これまで移民というイシューを「自分ごと」として捉えてこなかった日本人は、どうやって移民や移民問題と本当に向き合うことが出来るのだろうか? 多文化共生という言葉をむやみやたらと振りかざす前に、まず踏み出すべき一歩とはどんなことだろうか? そういった問題意識をベースに専門家の視点から討議してもらったのが本特集の座談会だったとすれば、あくまで一個人の視点から実際に見てきたことを交えながら、エッセイ調で綴ってもらったのがこの記事だ。
書き手は、2010年代半ばにロンドンのグライム・シーンに飛び込んで撮影した写真が評価され、現在は日本国内はもとより東アジアにもフィールドを広げているフォト・ジャーナリストのJun Yokoyama。日本人ジャーナリストとして世界各国をその目で見てきた彼に、ゆるふわギャングのアジア・ツアーに帯同したときの体験を踏まえながら、「移民とカルチャー」について思うところを綴ってもらった。
リード:小林祥晴
移民を「他人ごと」にしてきた日本が「88rising」を生み出せない理由
最近、みんな「移民」のことを話している。もちろん日本の人口が減って労働力が足りなくなっている現実もあるし、毎日のように日本に来ている、もしくはずっと前から住んでいる移民のことについて真剣に考えることに、遅すぎることはない。
もしくは、近年活躍目覚ましい「88rising」のような音楽のムーブメントを目の当たりにして、移民たちによるカルチャーの豊かさや力強さに驚き、熱狂のなかにあるからかもしれない。アジア系アメリカンの移民たちがUSのカルチャーを参照しながら自分たちもクールであれることを証明し、アジア系アメリカンに憧れる全世界のキッズたちを夢中にさせた。そのストーリーにはグッと来てしまう。そしてそのブームを見て、日本のメジャーレーベルさえもが、ようやく本腰を入れて「彼らのようなアジア進出、もしくはUS進出」を戦略のひとつにするようになったと聞く。ただ、88risingがやっていることと、日本の企業がやろうとしているアジア進出は、別の話にしかならないとも思う。なぜなら88risingにとって、アジア系の移民たちはターゲットマーケットであると同時に「移民としての自分たち」だったからだ。
自分も含めて、いつもわたしたち日本人は不思議なくらい移民のことを「自分のこと」として話していないような気がする。「移民を受け入れる/受け入れない」とか「◯◯系移民のカルチャーが熱い」とか。もちろん過去、日本人がアメリカやブラジルへ“移民”してきたこともあるし、アジア各国に“移民”してきた歴史もある。けどだいたい移民と言うとき、そのステータスにある人たちは自分たちではなく、何らかの理由でどこからか来たほかの誰かだ。わたしたちはこれまで自分が“移民”すること自体を考えなかったか、もしくはせざるを得なくなるような経済的、政治的な力を受けてこなかったか、それとも「これから“移民”するかもしれないわたしたち」ということを、今でも想像できずにいるだけだからなのか。
移民というカテゴリーを、永遠に「他の誰か=他者」として扱いながら移民カルチャーを語ったり、多文化共生を目指すのは非常に危険だ。「ホスト/移民」が固定化した関係性のなかで「ホストが移民をどうやって受け入れるか」という議論は、ホスト側の基準で「良い移民/悪い移民」をどう選別するかという話と表裏一体だからだ。日本人が移民をどう「受け入れるか」という話だけでなく、日本人が「どうアジアに進出しようか」という話も、もはやマルチカルチュラルでもなんでもない気がする。日本が単純にアジアをマーケットとして据えたところで、悲しいけど当たり前の話、それをありがたがってくれるような世界はもうないし、アジアをマーケットとして認識したところでオープンになれるということとイコールではないから。
もちろん逆に、無条件に“移民”することを勧めたり、移民を称揚することもできない。たとえ経済的エリートであったとしても、移民として生きることはタフなことだと想像するからだ。「国境をすべて開いて、移民も移民じゃない人も、この世の中には存在しない!」という理想主義に賛同してくれる人も当然少ないだろう。
わたしたちはどのようにして「移民問題」と向き合うことが出来るのか?
ではわたしたちが自分ごととして移民というカテゴリーを考えたことがないなら、どうやって移民という状態、現象、存在を理解し、共に生きる方法を学んでいけばいいのだろう。リベラル風、もしくはポリティカル・コレクトネス的に、倫理観から移民を理解したつもりになること、もしくは移民に憑依したつもりになって発言するのは違うだろう。自分が移民について分かるわけもないし、そもそも移民同士さえも「移民だから」というだけでお互いに理解し合えるわけでもない。安易な他者理解にこそ、誤ちが潜んでいるということは言うまでもない。
急に移民になるわけでもないし、簡単にその立場に立てないのは当然として、移民というステータスにある自分を想像したり、もしくは共感したりすることはできるのだろうか。理解不可能な存在としての他者とどう向き合うか、付き合うかという難しい問いを突きつけられたとき、すぐに諦めてしまうこともないと、わたしは信じる。ありきたりかもしれないが、自分の生活圏外に出入りして、見知らぬ人たちと共に時間を過ごし、共に働き、共に食べ、共に喜び、学んだりする経験を重ねて、実感や感覚、感情から、その先をひとつひとつ想像していくことが、唯一の誠実な態度であると願っている。
それは、わたしたちは「理解」しあえなくても、それぞれ全く別の場所、別の時間で、別の出来事を経験したときの個人的な皮膚感覚を「参照の共通項」としながら、お互いが「なんとなく」理解しあうことができるからだ。移民であるという状況を「異和や差異のなかで生き延びること」と仮定するなら、異和や差異のなかに飛び込んで生活し、協働した経験やそのときに生まれた感情や皮膚感覚は、決してイコールではないものの、「“移民”の相似の経験」として、刹那的だとしても相互理解の可能性の掛け金になりえる。分かりあえるかもしれないし、分かりあえないかもしれない、くらいに留めておきながらその可能性に期待することはできるかもしれない。これは祈りにも近い。
日本国内にいながらも、移民の人が営むスーパーマーケットやレストラン、また、外部の人にもオープンにしているモスクのような宗教施設を訪れたり、移民コミュニティの街を散歩したりするだけで、普段とは違う感覚を知覚し、内側から感情が生まれるかもしれない。当然、いつも行くカフェやレストランよりは居心地は悪いだろう。今まで眠っていた神経がビンビンになるはずだ。もちろん映画を見たり、小説を読んだり、もしくは空港に行くだけでも、注意深く周りを観察すればその感覚を知覚できるかもしれない。当然国外に行けば、更にその感覚は強く襲ってくることもあるだろう。一概にその経験の強度を予測することはできないが、ツアーではなくひとりで旅行する、いわゆる観光地でないところに行ってみる、バックパッカーたちから離れて行動してみる、ローカルなレストランを訪れてみるなどすると、それをより強く感じることができるかもしれない。
日本人アーティストの海外公演に見る「普段とは違う感覚」との付き合い方
これまでわたしも、バックパッカーとして、留学生として、またはフォトグラファーとして海外を訪れてきたが、自身の経験よりも圧倒的にマッシヴな経験に見えたものがある。それはツアーマネージャーやフォトグラファーとして同行させてもらったミュージシャンたちの生の経験だ。わたしは仕事のときは、いわば「小馴れた水先案内人」として、もしくは彼らの活動を記録するという少し引いたところから観察する立場であるので、わたし自身に起こる「普段とは違う感覚」をいなしながら冷静に対処することを求められている。その一方でミュージシャンたちは現地のプロモーターやスタッフと協働し、ほぼ前提条件を共有しないオーディエンスと直接対峙することを余儀なくされる。音楽やパフォーマンスを通じてオーディエンスの感情に飛び込み、それを音楽で揺さぶる仕事というのは、いわゆる普通のサラリーマンとして海外で働くことと少し質が違うのは当然だろう。その経験の度合いはわたしが想像する範疇を超えている。

これまでにゆるふわギャング&Ryan Hemsworth、tofubeats、The Otogibanashi's、DJ Fulltono、Mars89、Double Clapperz、Parkgolf、パソコン音楽クラブ、Tomggg、Tohji、PART2STYLE、DJ NOBU、KSUKE、TJOと、上海のアンダーグラウンドなヴェニューからマイアミの世界最大級の音楽フェスまで、さまざまな現場に同行させてもらってきた。DJ NOBUやPART2STYLEのように海外公演を何度も行っているミュージシャンの現場にも帯同させてもらったこともあるが、やはり海外で初めて〜数度目の公演経験は、ミュージシャン自身にとってもわたしたちオーディエンスにとっても特別な経験だと感じる。自分のホームを離れて、自分の音楽をアウェーでかます、それがウケるかウケないかはさておき、とにかく呼んでもらったからにはブレることなく、ぶつかっていくしかない。
普通、そこまでのプレッシャーにわたしたちが置かれることはないし、ミュージシャンとして海外で公演することが、移民を理解することに繋がるとまでは言わない。ただ、わたしたちが「移民的」な相似経験することを自ら選び取って、居心地の悪さに飛び込んでいくとき、そのミュージシャンたちがどのようにその状況に対処したか、どう反応してしまったかを知ることは、わたしたちにとっての「おまじない」くらいにはなるだろう。
ゆるふわギャングが韓国公演で見せた、普段とは違う顔に感じたこと
2019年4月、ゆるふわギャングとRyan Hemsworthのソウル、香港、上海から福岡、東京、大阪の6都市を周るアジアツアーに帯同させてもらう機会があった。ゆるふわギャングとしては4度目の海外ライブだが、今回のように6日間、アジア3都市で4回のライブが予定されているアジアツアーは初めてだ。そのツアーはソウル・UNDERSTAGEでのライブから始まった。Ryan Hemsworthの1時間のDJセットの後、いつもながらバシッと衣装も決めて準備万端なゆるふわギャングのふたりは、特に緊張の色も見せず、"ICY(Peppermint Acid)"からムードたっぷりにパフォーマンスをスタートさせた。

ゆるふわギャングのライブを見たことある人はご存知かもしれないが、ゆるふわギャングはライブ中、MCをほとんどすることなく、曲間もほとんどあけることなく、立て続けに曲を繰り出す。この日もバックDJを務めたRyan Hemsworthに、なるべく曲間に合間を置かず、スムーズに次の曲に行ってほしいと打ち合わせていた。MCをするより、ライブセットの流れを切らさず、アルバムとはまた違った曲順でゆるふわギャングの世界を提示するのが彼らのライブのスタイルだ。ライブパフォーマンスでの表現を優先する彼らは、MCはもとよりいわゆる素の表情をステージ上で見せることも少ない。本当にライブになると表情が一変する。もちろん無表情ということではなく、時に感情をコントロールし、それをオンオフしながらオーディエンスを自分たちの世界にひきつけていく。いつもそのプロフェッショナルイズムを感じていたのだが、その日のライブで写真を撮りながら、彼らの雰囲気がいつもと少し違うことに気付いた。
それはなにも韓国語でMCをするとか、そういうことではなかった。パフォーマンス中に何か手応えを感じているのか、もしくは何かおかしなことがあったのか、不思議なほどにふたりの表情が豊かなように見えたのだ。ファーストアルバムに収録され、MVも公開されている"Dippin' Shake"の途中、NENEが少し微笑んでいたように見えたのだが、それが見間違えなのか何なのかライブの後も気になって仕方なかった。普段NENEという役に入りきってライブをしている彼女が、なぜか笑っていたような気がしたのが本当に不思議だったので、レーベルオーナーでありマネージャーのMary Joyの肥後さんに「NENE、なんか笑ってませんでした?」と聞いたら、「自分もそう見えました。彼らがライブ中に笑ったりしてるのはあんまり見たことないですね」と同じように驚いていた。
ライブが終わってからも、その話は彼らにすることもなく、慌ただしくCakeshopでのアフターパーティーを終え、次の日の早朝フライトのため仁川空港に向かった。ライブ中に勝手に自分が気になったことを言って、この後のライブがやりにくくなったら悪いなと思っていたのだが、一睡もできなかったわたしはあまり考えずに、NENEに昨日のことを聞いてしまった。
― “Dippin' Shake”のとき、ちょっと笑ってたよね?
― "Dippin' Shake"って歌ってるとき、なんとも言えない感じがして。なんでソウルで歌ってるんだろうって。日本で作ってたときはこの曲、ソウルで歌うなんて想像もしてなかったから。
確かにそりゃそうだろうな。数年前に作った、ふたりにしかわからない世界の食べ物の曲なんだから。ポテトにマックシェイクをつけて食べる、それは日本の人でさえも分からない、ふたりだけの秘密のごちそうの話なんだから。彼らの音楽はとてもアグレッシブで、常に外の世界に向かって正論を言い続けて中指を立ててるんだけど、その反面、フラジャイルな面があって、ふたりがお互いを守り合っている。その両側面のふたりの姿を、とても尊く思うことがある。この生きにくい社会で中指立てながら、隣にいるお互いを愛し合うこと、それを歌うことはとても革命的なことだと、最近身近で見るようになってさらに思うようにもなった。けど、そのふたりの秘密の歌を海外で歌うのには、どんな意味があるのだろう。
French fries dip in shake
French fries dip in shake
Like a like a dirty sex
Like a like a dirty sex
ゆるふわギャングのパーソナルでファンタジーの世界のラップは、ありきたりな表現だけど、日本社会からのシェルターのような役目を果たしている。「君たちにはわかんないでしょ、わたしたちがやってること。まともでいてくれよ君たちも。だからみんなも好きに勝手にやってくれ」と言っているようなゆるふわギャングの歌は、アグレッシブでフリーダムなだけでなく、そもそもこの社会という暗がりを、ふたりが勇気を出して歩くための歌だった。ふたりにしか分からない秘密のごちそうの曲「French fries dip in shake」のリフレインは、「怖くない、怖くない」という「おまじない」なのかもしれない。まるでふたりは「まとも」という狂気が支配する日本社会で、まともであるために、その闇に自分たちが飲み込まれてしまわないために、「絶対にふたりにしか分からない不思議な呪文」を唱えながら歩いているようだ。
その呪文がいつしかラップになり、それがとてもとても愛しくて力強かったからこそ、日本のファンの間でも「わたしたちのための秘密の呪文」として歌われ、ポピュラーになって、繰り返しシンガロングされて、ゆるふわギャングの世界のグルーヴになった。いつしか、ふたりにしか分からないはずの秘密のリフレインは、みんなの共通のストーリーになり、ライブのアンセムとなった。これ自体が音楽やラップらしい、素晴らしい話だと思うけど、これは自分の勝手な想像だけど、ふたりのひみつが公然なものとなってしまったとき、ふたりはどう思うんだろう。ふたりだけの秘密がもう秘密じゃなくなって、一緒に歌ってくれる人がたくさんできた。それは喜びでもあり、良い意味でもう変わってしまったって感じることなんじゃないかって。その歌の変化が、ふたりをLAでのレコーディングさせたり、海外での活動に目を向けるさせる契機になったのかもしれない。
そのアジアツアーの初日、ソウル・Understageでのセットリストに"Dippin" Shake"が入っていたのは偶然かもしれない。けど「French fries dip in shake」と歌っているうちに、無意識のうちに海外ツアー初日の不安さとかを思い出したけど、NENEが、Ryugoが隣にいる、この「おまじない」があれば、ふたりはどこにだって行けるってことをまた思い出して「大丈夫」って笑ったのかもしれないと勝手に想像したりする。
なぜ移民のことを考えはじめたのに、このことを思い出したのか自分でもあんまり分かってない。こんなのほかの人にとってはまったく関係のない話かもしれないのに。けど、暗がりを歩くふたりがリズムをとって歌った言葉とメロディーが、いつの間にか周りの人に伝わってグルーヴになって。そのグルーヴの輪から、自分たちはもう一度外に抜け出して、全然知らない場所で、全然知らない人の前で歌う。すると、またそのリズムが「おまじない」になっていたことに気づいて笑っちゃって、そのおまじないが、もう一度みんなのグルーヴになる瞬間をさらに外に求めていく。それは分からないことだらけの外の世界、居心地の悪さへ飛び込んでいくときに、心に留めておくべき寓話になりえると思う。
大事なのは外に向かって歩き出し、他者とグルーヴを合わせていくこと
異文化のなかに、他者のなかに入っていくことはとても勇気のいること。できれば誰しもがそんな思いをしないで住めるような世界がいいと思う。だけど、そんな世界に自分たちは生きていない。ほかの人に優しく素敵になるためには、歌を歌って恐怖に打ち勝ちながら、外に出てリズムをあわせながら他性を少しずつ受け入れていく。そこでは他人と協動し、同化でもなく選別でもなく、他者とグルーヴを合わせていくやり方を覚える必要がある。他者を分かる、他者になりきるのでもなく、他者性を受け入れていく。
ゆるふわギャングのふたりが「Dippin’ Shake」のおまじないを再び発見したという、勝手に自分が想像してる話は、世界中の移民たちの経験と同じ経験ではないし、位相がてんで違う話ということは認める。けど、ホームにいながらホームを感じられない世界で、肩を寄せてふたりで食べた秘密のごちそうの話、誰も知らない秘密を歌にした話、その歌がみんなの歌になった話、外に出て行って不安や居心地の悪さを感じていたときにそれを歌ったら、どうしてか安心して笑っちゃった話、ってのはきっと誰にとっても、どこかしら普遍的な話なのではないだろうか。これは、あくまで「わたしが外から見ていて思った」というだけの話なのだが、ふたりに聞いたらなんと言われるか。この話を書いていい?と聞いたら、いいよ、と。
海外ツアーをしていると、変なお客さんに絡まれたり、機材トラブルがあったり、英語で話そうとしてもうまく言葉が出てこなかったり、居心地が悪いこともたくさんあるけど、気の合う仲間が見つかってハングアウトしたり、乾杯してインスタ交換して、相手が使った英語の言い回しを違う人に使ってみて通じて喜んで、自分が自分らしくありつつ、今までの自分から少しずつ、もっと自分らしく変わっていく。そんな素晴らしいことがたくさんある。もちろん外に出るだけではなく、注意深くしていれば日本国内だってそういう契機はある。そんな積み重ねをひとりひとりがしていって、その大変さと素晴らしさを知ることでしか、わたしたちは変われないと思う。日本を捨てて出て行くか、もしくは出て行かないか、誰をどう受け入れるか受け入れないか、の話じゃない。マーケットとして、移民やアジアに注目するとかしないとかの話でもない。
結局、外に向かって歩きだすことでしか自分たちは変われない。そして自分だけの「おまじない」を持って、旅して、動きまわって、共に働き、共に生きて、歓待しあって、縁を作る。そこで感じたことや経験はきっとどこか普遍的なものにもなりえて、それは分かり合える/合えないの可能性への掛け金くらいにはなるはず。自分はそんなこと言えるまで立派な人間ではないけど、みんなで今まで以上にオープンになって、いろんな人と繋がっていって何かを残していけば、「88rising」と同じようなものでなくても、どこか遠くに住む人との縁をもとに一緒に何か新しいものを作って楽しむことができるかもしれない。そんな未来は必ず近くまで来てると信じている。
Photos : Jun Yokoyama
目的と価値消失
#カルチャーはお金システムの奴隷か?
日本人が知らないカルチャー経済革命を起こすプロフェッショナルたち