世界的に排外主義やポピュリズムの機運が高まりを見せる2019年の今、移民というイシューは様々な形で浮上している。政治的には極めて緊迫した状況が続く一方、文化的には移民(や移民のルーツを持つ)作家の生み出すアート表現や、彼らとのクロスオーヴァーで創出される表現が幾つもの新しい扉を押し開いている。例えばアメリカのポップ・ミュージックに目を向ければ、ここ数年はヒスパニック系の急激な人口増加に伴い「ラテン・レボリューション」とも呼ばれるラテン・ミュージックのブームが巻き起こっているし、2010年代のポップとなったラップ/ヒップホップは当然ながらアフリカ系アメリカ人が中心となった音楽だ。映画の世界ではキュアロン、デル・トロ、イニャリトゥといったメキシコ出身の監督がハリウッドでも存在感を見せ、ロンドン特集で掲載した対談で触れられている通り、ファッションの世界でも移民というキーワードは欠かすことができない。
ただ、こうしてすぐに並べられる文化的な事象が海外のものばかりだということに、疑問を投げかける読者がいても不思議ではない。我々が暮らす、ここ日本の状況はどうなっているのか? 実際、ずっと存在してきたはずの移民という問題から目を背け続けている日本人だからこそ、「移民とカルチャー」という特集を掲げるにあたっては、当事者として、まずは日本における「移民とカルチャー」について考えることは不可欠だ。
そこで行われることになったのが、この座談会である。ここでは、移民という言葉が浮上した背景から日本における現状まで、駆け足ではあるが、まずは読者と共有する。そのうえで、「移民とカルチャー」という特集テーマに沿い、アメリカや韓国など海外との比較も交えながら、日本の移民問題についてカルチャー的な側面から広範な話を展開してもらうことにした。
この座談会に参加してもらったのは、主にヒップホップを通じて日本社会の問題に迫り、『文藝』で「移民とラップ」という連載もスタートする磯部涼、日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブ・マガジン「ニッポン複雑紀行」編集長である望月優大、在日コリアンを中心とした在日外国人問題に詳しい社会学者のハン・トンヒョン(韓東賢)、アメリカ文学とポピュラー音楽研究を専門とする大和田俊之、そして本記事の編集者として加わった田中宗一郎。日本の移民問題について、あるいは海外における移民文化の受容について、それぞれのドメインから向き合ってきた5人の対話は、日本における「移民とカルチャー」というテーマを考える上で様々な気づきやヒントを与えてくれるはずだ。
果たして5人の対話は、音楽や映画や文学やアニメから東京オリンピックまで幅広いトピックを行き来しながらも、戦後日本の歴史と、日本のアイデンティティを省みるという流れとなった。だが、こうしたプロセスを経ることなく、我々は2018年の入管法改正以降の「新移民の時代」における、日本の「移民とカルチャー」の未来について考えることはできないだろう。
リード:小林祥晴
磯部涼(いそべりょう)
ライター。主に日本の音楽と社会の関わりについてのテキストを執筆。近著に『ルポ 川崎』(サイゾー)がある。その他、共著に大和田俊之、吉田雅史との『ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』(毎日新聞出版)など。7月5日発売、『文藝』2019年秋季号(河出書房出版)から「移民とラップ」を連載開始。
望月優大(もちづきひろき)
1985年生まれ。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。国内外で移民・難民問題を中心に様々な社会問題を取材し、「現代ビジネス」や「Newsweek」などの雑誌やウェブ媒体に寄稿。著書に『ふたつの日本「移民国家」の建前と現実』(講談社現代新書)。代表を務める株式会社コモンセンスでは非営利団体等への支援にも携わっている。
ハン・トンヒョン(韓東賢)
社会学者(日本映画大学准教授)。1968年東京生まれ。専門はナショナリズムとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンを中心とした在日外国人問題。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006)、『平成史【完全版】』(共著,河出書房新社,2019)など。
大和田俊之(おおわだとしゆき)
慶應義塾大学教授。専門はアメリカ文学、ポピュラー音楽研究。『アメリカ音楽史』(講談社)で第33回サントリー学芸賞受賞。他に、長谷川町蔵との共著『文化系のためのヒップホップ入門1、2』(アルテスパブリッシング)、栗原裕一郎編著『村上春樹の100曲』(立東舎)、磯部涼、吉田雅史との共著『ラップは何を映しているのか』(毎日新聞出版)など。
田中宗一郎(たなかそういちろう)
編集者。音楽評論家。DJ。大阪市出身。広告代理店勤務を経て、雑誌「ロッキング・オン」副編集長を務めた後、フリーに。97年に創刊された雑誌「スヌーザー」編集長を14年務める。現在は「ザ・サイン・マガジン・ドットコム」のクリエイティブ・ディレクターとして自社メディア運営のほか、Spotifyプレイリスト〈POP LIFE〉選曲、Spotifyポッドキャスト〈POP LIFE: The Podcast〉の編成・出演も務める。
移民というイシューはどのように浮上してきたのか?

田中 まず望月さんに伺いたいのですが、経済的なイシューとしても政治的なイシューとしても、移民という言葉が浮上してきた背景をご説明いただいてもいいですか?
望月 幾つかの文脈があるとは思いますが、ひとつには政府が意図的に「移民」という言葉を使わないようにしてきたという背景があります。それは今でも変わっていません。特にここ三十年ほどの間に日本で暮らす外国人の増加スピードが早まっていますが、そういった状況でもなお「日本がやっていることは移民政策ではない」と主張しています。また、政府や与党は「入国の時点で永住資格を持っている人だけを『移民』とみなす」という狭い定義を使うことで、「移民」という言葉を使うことを避けている節もあります。そこにはどのような含意があるかというと、日本の人口バランスが悪化していて、現役世代の労働者が足りないから外国人労働者を受け入れているという現実が片方でありつつ、もう片方では、日本の「純潔性」や「同一性」を守りたいという、いわゆる単一国家幻想を抱いている人たちへの目配りですね。そこにあるのは「外国人として入ってきている人たちは、日本というネイションの外側で数年単位で出たり入ったりするだけなので、内側の純粋性は守られているのだ」というロジックです。だから、「外国人材はいるけれど、移民はいない」というような言葉遣いが意図的に選ばれているんですよ。
田中 かなり政治的な意図がそこには絡んでいる。
望月 そうです。では、他の国と比較して、本当に日本に「移民」はいないのか? 「移民問題」というテーマは存在しないのか? もちろん移民や移民問題は確実に存在しています。しかもそれは、ここ最近になって生まれた問題ではない。日本の植民地に由来するオールドカマーの人々にも絡むテーマとして、ずっとあった問題です。しかし、日本はそこにずっと目を向けようとしてこなかったしニューカマーが増えている今もその本質はほとんど変わっていない。そういった状況に対して、自分は『移民』という言葉をもっと意識的に使っていくことで、見えづらくなって現実を直視したいと考えている立場ですね。
ハン ここ3~4年、「政府は認めないけど、実際に移民はいるよね?」という望月さんのような声が顕在化してきたからこそ、雑誌などのメディアが移民という言葉で、そのモチーフを扱い始めたというところがありますよね。
磯部 この企画も含めてですが、昨年の入管法改正についての議論以降、日本のメディアではちょっとした「移民ブーム」が起こっているようにも思います。
望月 そうですね。経済誌だけではなく、カルチャー誌も移民の特集を組み始めています。
磯部 今回、タナソーさんから「FUZEで〝移民とカルチャー〟という特集を組みたい」と言われた時に、思い出したことがあったんです。それは、以前、やはりFUZEで行った映画『ブラックパンサー』についての座談会( 〝映画『ブラックパンサー』は本当に傑作なのか?ーーブラック・ライヴズ・マター以降/トランプ政権誕生以降の「ブラック・コミュニティ発ドラマ表現」を巡って〟)を読んだハン・トンヒョンさんがFacebookに書かれていたことでした。
まず、司会を務めていた僕が長い座談会の終盤に投げかけた、「それにしても、改めて考えてみると、このように日本人だけが集まってブラック・コミュニティについて議論しているというのも、奇妙と言えば奇妙じゃないですか」「もちろん、日本にだって外国人市民もいればミックスのひともいるので一概には言えないわけですけど、日本人がブラック・コミュニティをテーマにした作品に触れる意義についてはどのように考えていますか?」という問いに関して、ハンさんも読みながらまさにそう思っていたと。ただ、その後の話の展開において、国内のエスニック・マイノリティについて触れられなかったことに疑問を呈していた。
仰る通りというか、それは日本のカルチャー系のメディアが抱えてきた課題でもあって。ラップ・ミュージック、ヒップホップ系のライターにしても、ブラック・ライヴス・マターについては饒舌なのに、日本国内の反差別運動については言及しなかったり。だから、今回、〝移民とカルチャー〟をテーマにするのなら、必ず、国内の問題についても議論するべきだと考えました。
田中 なので、本日はその辺りのことを中心にお話しいただければと思います。
大和田 僕は移民問題にそこまで詳しいわけではないのですが、世界的に見て現在の日本の態度はどうように映るのでしょうか? 近年は移民の流入が多いため、各国が移民を制限しているフェーズだとすれば、日本の態度はそれほど珍しいものではないのですか?
ハン そうですね、そういう意味では珍しいわけではないと思います。結果として同じところにいる。ただ、日本は移民の受け入れや社会統合において前進らしい前進がないまま、バックラッシュだけがあるという状態ですね。そもそも外国人政策において入管政策だけがあって統合政策が不在で、包摂ベクトルの多文化主義的な政策や社会的なコンセンサスがないのに、つまりそこを経ていないにもかかわらず、欧米ではそのようなものに対する反動として広がっている排除ベクトルの排外主義やレイシズムが広がっています。もちろん、植民地主義の継続という側面もあります。
磯部 では、それを「移民とカルチャー」という今回のテーマに基づいて考えてみるとどうなるのでしょうか。カルチャーも、当然、政治とは切り離せないわけですが、まずは大衆から立ち上がってくるので、大文字の政治における〝移民問題〟とは現実の反映のされ方がまた違うように思います。もちろん、そこには無関心やレイシズムも含まれるわけですが。
ハン そもそもの話として、移民のカルチャーは世界的にトレンドなのでしょうか?
大和田 それを考えるにあたっては、アメリカが興味深いと思います。トランプの政策に象徴されるように、現在のアメリカは政治的には移民に反動的です。しかし、カルチャーに目を向けると、トランプの大統領就任以降、プエルトリコ出身の歌手ルイス・フォンシの“デスパシート”というスペイン語の曲がビルボードのチャートで16週連続1位になったり、韓国のBTSが1位になったりしている。政治の側から見ている人と、文化の側から見ている人で、今のアメリカは全然違うように見えていると思いますね。
ハン 日本も日韓関係が険悪ななかで現在の第何次だかの韓流ブームですからね。そういう意味ではもしかすると近いものがあるかもしれません。
磯部 大和田さんと、批評家の吉田雅史さんとつくった『ラップは何を映しているのか』(毎日新聞出版、17年)という本で詳しく語っていますが、もともと、トランプとラップ・ミュージックは親和性があったり、トランプの勝利には移民政策の緩和に反対する移民ルーツの有権者が一定の貢献をしていたりとややこしい背景もあったりします。ただ、ラップ・ミュージックに関して言うとトランプが大統領選に出て以降は、団結して反トランプで。ほとんど唯一、トランプに理解を示した大物であるカニエ・ウエストなんかもバッシングを受けまくって、最近は、政治より上位にある信仰をテーマにした楽曲をつくることで、そのいざこざから逃れようとしているところがあります。
批判の急先鋒で言うと、選挙期間中に「FDT」……「ファック・ドナルド・トランプ」というめちゃくちゃストレートな曲をヒットさせたYGというラッパーがいて、今年のコーチェラでもステージにトランプの写真をデカデカと映し出して、客に「FDT!」と歌わせていましたね。別のライヴでは歌わなかった客に「お前は支持者か?」と詰め寄ったこともあったそうです。「FDT」は「おい、メキシコ人には世話になってるんだ。売人としてもな」「車高を下げたいときは誰を呼ぶんだ? メキシコ人だろ(注:YGが活動拠点とするアメリカ西海岸にはローライダーというメキシコ系移民発祥のカスタムカー文化がある)」(訳はこちらから)というようにライフスタイルを通して政治について語っているところがいいんですが、YGは新曲の「Go Loko」でもマリアッチをモチーフにしたり、ジョン・Zというプエルトリコ系のラッパーを器用したり、楽曲を通して多文化主義を打ち出していましたね。
ハン 今の日本の韓流ブームは、政治と文化が違うレイヤーになっていて、連関していないように見えます。しかし、今のお話を聞いていると、アメリカの場合はむしろ、バックラッシュへのバックラッシュというか、トランプが大統領だからこそ移民のカルチャーが盛り上がっているという側面もあるのですか?
大和田 それもあります。ただアメリカでは移民と文化が影響し合うことは以前からありました。メレンゲというドミニカ共和国の音楽があるじゃないですか。これはもともと、ヨーロッパ音楽の要素が入り込んだ、どちらかというとブラック・ミュージック色が薄い音楽としてドミニカでステータスを確立していたんです。それが、90年代にドミニカの人口の一割くらいがアメリカに移住した際、ニューヨークのハーレムに行ったドミニカ系がアメリカの黒人と接して、メレンゲの黒さを再発見し、バチャータという音楽と混ざっていくということが起きたんです。このようにアメリカでは移民と文化が奇麗に影響し合う事例が少なくありません。
磯部 最近だとカーディ・Bもドミニカ系でしたっけ。
大和田 ドミニカとトリニダードですね。ヒップホップではカーディ・Bがそうですし、DJキャレドはパレスチナ系です。そういう新しい移民がカルチャーを持ち込み、そこで音楽が変わっていくということは常に起こっています。ただ、ずっと昔から「アメリカは黒人文化は好きだけど、黒人は嫌いだ」っていう言い方もあるんです。つまり、文化は受け入れるけど、移民というイシュー自体に対しては保守的なところはあるということですね。
磯部 ラップ・ミュージックは、アメリカの音楽エンターテインメントの主流になっていると言ってもいいですが、トランプの支持率が下がっているかというとそういうわけでもないですからね。最近、2020年の大統領選への出馬を表明しましたし、このままだったら再選もあり得ます。実際のところ、ラップ・ミュージックはマーケットとして大きくなったからこそ政治性が薄まった側面もあると言うか、赤い州VS青い州みたいな感じで、カントリーVSラップ/R&Bみたいな図式が描かれたりしますけど、後者を聴いていてトランプ支持、みたいなひとも普通にいると思います。
ハン そこは今の日本の韓流ブームも変わらないように感じます。たとえばK-POPのファンにも普通に嫌韓はいるし、別にそれはそれでおかしいことではないとも言える。でも若者の韓流ブームをもって、今後の日韓関係について素朴に楽観視している人もいます。
大和田 でも、そこも馬鹿にはできなくて。うちの9歳の娘は毎日TWICEを聴いているんですけど、「韓国行きたい! 韓国行きたい!」ってなっているんですよね。この前、TWICEの日本人メンバーのサナがグループの公式アカウントで新元号についての思いを投稿して、韓国で炎上しましたよね。そういうのも9歳なりに「なにが起きてるの?」ってなっていたんです。
磯部 先ほどカルチャーと政治は切り離せないと言いましたが、まずは前者に惹かれて、次第に後者に関心を持つということもよくあります。
大和田 本当に草の根的なものですけど。新大久保の賑わいもすごいじゃないですか。連休に娘と行ったら、50メートル進むのすらも大変で(笑)。
ハン たぶん一般的な話としてファンにも二通りいるんですよ。文化への関心をきっかけにその国の政治的、歴史的な背景を学ぼうというタイプと、それとこれとは別、というタイプ。ただし、今の日本は嫌韓の空気が強いし、そういうなかで、何かあると「私が好きなあのアイドルが『反日』なんて!」とナイーヴに捉えてしまう人も少なくない。それは単純に知識が足りないという問題であると同時に、構造的な問題なんですよね。
大和田 韓国の文化に対しては、今の大学生を見ていても、僕の世代と較べて関心が高い。そこは素朴に変化を感じますね。
ヒップホップの歴史から見えてくる、「日本と移民」の関係とその変遷
ハン 「日本の移民問題についてカルチャーを通して考える」という議題ですが、そもそも日本に移民文化ってあると思いますか? この特集全体では、いろんな国のモチーフが出てきていて、それを「移民文化」と大きく括っているわけですよね。その企画で日本をテーマにしたものが挙がらないということは、日本に移民文化がないということなのか。それとも、みんながそこを見ていないということなのか。
磯部 それを考えるうえでは、〝移民〟や〝移民文化〟の定義についても検討した方がいいですよね。〝移民〟に関しては、よく引用される1997年の「国連事務総長報告書」によると、「通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12ヶ月間当該国に居住する人」を〝移民〟ーーしかも〝長期の〟と定義する、と。それにも関わらず、望月さんが最初におっしゃっていたように日本政府は移民政策は取らないとしているわけですけど、実際には日本国内に多くの移民がいる。では、〝移民文化〟と言う時に、そういったひとたちが日本に持ち込んだ祖国の文化を指すのか。あるいは、移民化の過程で、日本文化も取り入れながらつくり上げていった新たな文化を指すのか。
ハン だとしたら、国内のエスニック・マイノリティの文化と言い換えてもいいかもしれません。たとえば日本は国籍制度が血統主義なので、日本に何代住んでいようが外国人は外国人。私の関心にひきつければ、日本に住んでいる外国人による、何かオリジナルの文化はあるのだろうか、という話ですね。たとえば食文化などだと、日本に根づいたものがそれなりにあると思いますが。
磯部 先程、アメリカのラップ、ヒップホップの話が出ましたが、そもそも、オリジネーターであるクール・ハークがジャマイカからブロンクスに渡ってきた移民だし、彼がブロンクスのパーティ文化に故郷のサウンドシステム文化を持ち込んだことによってヒップホップ・カルチャーができていくんですよね。もともと移民文化というか、移民国家であるアメリカを象徴するような文化だっていう。では、日本のラップ・ミュージックでは移民はどのように歌われてきたのか。その流れを説明するために、ここでは3曲紹介したいと思います。
まず、93年の「ECDの“東京っていい街だなぁ”」は、東京生まれ東京育ちのラッパーが変わって行く街並みを描写しながら、「東京ってもーダメなのかなぁ」と呟いていく曲ですが、その中に移民が登場するパートがあって。以下のような感じです。「東京ってもーダメなのかなあ ベイビちゃん ダメなのかなあ/上野はイランの人にさあ あずけちまった方が/赤坂は朝鮮の人にさあ あずけちまった方が/新宿はフィリピンの人にさあ あずけちまった方が この際」。この背景にあるのはやはり90年の改正入管法施行による移民の増加。ただし、彼らは街を変えるダイナミズムを持ってはいても、あくまでもニューカマー、部外者として描かれている。
ハン 90年の入管法改定は、むしろ都会よりも地方の第一次産業に日系人の移民を呼び寄せた一方で、バブル経済によってそれ以前の時期に都会を中心に増えたオーバーステイの外国人に対する取り締まりの強化をはかりました。それによって、上野公園にあふれていたイラン人は2~3年であっという間に姿を消しました。とはいえ80年代後半~90年代前半、上野公園のイラン人は象徴的ですが、急激にニューカマーと呼ばれる外国人が可視化されるようになったのは事実です。
磯部 続いてはその約10年後の02年に、新宿を拠点に活動していたMSCというグループが発表した楽曲「新宿アンダーグラウンド・エリア」。ここではまず、夜の歌舞伎町や新大久保をクルージングしながら、韓国、台湾、中国、フィリピン、ロシアなんかをバックグラウンドとするアウトローやセックス・ワーカーと、日本人が交流する、闇の多文化共生とでも言うべき世界が描写されます。そして一転、「4年前 新宿7丁目 ローソン裏から呼び出す携帯ナンバー…」と90年代末に話が飛んで、自分たちと、イラン人グループの抗争を思い返していきます。「クルー(仲間)のマーボが手にした道具は空のビール瓶/何も知らずにやって来たイランの額目がけて/タイミングよく振る渾身のフル・スイング/まるで映画のワン・シーン/だけどリアル・タイム/安心もつかの間…」みたいな感じで強烈なんですが、ここでは、「ECDの“東京っていい街だなぁ”」では部外者として描かれていた移民が、日本人の若い不良と利害がぶつかる存在として描かれているんですよね。
ちなみに、イランからの移民を犯罪のイメージと結び付ける描き方に関しては注意しなければいけません。88年のイラン・イラク戦争終結後、日本で増えたイランからの移民は、ドラッグや偽造テレホンカードの売人、というステレオタイプに押し込められていきました。実際、生活に困ってそういった犯罪に手を染めたひとたちもいますが、あくまでも一部です。一方で、「新宿アンダーグラウンド・エリア」の背景には、いわゆる平成不況や就職氷河期といったものもあります。この曲はハスラー・ラップという、00年半ば頃に日本である種のブームになった麻薬売買にまつわるラップの先駆けなのですが、そこでのハスラー=ドラッグ・ディーラーって別に儲かっているわけではなくて、組織から請け負った仕事を何とかこなしている、つまり、非正規雇用のメタファーなんですよね。この曲では、そういったシュリンクする正規雇用の外側に広がっていった不安定な世界の中での、移民労働者と日本の若者の出会いが対立という形で描かれているとも言えます。
そして、最後に挙げる曲がBAD HOPの15年の楽曲「Chain Gang」。彼らは川崎区という工場地帯出身の幼馴染からなるグループですが、同地は日本における多文化地区の象徴と言えるような場所です。そんな土地で、不良のしがらみによって苦労してきた彼らは、自分たちをチェイン・ギャング……サム・クックやザ・ブルーハーツがモチーフにしたお互いを鎖で繋がれた奴隷になぞらえこう歌います。「目みりゃわかるこの街の子」「なにより1人が嫌な奴ばっかり/物心つく頃に 居た仲間なら多国籍でも」「Korean Chinese 南米 繋がれてる 川崎のWe are Chain gang」。BAD HOPの中にもコリアンルーツのメンバーもいれば、親の借金で苦労してきたメンバーもいる。そういう彼らにとっては〝川崎〟こそがバックグラウンドであり、ルーツは関係なく仲間だという曲ですね。古くから多文化地区である川崎区が特殊だということもありますが、移民2世、3世と世代が進んできたからこそのリアリティだとも言えます。今の移民ルーツの若者たちはエスニシティよりローカルにアイデンティティを見出しているケースが多いですよね。
以上の3曲からは、移民が日本社会に溶け込み、一方で日本社会自体も変容していく過程が読み取れるのではないでしょうか。
ハン 「他者を描くこと」と「自分のことを歌うこと」は全然違うことだと思うので、そこに当事者がいるというのは重要ですよね。日本のヒップホップにおいて、移民が自分のことを歌い出したのはごく最近のことなんですか?
磯部 はい。当事者が当事者性を問題にするのは、結構最近のことなんですよね。もちろん、それ以前にも日本のラップ・ミュージックにはいろんなルーツの人が関わっていましたが。
ハン 歌謡曲にもいろんなルーツの人がいますしね。
磯部 ただ、移民をルーツに持っているひとの活躍はそれ自体がメッセージになりますが、「移民をルーツに持っている」ことをテーマに表現するのとは別のフェーズだとも思うんですよね。もちろん、後者をやらなければいけないわけではないし、むしろそれは「マイノリティは主張するべき」というステレオタイプでもある。一方で、ラップ・ミュージックではアイデンティティが重要なテーマであるのにも関わらず、移民問題が長らく前景化してこなかった日本の同文化の在り方には、この国の在り方が反映されているとも思います。
ちなみに、先程の3曲の流れで省略した90年代後半ーー日本のラップ・ミュージックのいちばんの発展期になりますがーーそこで活躍したのは、日本からアメリカへ本場のカルチャーを学ぶために渡って、それを持ち帰ってきた移民としての日本人なんです。つまり、90年代において日本はカルチャー面では移民送出国だった。例えば、ニューヨークで結成、1995年に帰国、メジャー・デビューしたBUDDHA BRANDというグループがいます。彼らの2枚目のEPは『黒船』というタイトルで、アメリカからの黒船に、本場から帰国して日本の遅れている文化を変えんとする自分たちのイメージを重ねている。
望月 ラップの発音の仕方とかにも表れていますよね。
磯部 そうなんです。ラップが半分ぐらい英語で構成されているし、それと英語訛りの日本語でもってライムしているんですよね。さらにコテコテの日本のスラングも入ってくるところが面白いんですが。
一方で、90年代後半、日本に本場を持ち帰ったもうひとつの代表的なグループであるキングギドラは日本語のみでライミングしていて、その形式は思想を表すものでもありました。キングギドラはアフリカ系アメリカ人のラップ・ミュージックこそがオーセンティックであるという理念と、だからこそ彼らのようにアイデンティティを追求し、英語ではなく日本語でラップしなければいけないという課題を抱えていた。彼らはそのアンチノミーを、アンチ・ホワイト・アメリカという点ではアフリカ系とアジア系は同じである、という構図の中で解消しようとするんですが、そこから反米保守思想に向かい、00年代の日本におけるいわゆるネオ・ナショナリズムの旗手になる。
ハン 海外に行って右っぽくなる人って、結構いますよね。まあ今や海外に行かなくても、だけど。
望月 実際、留学生などの間でも見ることはありますね。
大和田 私も帰国子女ですが、留学生の半分は右寄りになって帰ってくるんじゃないかと思うことがあります(笑)。ただ今の磯部さんのお話は、日本のラップは、アイデンティティが対アメリカで形成されていたのが、現在では日本の中の差異でアイデンティティが出てきているということですよね。大変面白い指摘だと思います。
磯部 もうひとつ付け加えておくと、BUDDHA BRANDとキングギドラが日本に本場のラップを持ち帰ったのに対して、その少し後でデビューした帰国子女のm-floは、00年前後の日本におけるダイバーシティを象徴するようなグループだったと思います。
ハン そうですよね。1999年デビューですが、思えば90年代は、日本が多文化社会としての可能性に目を向けようとしていたと言えるかもしれない例外的な時期でもあります。
磯部 初期のm-floは、インターナショナル・スクール周辺で出会ったメンバーの構成もそうだし、音楽性も多様。ラップ担当のVERBALは在日コリアン三世ですが、自伝で、子供の頃に受けた差別や、ラップを通してエスニック・アイデンティティに目覚めたことについて語っています。ただ、彼のラップでそういったことが直接的なテーマになっているかというとそうではなく、むしろ、脱政治的な軽やかさこそが魅力なんですよね。その辺りについては、また後ほど議論したいなと。
※2019年8月5日16時追記
公開時の文中にございました「在日コリアンなど日本の植民地に由来するオールドカマーの人々にも絡むテーマとして、ずっとあった問題です。」という一説に対して、「『日本の植民地に由来するオールドカマー』というときに『在日コリアン"など"』というかたちで、台湾を背景とするオールドカマーの歴史を捨象している」とのご指摘がありました。
編集部では、「在日コリアンなど」の部分に、「在日台湾人」も追加することで二国に関わる方々だけを具体的に例示してフォーカスすることが発言の真意ではないと判断し、該当箇所に関して「日本の植民地に由来するオールドカマーの人々にも絡むテーマとして、ずっとあった問題です。」と修正させていただきました。
目的と価値消失
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