【レポート】『Burning Man』で『Temple』が生まれて、消える意味
DIGITAL CULTURE『Burning Man』の日本での解釈は、これまでネバダの砂漠で行われる巨大な"レイブパーティ"や"音楽イベント"、"巨大アートフェス"であった。
しかしその真相は、生物が存在することも困難な、標高1000m以上のアルカリ質の砂漠の中、乾燥と昼夜の寒暖差の激しい苛酷な環境で生きる『コミュニティ&ライフスタイル』である。開催期間中は、アートや音楽に加えて、人同士が与え合う「ギフト文化」が全て『ライフスタイル』として成り立っている。それは、人生の中の生きる一部と照らし合わせることができる。筆者が『Burning Man』で体感した文化をお伝えする。
ネバダ州ブラック・ロック砂漠の中に毎年8月に突如出現するブラック・ロック・シティにて開催されるのが『Burning Man』。Playa(プラヤ)と呼ばれる平地帯に巨大なアートモニュメントが約250体以上立ち並ぶ。中には作品展示の後で燃やす事=Burnで作品パフォーマンスとして終演させるモノもある。
その中で一際目を引くのがおおよそ高さ約30mほどの巨大なインスタレーション、『Temple』である。毎年デザインは変わるが、今年は中国風の五重の塔の形をした巨大アートモニュメントだ。

『Temple』の外見は建築物だが、その本当の機能は、人々の追悼したい方への思いが集まる象徴として、人への手紙やメッセージ、写真、遺品、遺灰を崇めることで成り立つ参加型アートである。

『Temple』は、集まる人たちの宗教には関係せず、誰でも追悼することができるオープンな無宗教の場所である。写真の中にはアンネ・フランクやマイケル・ジャクソンなど歴史的に影響を与えた人物を追悼するメッセージ、自分のペットに対する手紙などが祀られていた。

「ありがとう、お父さん・お母さん」、「愛してくれてありがとう」、「永遠に私たちは一緒です」など、故人に対する深い感謝の言葉も多く見受けられた。
その中で、一番印象的だったのは 2016年2月にフロリダ州オーランドのゲイクラブにて起こった銃乱射事件の49人の犠牲者全員の写真と追悼のメッセージだった。

写真は『Temple』の建物のすぐ側の砂の上に綺麗に整頓して置かれていた。LGBTとして生きる彼らへの祈りの言葉から平和への思いが伝わり、涙があふれ出た。まるで、その場に49人が居る様で「私たちはここにいたんだよ」とこの事実を忘れないで欲しいと強く訴え掛けていた。これらの写真から発せられる無言のメッセージは心に響く。
『Temple』には、見た限りで1万は超えていた追悼者への写真とメッセージがあったが、筆者が強く感じたのは欧米の文化圏の人たちは死者を祀る人々の心の拠り所や、死者から残されて生きる者たちの癒しの場所が欲しいのだと悟った。
一見、Burning Manで面では騒ぎ自分たちを出し切るBurnnr(Buning Manの参加者の愛称)たちだが、内面はとても繊細で傷を負って生きている者が多い。その中でも"大切な人の死"という大きなどん底の悲しみを、同じ境遇に立った者たちの言葉でお互いを癒し合っているのだ。
『Temple』の周りでは、ずっと祈りを捧げる者や聖歌を歌う者、それらが無宗教で混在し合い、死がまるでアートの様に美しく感じられた。
この『Temple』は、日本やアジアの文化である禅や死者への追悼の文化を多く受けていた。日本三大霊場にて故人への言葉や遺品・小さな墓を手向けたり、ステッカーを貼る傾向が見受けられるが、それがこちらでは『Temple』であったのだ。
Burning Manで『Temple』を作り続けている、製作者のディビッド・ベスト(David Best)にクリエイティブの意図を伺った

「今から17年前に私の友人が自殺したのをきっかけに、自分たちのテーマキャンプの中で、『Temple』を作り友人の死を追悼した。それは私の心と自殺した彼の周囲の人たちの心の拠り所を作るためだった。最初の『Temple』に火を灯して燃やした時に、何故か気持ちが凄く落ち着いた。今後の希望としてフクシマに『Temple』を作り、人々を追悼する場所として心を癒す場所を提供したい」
デイビッドの話は真剣であった。同じ想いを持った者たちが彼の周りに集まりクルーとして『Temple』を作り上げていた。同様に、故人に対する想いを清められる場所を提供し続ける事が、彼の生涯だろう。
多くのアートモニュメントは、Burning Manの最終日に「Burn」される。人々は、燃えるモニュメントの周りに集まり騒いだりするが、この『Temple Burn』だけは意味が違った。『Temple』は『The Man』を燃やした翌日に燃やすが、人々は絶好調に達し興奮し活発的である"陽"の要素に満ちていた『The Man Burn』の時はあったが、対象的に『Temple Burn』では辺りは静まりかえり、胸に手を当てて黙祷する人々が溢れた"陰"の要素があった。

『Temple』に火が放たれ、一気に燃え上がり、グシャリと建物が崩れ落ちた瞬間、"ウウウーウウウー"と皆の声が一斉に上がる。その場にいた誰もが故人への思いや魂に最後の声を届けるかの様だ。燃え上がる『Temple』はまるで、日本のお寺行事のお焚き上げにそっくりだった。
『Temple』の大きな炎の熱量は燃え上がる中心部から200m程離れていても伝わるくらい熱かった。万人の想いが詰まった炎は天を貫き、空に舞い上がる灰はまるで死者が天国へ階段で渡るかの様に綺麗な一直線を描いて消えて行った。
小さな炎の熱量になると、皆『Temple』のあった場所で、最後の炎の鎮火を見守った。炎の周りでファイヤーダンスをする者、ずっと祈りを捧げる者 いつまでもその場を離れずにいた。その姿はまるで故人と一緒にこの場を過ごしているかの如く、いまこの時間この時を必死になって生きて過ごしているかの様だった。

『Burning Man』を開催する真の意味は、、『The Man』を燃やし、お祭りの部分である陽と『Temple』の陰の部分の融合であろう。炎で燃やす事で全てが"無"になり心をリセットさせてくれる。その行為が、人々の心に、新たな出発と決意を手助けし、生きる希望を照らすのだろう。
目的と価値消失
#カルチャーはお金システムの奴隷か?
日本人が知らないカルチャー経済革命を起こすプロフェッショナルたち