、実はアンジーの本当の姉妹なんだ。彼女たちはアンジー役を演じたキャサリン・ピアースに会って、涙を流していたよ。言葉も出なかった。特にアンジーと一番仲の良かったサンドラは、「アンジーが生き返ったみたい」と言っていた。この映画の撮影中には、そのような特別な瞬間がたくさんあった。
――モリッシーとジョニー・マーの出会いについては、それぞれの記憶が異なるそうですね。
ギル監督:だからこそ、僕は自分ならではの映画を作りたかったんだ。僕が知っていたのは、ジョニー・マーがモリッシーを訪ねてきたこと。そこにはもうひとり別の人物がいたらしいが、脚本には書かなかった。あとは、ジョニーがドアをノックしたこと、彼がかけたレコードが何だったかということ、そして翌日にモリッシーがジョニーの家に行ったこと。そこで彼らは「The Hand That Rocks the Cradle」 と「Reel Around the Fountain」を書いたんだ。まるで最初から大物になることを決めていたかのように。ザ・スミスに未発表音源は存在しないんだ。彼らが書いたものはすべて発表されている。最初から準備万端なバンドなんて信じられないよね。とにかく出会いに関して自分が知っている要素を組み込んで、どうやって描こうか考えていった。スティーヴンがジョニーに惚れ込むわけだから、ラブシーンのようなものだよね。それが真実に近いかどうかはわからないけど。
――ネタバレになるので詳しくは書けませんが、ラストシーンはとても感動しました。
ギル監督:実はあのシーンでギターを弾いているのは僕なんだ。僕はジョニー・マーの真似が得意でね。撮影中にエディターからあのシーンを観せられて、ジャックとふたりして泣いてしまったよ(笑)。理由のひとつは、自分が育った街を初めてスクリーン上で観たから。思い出しただけでも泣きそうなくらい信じられない気分だった。
――劇中ではザ・スミスの楽曲は一切使用されていませんね。
ギル監督:最後にザ・スミスの楽曲を入れるべきか検討したのだけど、その時点では彼らにも何が起こるのかわかっていなかったはずだから、それはおかしいと思ったんだ。モリッシーがジョニーに歌詞を渡して、それに対して、ジョニーが音楽的に答えたんだと思う。僕はただ、ザ・スミスを想起させるものを作りたかった。空気中にザ・スミスを嗅ぎとることができるような作品をね。あれは僕が何年も前に書いた楽曲で、いつか映画に使いたいと思っていた。ジョニー役のローリー・キナストンもギターを少しは弾けたんだけど、わかる人には違いがわかるからね。それでプロデューサーの2人から「お前がやれ」と言われて、僕が弾いて手元の映像だけを差し替えてもらった。それもあって、あのシーンをジャックと観たときは、すごく特別な気分だった。「そうだ、僕らは映画を作っているんだ」と再確認させてくれたというか。忘れがちなんだけど、あのシーンを観て思い出せたよ。

悲しい年寄りたちに未来を支配させずに、自分たちでつかみ取れと言いたい
――次回作は日本人写真家の深瀬昌久についての映画だそうですね。
ギル監督:ぜひ作りたいと思っている。深瀬昌久についてのフィクションを考えているんだ。女性への愛を原動力としたアーティストの姿を描きたい。愛や芸術や人間関係についての物語だから魅了されたんだ。それに僕は長年にわたって日本の写真が大好きで、深瀬を発見したのも運命だったんだと思う。2〜3歳の頃、父親と森を散策していて、空を見上げたらカラスが「カー、カー」と鳴いていた。父親から「どうしたの?」と聞かれて、僕はカラスが自分のことを呼んでいると思ったんだ。「マーク、マーク」とね。それから35年も経って、僕はカラス(深瀬氏の代表作は「鴉」)についての映画を制作するんだから奇妙だよ。人生においては、そのようなサインを見つけることが大切なんだと思う。自分の進むべき道へのヒントを見つけるんだ。とにかく、深瀬の物語についてはすでにかなりのリサーチをしていて、情熱を注いているところ。あとはジャックとも別の企画が進んでいるし、別の作品ももうすぐ脚本を仕上げてキャスティングする予定だ。
――本作を観て、日本の観客には何を感じ取ってほしいですか?
ギル監督:僕と同世代の人たちは劇中の時代を覚えているだろうけど、ぜひ若い人たちにも観てほしいと思って作ったんだ。彼らには、未来は君たちのものだということを感じてほしい。最近はサインするときに「東京は君のもの、イングランドは僕のもの(Tokyo is yours, England is mine)」と書いている。つまりは、未来は君のものだということ。悲しい年寄りたちに未来を支配させずに、自分たちでつかみ取れと言いたい。それこそが、僕が感じ取ってほしいことだ。
『イングランド・イズ・マイン - モリッシー、はじまりの物語』
公式サイト : eim-movie.jp
5月31日(金)、シネクイントほか全国ロードショー
配給 : パルコ
原題 : ENGLAND IS MINE
監督・脚本:マーク・ギル プロデューサー:オライアン・ウィリアムズ(『コントロール』)
出演:ジャック・ロウデン、ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ、ジョディ・カマー、シモーヌ・カービー
2017年イギリス映画/94分/カラー/シネスコ/PG-12
Image(Mark Gill): Kosumo Hashimoto
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