あなたは「北欧ミステリ」と聞いて何を思い浮かべるだろうか? 2009年にデンマーク版の映画『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』が公開され、2011年にはデヴィッド・フィンチャー監督による同作のハリウッド版リメイクが公開されたことをひとつの発端に、ここ10年、北欧ミステリの世界的なブームが起こっている。
このジャンルの特徴は、ヨーロッパにおける女性や移民の差別、あるいは児童虐待などといった「社会の暗部」を描いてきたこと。つまり北欧ミステリに触れることとは、移民問題を含む、ヨーロッパにおけるマージナルな人々への抑圧と、その問題に対する人々のリアルな感情の一端を知ることでもある。
そこで本記事では、映画/音楽ジャーナリストであり、北欧ミステリにも精通する萩原麻理に、近年の北欧ミステリの変遷とその背景にあるものを紐解いてもらった。
リード:小林祥晴
北欧ミステリ・ブームの起点、『刑事ヴァランダー』が炙り出したスウェーデンの移民問題
ケネス・ブラナーが主演するBBC版ドラマ、『刑事ヴァランダー』シーズン2(2010)はこんなふうに始まる。このドラマは90年代末に始まり、2000年代に世界規模で爆発した北欧ミステリの最初の波を起こした、スウェーデンの作家ヘニング・マンケルによる犯罪小説を原作としている。
田舎の古びた農家。無残に殺された老人が床に転がっている。同様に暴行されたその妻は、息を引き取る直前、ヴァランダーに「外国の……」とだけ言い残す。その老女の最後の一言が、地元に渦巻く移民排斥感情に火をつけるのではないか、と恐れたヴァランダーは公表を控える。だが警察内部のリークによって、マスコミは「容疑者は外国人」と宣言。そのため、元々の事件とは別のところで、スウェーデンの移民キャンプや、農場で働く外国人労働者をターゲットにした「魔女狩り」が始まる。
ヘニング・マンケルによる『刑事ヴァランダー』シリーズはまずドイツで大ヒットしたという。東欧やアフリカ、中東からの亡命者、難民、移民、また人身売買の目的地ともなったヨーロッパで、その内部から現状を告発した小説が反響を呼んだのだ。
ちなみにヘニング・マンケルはアフリカ各地で暮らし、左翼の活動家としても知られた人。彼の書く小説では、残虐な事件が起きると、主人公はその謎を解き、犯人を捕まえようとするだけでなく、事件が起きた背景に思いをめぐらせる。このシリーズの大きなテーマは、「いまスウェーデンで何が起きているのか」だった。
『刑事ヴァランダー』で描かれる、移民に対するヨーロッパの複雑な感情
「刑事ヴァランダー」シリーズはまずスウェーデンでテレビドラマ化され、次にスウェーデンとUKの製作会社による英語版が2008年からBBCで放映された。
クルト・ヴァランダーはスウェーデンの小さな町、イースタの刑事。腕利きだが頑固で、家庭に問題を抱えている。事件が起きると地道な捜査を始め、警察内のヒエラルキーやマスコミと闘い、事件が引き起こす人々の反応にも注意を払う。無精髭で人生に疲れた主人公が、猟奇的な事件の背景を深く掘り下げていくさまは、これ以降広がっていく北欧発の小説、ドラマ、映画、そしてそれに影響された世界的な作品において、一つの原型となった。
BBCドラマでケネス・ブラナーが演じるヴァランダーは、捜査に偏見が加わらないよう、「外国人」に反応した同僚が犯人の皮膚の色や人種をあれこれ憶測するのを押しとどめる。移民へのヘイトに火がつくのを恐れて公表を控えると、やはり同僚に「いまはコレクトネスを優先させてる場合じゃない」と反論される。そうやって建前を通す一方、私生活で娘にシリア移民の恋人を紹介されると、ヴァランダーは驚き、複雑な感情を抱く。「外国人」という言葉の持つ意味が、さまざまな局面で描かれるのだ。
北欧ミステリの一つの起点とも言われる、スウェーデンを揺るがした首相暗殺事件
その『刑事ヴァランダー』第一話、ヴァランダーがぼんやり見ているテレビの政治番組で「スウェーデンが世界に開かれた結果だ」と言及される事件がある。86年2月、オロフ・パルメ首相が在任中にストックホルムの路上で射殺された事件だ。
それは国を揺るがし、未解決のまま、いまに至るまで何十年も人々のオブセッションとなった。多くの憶測を呼んで「病」とまで呼ばれたこともある。それを北欧ミステリの起点と呼ぶ人もいる。
左派の首相は福祉国家スウェーデンを体現するような存在で、大胆な政策によって敵も多かったという。そんな人物が殺された事件は、KGBやクルド政党の関与が噂され、警察の捜査が行き詰まると、大勢のアマチュア探偵が謎解きをし、仮説を立て、陰謀説も唱えられた。最近の『ガーディアン』の記事ではその経緯と、新たな証拠による新局面が伝えられている。
この記事によると、ベストセラー小説『ミレニアム』シリーズの作者、スティーグ・ラーセンも、同事件における国際的な陰謀を探っていた。スティーグ・ラーセンはもともと雑誌を運営し、人種差別や極右勢力と闘っていたフリーランスのジャーナリスト。彼自身の姿は初のフィクションとなる小説に登場するキャラクター、ミカエル・ブルムクヴィストに反映されている。
女性に対する暴力やミソジニーをテーマとした『ドラゴン・タトゥーの女』
おそらく、スティーグ・ラーセンの『ミレニアム』シリーズで北欧ミステリというジャンルに初めて触れた人は多いだろう。
これまで書いてきたような背景を知っていたら、このシリーズに出てくる暴力描写や、それにも負けないほど過激に抵抗するヒロイン像にいくらか納得したかもしれない。けれど、何も知らずに『ドラゴン・タトゥーの女』(2009)のリスベット・サランデルを目にしたときは、その外見も行動も、すべてがエクストリームで独特で、まさに画期的だった。
外見はタトゥーやピアスが全身を覆うゴス少女。ハッキングと情報収集に優れ、長年虐待を受けた過去を持ち、法を犯すのを恐れない。スティーグ・ラーセンの死後、三部作として小説が2005年から刊行され、たちまちベストセラーになると、2009年にスウェーデンで映像化され、2011年にはデヴィッド・フィンチャー監督が『ドラゴン・タトゥーの女』をハリウッド・リメイクした。リスベットは前者ではノオミ・ラパスが、後者ではルーニー・マーラが演じ、それぞれの当たり役となっている。
このシリーズは、女性に対する暴力やミソジニーがテーマとなっている。第一部の原題は「女を憎む男たち」で、リスベットはいわば復讐の天使。自身が受けたシステマチックな虐待を標的にするだけでなく、ミカエルが関わる事件で、女たちが性暴力の犠牲となったことを暴いていく。北欧ミステリ人気を引き起こした作品群では、「女性」「移民」という21世紀ヨーロッパを揺るがす問題が、明確にテーマ設定されているのだ。
だからこそ、以降、この二つの描かれ方はミステリにおけるステレオタイプからはみ出していく。端的に言うと、弱者でも被害者でもなく、その立場を通過したうえで、もっと個性を発揮する存在だ。
デンマーク発のミステリ、『特捜部Q』は移民/女性差別の問題をどのように描いたのか?
デンマーク発のミステリ、『特捜部Q』シリーズでは主役の刑事、カールの相棒となったのがシリア移民のアサド。ユッシ・エーズラ・オールスンによる小説シリーズは現在7作目までが出版され、うち4作が映画化されている。
カールはここでもやはりくたびれたワーカホリックの男性で、家庭でも仕事でも失敗し、後悔を抱えている。未解決事件を見直す窓際部署を任されるものの、そこに志願するのはシリア系のアサドと、女性アシスタントのローセだけ。当初、カールは二人の能力を偏見とともに疑っているが、やがて三人には確かな信頼関係が築かれていく。
それぞれのストーリーで起きる事件は猟奇的で陰惨で、デンマーク社会の闇に踏み込んでいくが、このシリーズでは特捜部の三人のユーモラスなかけあいがコミック・リリーフとして効いている。アサドは一応、シリアから政治亡命してきたとされるが、過去に何やら重大な秘密がありそう。アサドがデンマーク語を正確に話せるようになっていく過程も、ストーリーに組み込まれている。自分には想像もつかないことを体験してきた相手を理解し、ともに働くことのシミュレーションにもなっているのだ。
映画の最新作は『特捜部Q カルテ番号64』(2018)。物語は実際にデンマークに存在した女性用の施設をもとに、カールらがその被害者となった女性を追う。と同時に、アサドは知り合いのムスリムの少女の様子がおかしいのに気づき、大きな陰謀を知る。
ここではある差別的な思想の対象が、社会の規範に反抗的な女性から、やがてデンマークにやってきた移民にスライドしていくさまが描かれている。どんなに突飛な話に思えても、それは実際の歴史と、そこで暮らす人の実感で裏打ちされているのだろう。
そう思って見渡すと、北欧ミステリで描かれてきた「社会の暗部」が、いまではフィクションではなく、実際の世界でも人々の差別感情として煽られ、政治利用され、ときには政治公約にまでなっているのに気づく。
北欧以外にも広がった、現代的なミステリ作品の波
一方、エンタテイメントとしては、このジャンルが北欧の外にも広がり、ヨーロッパでもアメリカでもその影響を受けた作品が数多く見られるようになった。特徴としては社会的エッジを持っていること、人々が受けている暴力を残酷なまま描いていること。
オリジナルのテレビドラマとして人気を博したのは、デンマーク発の『THE KILLING/キリング』(2007~)と、『THE BRIDGE/ブリッジ』(2011~)だ。この二作ではそれまでの男性刑事に代わり、事件を解く女性刑事が実に型破りで、アメリカやイギリスでリメイクされたときにはそこが物足りなかったほど。
それまで犯罪小説というジャンルがほぼなかったというアイスランドでは、アーナルデュル・インドリダソンが「エーレンデュル警部」シリーズを執筆し、『湿地』(2006)は映画化もされた。近年UKで高く評価されたのが、アイスランドのオリジナル・ドラマ『トラップ 凍える死体』(2015)。小さな港町で切断死体が見つかり、過去に起きた事件やヨーロッパの人身売買網とつながっていく。ここには背景に、国家破綻寸前までいった2008年のアイスランド金融危機がある。
犯罪ドラマとしては、UKのウェールズを舞台にした『ヒンターランド』(2013~)やアメリカの『TRUE DETECTIVE』(2014~)なども北欧ドラマからの影響が濃い。昨年BBCで最高視聴率を記録したミニシリーズ、『ボディガード』(2018)では、プロットのひねり、移民や女性のステレオタイプを逆手に取るポイントがまさに北欧ドラマを下敷きにしていた。
犯罪小説となると、枚挙にいとまがないほど。もちろん、数多くの作品のなかには、猟奇的な事件と陰鬱な雰囲気に、ちょっとした社会状況を添えることで「それっぽく見せる」ようなものもある。ただそうした各要素が絡むことなく、ただ残酷さがセンセーショナルに使われていると、ミステリとしてのバランスも悪いばかりか、薄っぺらさが際立ってしまう。
なぜ北欧ミステリが「社会の暗部」を描くようになったのか?
おそらく、北欧ミステリに社会的な要素が入ってきたのは、ジャーナリストや活動家のバックグラウンドを持つ人々が、ヨーロッパの移民クライシスやジェンダー意識の推移を観察し、人々の感情をその場で感じてきたことに始まっている。そして彼らは、社会のしわ寄せが弱者に押し付けられている以上、悲劇は連鎖的に起き、自分の身にも降りかかる――ということをフィクションで表現しようとした。マージナルな人々が抑圧され、沈黙させられると、それはその社会の病となる、と。
この20年間、ヨーロッパ社会の変化を内側から見つめてきた北欧ミステリ。これからもその周辺がどう変化し、何がテーマとなるのか、興味は尽きない。
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