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7Ars Electronica Festival 2016

人間をロボットに組み込んだ「テクノロジーの地獄絵図」は我々に何を訴えかけるのか

IDEAS LAB
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ライターabcxyz
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Photo: Magalie Fonteneau via PRIX ARS

これまでに「Zoomorphic(獣形)」シリーズとして、生物の中に生じたバグをロボットで再現する『Artificial Mi[s]tosis』(人工誤有糸分裂)、人の表情や動きを凝視するロボット頭蓋骨たちに囲まれるインタラクティブインスタレーション『Area V5』、それとは反対に、視覚を持たず手で目の前を人を触る盲目のロボット『The Blind Robot』などを作り出したルイ=フィリップ・デマーズ(Louis-Philippe Demers)。

彼は機械を媒体とする作品を生み出すアーティストであると共に、シンガポールの南洋理工大学Interaction & Entertainment Research Centre(インタラクション&エンターテイメント・リサーチセンター)の主任研究者であり、同大学でSchool of Art, Design and Media(芸術・デザイン・メディア学科)の准教授も務める。

彼がビジュアルアーティストのビル・ヴォーン(Bill Vorn)とArs Electronica Festival 2016(アルス・エレクトロニカ・フェスティバル)で披露した作品は、その名も『Inferno』。そう、「地獄絵」だ。

参加型のロボットパフォーマンス作品である『Inferno』は、参加者に機械部品を着用させ集団で同じ動きをするサイボーグの一部にしてしまう。

幾度となく繰り返される身体的な苦悩。心は自由であっても、終わることのない苦しみからは逃れることができない

作品のインスパイア元となったのは、13世紀イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの長編叙事詩『神曲』から「地獄篇 Inferno」。そして仏教の地獄からもインスピレーションを受けている。後者は、シンガポールにある儒教や仏教のテーマパーク「ハウパーヴィラ」(Haw Par Villa)にある仏教の地獄の10の審理「十殿閻羅」が影響を与えたのだそうだ。

どちらの描く地獄でも「大食の罪を犯せば食べれども満たされることがない罪を受ける」など特定の罪に対応した罰が与えられるという点で共通している。また、罰は直接的に肉体的な苦しみをもたらすものであって、精神面への罰は描かれない。幾度となく繰り返される身体的な苦悩。心は自由であっても、終わることのない苦しみからは逃れることができない、という事実が希望を押しつぶしていく。

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サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli)による『神曲』の挿絵『地獄の図』
via Wikimedia Commons

そんな地獄の描写から着想を得た『Inferno』では、人間が機械に体を動かされることで、永遠に続く地獄での罰が表現されている。幸いなことに参加する参加者たちの体はバラバラにされることも、苦痛を与えられることもないのだが。

その様子は人間とロボットとの関係性に関する問題を訴えているようでもある。彼らはプロジェクトをこう説明している。

人間とロボットの融合は、ある意味で、進歩のために犯されたテクノロジーの罪に対する罰の表現だ。

「ロボットは人間に隷属されている」...創造主の人間としてはそう思いたいが、実際には人間はロボットの奴隷になっている。労働の効率性を上げるため、楽に働くため、人を置き換えるため。自らの意思を持たない機械たちを生み出すという罪を犯した人間は、それを用いることで無意識的に自らに罰を与えているのか。

参加者が一様に同じ動きをするのはまるでスマートフォンなどのテクノロジーに自らの生活を支配され、「踊らされる」人間の風刺のようでもある。人間の身体表現としてのダンスとも、ロボットによる舞踏とも異なる、人間と機械が共存して初めて成し得る新しいダンスの形と言える

これはまるで悪魔との「分の悪い取引」のようでもある

見方を変えると、「個性」を良しとしない集団の中に身を置かざるを得ない状況からくる地獄にも思えてくる。はたまた、「他人と同じ」であることに安心し、その逆に「周りと異なる」ということへの不安から、ロボットのように皆と同じ行動を自分からとってしまう状況にも似ている。

他人と同じ行動をとることでもたらされる安心感、その代償となるのは自らの身体的自由だ。そう考えるとこれはまるで悪魔との分の悪い取引のようでもある。

しかし、いくら宗教が地獄の描写に力を入れ、地獄に落ちるという恐怖によって人々が罪を行なわないようはたらきかけても、もしくは法が刑罰によって現実味を伴った地獄を提示しても、いつの世にも罪の誘惑に負ける者は存在する。そして我々が普段何気なく接するテクノロジーにも、「利便性」という罪が組み込まれているのかもしれない。その代償になるのは、気づかないほどに巧妙な罰だ。人類の英知をまとめた百科事典が考える力を奪い、長距離を楽に移動する車は人間の健康と自然環境を徐々に蝕んでいくように。

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我々は自らの罪に気付かず、罰を受けていることをも知らない罪人なのだろうか?
Photo: Magalie Fonteneau via PRIX ARS

未来永劫、人類が続く限り、我々はテクノロジーという罪を背負い、償いながら生きていくことになるのか、それとも...。

生物とロボット、テクノロジーと人間。その関係性と相互依存性、功罪を描き出すルイ=フィリップ・デマーズが我々の向かう先に見出すものは、いったい何なのだろうか。