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テクノロジーからの孤独感が鳴らした警鐘。『MR. ROBOT』クリエイターが語る、ハッキングと社会不安

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The New Yorker誌が毎年開催する、注目の文化的話題を取り上げるイベント「The New Yorker Festival」にて、テレビドラマ『MR. ROBOT/ミスター・ロボット』の企画・製作総指揮を務めるサム・エスメイル(Sam Esmail)が、自らのハッキング経験や、ハッカーたちの社交不安、そして現代技術と孤独といったテーマを語っている。

こちらはAmazon Video UKによる『MR. ROBOT/ミスター・ロボット』シーズン1の予告編。この作品はセキュリティー会社に働く主人公の凄腕ハッカー、エリオットが主人公だ。

エリオットはMr.Robot率いる謎のハッキンググループ「f・ソサエティ」に勧誘され、世界最大の企業であり自身が働く会社の重要なクライアントであるEコープをハックする手伝いを依頼される。

番組で描かれるのは、ハリウッド映画によく出てくるような社会生活に何の問題も持たない天才スーパーハッカーの姿ではない。我らが主人公エリオットは、社会不安障害を持ち、時にどうしようもない孤独感に陥り部屋の片隅で一人泣く。人を知る手段は会話ではなく、その人物の私生活をハックして知ることにあり、幻覚も見れば想像上の友達まで作ってしまう。

動画はThe New Yorkerによるもの。「The New Yorker Festival」で壇上に上がったのは、左手よりThe New Yorkerのスタッフライター、パトリック・ラデン・キーフ(Patrick Radden Keefe)、ドラマでMr.Robot役のクリスチャン・スレーター(Christian Slater)、そしてドラマのクリエイターであるサム・エスメイル。今でこそ脚本や監督をするEsmailだが、カレッジ時代は彼もまた社会に適応しきれていないハッカーであったようだ。

カレッジではコンピューター・ラボにいた。ナードの居場所さ。僕は嫌な奴だったよ。権力嫌いで非協調的で、「何がどうなったっていいぜ」って感じだった。とにかく、僕はとても気に障る奴だった。当時の恋人はペンシルバニア州の小さなカレッジに通ってたんだけど、クールなところを見せつけようと思って、メールサーバーをハックしたんだ。当時は1995年、Eメールもインターネットもまだ真新しい存在で、当時誰も知識もなくて、セキュリティーもなかったから簡単にハックできた。彼女のEメールサーバーをハックして、「このカレッジ最低だぜ」とか「システムを停止しろ」とかいう内容のメールを送信して、彼女にいいとこ見せようとして、バカなこと書いてたんだ。すべて自分のいたワークステーションからね。だから簡単にIPをトレースバックされて、タイムスタンプもあるから誰が使ってたのかバレたんだ。

その後エスメイルはハッキングを止めた。

数々の大作映画で描かれてきたハッキングシーンによって、私たちの中には「ハッキング」という行為は「プログレスバーで進捗状況がわかる以外何が起きているのかはさっぱりわからないが、真っ黒なコンピューターの画面の中で、チカチカ瞬く文字の羅列を見つめながら、キーボードをカタカタさせる行為」そのものであるかのような印象が植え付けられた。言い換えると、パチパチと適当に配線を切っているようにしか見えない一昔前のアクション映画の爆弾解除シーンの現代版といった感じで、技術的な説明はないままに、ただハラハラさせるためのシーンというわけだ。

エスメイルはどうやらハッカーとしてはあまり腕がいいとは言えなかったようだが、ハッキングに関する我々の間違った認識を正してくれる。ハッキングとは彼曰く「システム中の人間のミスを見つけること」にある。

ハッキングは「システムに入って、コードを見たりして、スクリーン中に悟りをみつける経験」ではないんだ。ハッキングは欠点を見つけ、欠点を利用して、システム中の人間の犯した間違いを見つけることにあるんだ。これは時にはコンピューターの中で起こることですらないこともある。例えば、ポピュラーなハックとしてフィッシング詐欺があるけど、これは誰かに駐車場に落ちているCDやUSBを拾わせたりするのと同じことなんだ。

作中で描かれるハッカーである主人公エリオットは社会不安障害を抱え、周りの人々と関係を築くのに苦労しているが、エスメイルは実際のハッカーたちが抱える社会不安にも言及している。

多くの友達はテック系で、一部はハッカーなんだけど、そこには面白いサブカルチャーがあって、皆がみんなそうというわけではないんだけど、その中の多くは疎外感を感じていて、多くは大きな社会不安も持っている。これはたいていの場合描かれて・・・例えば『ソードフィッシュ』でのジョン・トラヴォルタは社会不安を持っていないだろ?(映画『サイバーネット』での)アンジェリーナ・ジョリーも社会不安なありっこなさそうだ。キャラクターに関しては、ハッカーの精神面が描かれたことはなかった。

ちなみに、『ソードフィッシュ』は「B級アクション映画としてはなかなか楽しめる」が「ハッカー映画としては失敗作」とWIREDに言わせた作品。『サイバーネット』はアンジェリーナ・ジョリーが主役となった初の映画だが、そこで描かれるハッカーたちやそのサブカルチャーの姿は素人目にも嘘っぽく映る作品だ。

The New Yorkerのラデン・キーフは、エスメイルが『MR. ROBOT/ミスター・ロボット』で描いていた疎外感と孤独に注目。ハックすることによって人々のプライベートに隠されている部分を知り、そうすることで彼らと繋がろうとする作品の主人公エリオットから見えてくる事柄についてエスメイルに話すよう促した。

「現代」というコンテクストで孤独について語りたい。現代のテクノロジーというコンテクストで。それらのテクノロジーは僕らを繋げるためにあるはずなのに、それらが余計に孤独に感じる原因となっている。エリオットに関していえば、周りの人々の非常にパーソナルな事柄を知っているのに、彼らを人として知らないという皮肉がある。それがテクノロジーの罠だと思う。

と答えるエスメイル。この「テクノロジーの罠」に陥っている人は多いのではないだろうか。知り合ったばかりの人とFacebookでつながり、彼らのフィードや過去の写真を見る行為はまさにこれに当たるだろう。そしてこのテクノロジーが生み出した罠は、現代人の孤独を深める要因ともなっているとエスメイルは語る。

例えば友達のジェニーが赤ちゃんの写真を載せていたら、そのせいで実際にジェニーに電話をしたり会って話したりしなくてもいい、代わりにメッセージでも送ればいいか、という気に...(クリスチャン・スレーター:「絵文字とかね」)絵文字、「僕の気持ちは笑顔の絵文字」だよとか、でもそこで終わってしまう。これの副作用は...あるTEDトークで、60年代から今までの統計で、アメリカでの人一人が占めるスペースは増えていて、人々が「親友」と考える人の数は減っているというものがあった。つまり僕らはより孤独になり、物理的にもより孤立しているんだ。これは残念なことにテクノロジー依るところが多いと思う。テクノロジーは「親密さ」という幻覚を与えてしまうからね。そういった皮肉をキャラクターとしてのエリオットに詰め込んだんだ。テクノロジーの中に人が自ら載せた詳細や個性の情報を知ることは、それはその人を知ることと同じことなのか?

画面上の情報のやり取りは、人間関係を築く助けになるか、それとも人との距離を遠くに追いやるものなのか。そして自分はネット世界の中に自らが置いた情報の集合体と言えるのか(この質問に興味のある人は、Channel 4 / NetflixのSFアンソロジーTVシリーズ『Black Mirror』の「Be Right Back」というエピソードで、死者のSNSの中の投稿を基に故人再現したロボットを作るサービスが登場するので見てみてもいいかもしれない)。

社会不安を持とうがもたまいが、ハッカーであろうがなかろうが、テクノロジーと人間関係をめぐるこれらの問いは現代人に通じるものだ。それらに頭を悩ませる我々テクノロジーの洗礼を受けた現代人たちの姿は、人との付き合い方に苦悩するハッカー、エリオットの姿にも照らし合わせられるだろう。だがその答えはそれぞれに出すべきものなのかもしれない。