本特集がテーマにしている「キャンセル・カルチャー」と呼ばれる現象には、差別や不平等に対する意識の高まりによって、あらゆる局面でポリティカル・コレクトネスが重視されるようになったという時代背景が関係しているのは改めて言うまでもない。ポリティカル・コレクトネスの規範を踏み外した場合、企業、ブランド、作品、個人は「キャンセル」される=支持を失い、社会的立場を追われることになる。それぞれの事例には至極妥当なものもあれば、行き過ぎと言える場合もあるかもしれない。ただ、キャンセル・カルチャーについて考えるには、もうひとつ、その前提として「ウォーク(woke)」あるいはウォーク・カルチャーについて理解しておくことが必要だろう。
もしかすると、記録的な大ヒットを続けているDC映画『ジョーカー』の監督であるトッド・フィリップスが、〈ヴァニティ・フェア〉のインタヴューで「ウォーク・カルチャー」に言及したことによって、この言葉を知った読者もいるかもしれない。彼曰く、「ウォーク・カルチャーにおいて、面白い連中がコメディから離れていっている」と。ここではトッド・フィリップスの真意は問わないでおこう。ただ、ひとつ明確なことは「社会的に目覚めること」を意味するウォークという言葉/現象が、これまでの社会を脅かす面倒な動きとして疎んじられるようになっている――少なくともそのような空気が生まれつつある、という事実だ。
社会的に目覚めること、間違いを正そうとすること、それは面倒なことなのだろうか? 今一度それを判断するためにも、このウォークという言葉がどのように生まれ、その意味とニュアンスがその後どのように変化してきたのかを知ることは極めて重要に違いない。
そこで本稿では、2010年代のブラック・ミュージックを主な題材に、『ミックステープ文化論』『誰がラッパーを殺したのか』などの著作で知られ、ブラック・カルチャーに精通する小林雅明に「ウォーク」の歴史と現状を解説してもらった。
リード:小林祥晴
「woke」「stay woke」とは一体何を意味しているのか?
But stay woke
Niggas creepin' (niggas creepin')
They gon' find you (they gon' find you)
Gon' catch you sleepin', ooh
Now stay woke (stay woke)
Niggas creepin' (niggas creepin')
Now don't you close your eyes…
夜も更けた住宅街で道に迷ったラキース・スタンフィールドが何者かに連れ去られるアヴァンタイトル、そして(彼を運ぶクルマの)車窓ショットから、ダニエル・カルーヤ演じる主人公の住む部屋へとタイトル・クレジットの映像が切り替わった瞬間に聞こえてくるのが、チャイルディッシュ・ガンビーノが歌う“Redbone”のこの箇所からだった。2017年の映画『ゲット・アウト』の導入部で流れるこの曲を通じて、「Woke」あるいは「Stay Woke」というフレーズに注意するようになった観客もいるだろう。「Stay Wokeっていうのがイイね。それが、まさにこの映画が言わんとしているところだから」と監督のジョーダン・ピールは言っている。
まず、アフリカ系アメリカ人特有の表現だった、この「Woke」ということばだが、2017年には、メリアムウェブスター辞典とオックスフォード英語辞典で立項されている。前者では「重要な事実や問題(とりわけ人種間の平等や社会正義に関するもの)を意識していたり、積極的に気にかけている状態」と、後者では、元々は1962年のアフリカ系アメリカ人作家ウィリアム・メルヴィン・ケリーが使用した「十分に情報を得ている。最新の」、現在では主に「人種的あるいは社会的な差別や不公平に警戒して」と語意が記されている。
その後、72年にジャマイカの社会活動家マーカス・ガーヴェイを題材にした戯曲で「I been sleeping all my life. And now that Mr. Garvey done woke me up, I’m gon stay woke.」と登場して以来、2008年に、エリカ・バドゥが“Master Teacher”で「I stay woke」というフレーズを繰り返すまで、ほぼ消滅していた表現だったという。彼女は曲中で「no niggasな世界」、つまり、人種的に不平等のない世界を夢見て、と唱えるのだが、そうした夢や理想を思い描くことは、同時にその夢からほど遠い「現実」について考えることに他ならず、それはまさに「Stay Woke」だということになる。ただ、この曲は発表当時全くといいほど話題にならなかった。
「woke」の機運が高まりを見せたブラック・ライヴス・マターのムーヴメント
では、なにがきっかけだったのかといえば2013年夏に始まった「ブラック・ライヴス・マター」のムーヴメントだった。これは、2012年2月、丸腰だった17歳のトレイヴォン・マーティンを射殺した自警団気取りの男に対する無罪宣告への抗議からだった。ところが、2014年になると、不当な暴力を行使した警官が、無抵抗な一般市民を死に至らしめる事件が相次いで発生。抗議活動は拡大の一途を辿った。命にかかわる緊急事態であることから、警察からの暴力行為に対しては依然警戒が必要だと注意を促す目的で、SNS上で使われたのが、ハッシュタグ #StayWoke だった。そして、そこには「白人至上の組織には敏感であれ。警察による公式な説明を自動的に受け入れるな。身の安全を」といった意思や意識が強くはたらいていた、と言うこともできる。
トレイヴォンの名前が出てくる曲としては、2015年のケンドリック・ラマーによる“Blacker The Berry”が有名だが、そのほぼ3年前の2012年4月(つまり、事件の数十日後)に発表した“Eat Your Vegetables”で、チャイルデイッシュ・ガンビーノが、ファーストヴァースを「Man, I die for my hood (Trayvon)」というパンチラインで締め括っている。
Kendrick Lamar - Blacker The Berry
https://open.spotify.com/track/5Mtt6tZSZA9cXTHGSGpyh0?si=v-wJPNGSSDO8GVjDwkDTcA
高邁なメッセージなどない曲であるとはいえ、リリースの時機からみても、トレイヴォンの死に受けた衝撃を、#StayWoke 登場以前に肩肘はらずに率直に表したのかもしれない。ジョーダン・ピールは“Redbone”を #StayWoke の文脈から捉えてはいたが、基本的には、愛の表情に敏感になろう、騙されないように、と歌っているのだ。
「woke」という言葉が孕むようになった両義性
#StayWoke がすっかり身についているからこそ、このように歌詞に二重の意味を持たせてみたり、この曲を含むアルバムを『Awaken My Love』と命名したりする(語源/語義的には「woke」は「awake」より覚醒感が強いとすると説もある)のだろう。このアルバムと同じ月にリリースされたのが、ビヨンセの“Formation”のミュージック・ヴィデオであり、同曲を含むアルバム『Lemonade』および同名のヴィジュアル・アルバムだった。
ちなみに、ビーノがトレイヴォンの名前を入れ込んだ曲を出していた頃、彼女が歌っていた“Flawless”の一節に含まれていたのは、「woke」は「woke」でも「I woke up like this」の「woke」で、ここからトレンドと化したのは、「お目覚め顔」だった。
そんな彼女が、その3年後に、ブラック・ライヴス・マターはもちろんハリケーン被害への政策やらブラック・パンサー党の存在やら黒人女性のエンパワーメントといった全方位に向けた「Stay Woke」メッセージの塊のような存在として、装いも新たに登場したのである。
それは「Woke」に目覚めたビヨンセの姿なのか。だが、「Woke」には、また別の意味が担わされるようになっていた。歴史における不公平さを学んだことで、人種に対する捉え方を豹変させる人を揶揄するときにも使われるようになっていたのだ。
2016年の米大統領選挙の約3週間前に、単独で発表されたフリースタイルに始まり、2017年10月のBETヒップホップ・アウォーズ・サイファーまで、トランプ批判(および彼を支持するような自分のファンの切り離し)をピンポイントで行なってきたエミネムは、同年12月にアルバム『Revival』をリリースした。同様の主張が収録曲数曲で聞かれるだけではなく、“Untouchable”では二部構成をとり、レイシストの警官と、黒人男性、それぞれの視点でライムし、最後には、国歌や国旗に人種差別(奴隷制度)の記憶を重ねている。
エミネムと言えば、オルター・エゴ、スリム・シェイディを通じてライムしてきたのは、ポリティカル・コレクトネスとは対局にあることばかりだ。そのため『Revival』が出た時点で、一部メディアから「wokeエミネム」と揶揄されたのだった。彼によれば、“Untouchable”の構想は2年前からあったという。2年前の2015年と言えば、この曲と社会に対する状況分析に重なるところがあるケンドリック・ラマーの“Alright”が出た頃だ。そのタイミングで出せていたら、肯定的なニュアンス込みで「wokeエミネム」と称されていたかもしれない。
そして、2018年になってようやく、抗議者ではなく当事者、具体的には、書類の提出を怠っただけで保護観察違反であるとして服役させられるようなことを長年同じ判事から繰り返しやられ、刑事司法制度に人生を翻弄されたラッパー、ミーク・ミルのような犠牲者が、曲を発表する。タイトルはズバリ“Stay Woke”。ハッシュタグをつけるだけではどうにもならない厳しい現実があったのだ。
「woke」の長期化はコンシャス・ラップへの注目度を再び高めるのか?
しかし、皮肉なことに、Wokeは、ほとんど意味を持たない言葉として日常生活で白人たちがカジュアルに使ったり、陰謀論者が、自説に目を見開かすために使ったりするような扱いを同時に受けていたのだった。
当初は、生命の危険にかかわり対応に急を要するようなブラック・ライヴス・マターのムーヴメントで扱われる案件に対応させていた「woke」だったが、思いのほか現状が改善されないため、「Stay woke」が長引き、そのために、流行り言葉の宿命とはいえ、わけのわからない派生用法まで出てきてしまったのか。
その最たるものが、このところ幅をきかせている、woke = 「過剰なまでのポリティカル・コレクトネス」というニュアンスのもので、左派をくさす時に使われたりしている。例えば、woke cultureなる表現が出てきたら、たいていこのニュアンスだ。
こうなると、何十年も前から今なお存在し続け、常に社会を強く意識している「コンシャス・ラップ」の、今も変わらぬ「コンシャス」の響きが恋しくなる。"Stay Woke"のイントロで、ミーク・ミルが噛み締めるように唱えるのは、いみじくも「コンシャス・ラップの古典」であるグランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴによる"The Message"の一節なのである。
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