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5 #未来世紀シブヤ2017

追憶、渋谷ミニシアター文化が指し示す現在地

ARTS & SCIENCE
コントリビューター近藤多聞
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宮益坂上のシアター・イメージフォーラムから奥渋谷のアップリンクを結ぶ約1.5kmの直線上には、7つのミニシアターがある。これだけミニシアターが(あるいは映画館が)密集している都市は、世界中どこを見渡してもほかにはない。ミニシアターは、商業ベースではどうしてもこぼれ落ちていく映画が上映され、世界中の「リアル」がアクチュアルに体感できる空間である。それはすなわち「優れて世界と親密な空間」と言いかえてもいいだろう。

「渋谷系」という言葉を引き合いに出すまでもなく、渋谷は日本屈指の文化発信地としてさまざまなカルチャーを発展させてきた。ミニシアター文化もその文脈をくんでおり、渋谷を中心にして発展してきた。しかしながら、時代の要請によってミニシアターの立ち位置もめまぐるしく変わり、渋谷が牽引役の地位を保ち続けるためには、さまざまな紆余曲折を経なければならなかった。ここでは渋谷におけるミニシアターの歴史を4つの期にわけ、その変遷を追っていく。

第1期:セゾン文化とミニシアター

ミニシアターは、年度はじめにあらかじめプログラムが決められている東宝・東映・松竹といった従来のメジャー系シネマコンプレックスとは異なり、独自のプログラム編成を行なうことができる映画館である。1981年「パルコスペース・PART3」「シネマスクエアとうきゅう」が開館すると、ヨーロッパや第三世界を中心とする世界中の映画を伝播するあらたな映画館として一斉を風靡した。特に渋谷では1982年「ユーロスペース」1985年「シネセゾン渋谷」1986年「シネマライズ渋谷」「シードホール」1989年「ル・シネマ」など、多くのミニシアターが設立された。

なぜ渋谷に多くのミニシアターが生まれたのだろうか? 大きな理由はセゾングループの存在である。彼らは「感性の経営」「文化戦略」を掲げ、定量的なデータではなくブランディングを経営判断の中心に置く経営戦略をとった。池袋で順調に業績をあげてきたセゾングループは、1973年の渋谷へのパルコ進出にあたっては若者文化やアートとの融合を掲げ、大成功を収めた。やがてセゾングループは、渋谷パルコ1店舗のみではなく渋谷における新たな文化の創出にも乗りだす。

百貨店から先端の文化・情報を発信、客はまるでディズニーランドを回遊するように、渋谷に点在するギャラリーや劇場を巡って知的好奇心を満たす。快適なアメニティをロボットやニューメディアがバックアップしつつ、活動主体はあくまで人間本位。優れた文化を生む自由な社風と、互いに束縛を受けない緩やかな企業連鎖。重複事業までも認め、競合することが逆に発展的効果を促す

セゾングループの「文化戦略」より

セゾングループの掲げたフィロソフィーは若者を中心に絶大な支持を集め、渋谷に新たな文化を定着させた。それは、一言でいえば洗練されたアヴァンギャルド文化である。1970年代の日本文化はカウンターカルチャーの名残を感じさせる「アングラ」「アヴァンギャルド」の2軸が中心であったが、セゾングループは両者から間口の広い「アヴァンギャルド」を選びとり、より洗練していく方向に導いた。その方向性との親和性が高いミニシアターも、セゾングループの成功にともなって大きく発展した。

第2期:ミニシアター・ブーム

こうして渋谷に登場したミニシアターは、1980年代から2000年代初頭にかけて、カルチャーを好む若者を中心にブームを生みだす。

Video: シネマトゥデイ/YouTube

特に人気だったのは、渋谷スペイン坂の「シネマライズ」(現:WWW)である。シネマライズで上映されたフランスの神童レオス・カラックス監督の『ポンヌフの恋人』は若い女性が列に並び、リピーターを多数生んだ。また、現在でも根強いファンを抱える1996年の『トレインスポッティング』は、1館のみで2億3000万円、さらに2001年の『アメリ』は1館のみで2億8000万円と、驚異的な興行収入を記録した。シネマライズのキャパシティは1スクリーン300席であり、大人1,800円で1回の上映における収入の最大値が54万円だとすると、『アメリ』の興行収入は満員御礼を450回繰り返してようやく届く数値である。『アメリ』は、主人公アメリの髪型や劇中のクレーム・ブリュレが流行するなど、映画の外にも大きな影響を及ぼした。

当時の渋谷は、今以上に「自分ではない何者かになりたい」「人とは違う自分でありたい」というカルチャー好きの若者の変身願望を満たしてくれる街であり、フランス系オシャレ映画の極北といえる『ポンヌフの恋人』(ジュリエット・ビノシュとドニ・ラヴァンが花火とボウイをバックに踊り狂うシーンに感化されな化系の若者などいないだろう)、ヘロイン中毒の若者たちの破壊と再生を描いた『トレインスポッティング』、コミュニケーション不全のアメリが他人と向き合うまでを可愛らしいトーンで描いた『アメリ』は、そうした要請に応えるような映画であった。

当時はWebがないため「ぴあ」などの映画雑誌をこまめにチェックしないとこうした映画に出会うことは難しく、その分自分の人生にぴったりと当てはまる映画に出会えたときの喜びもひとしおだったのだろう。特に『トレインスポッティング』をめぐる当時の言説には「俺たちの」映画であるという枕詞がつくことが多く、その衝撃の大きさがわかる。こうして、ハリウッド大作を中心とするシネコン系映画ともシネフィル(映画狂)たちが観るような難解な映画とも違う、「カルチャー好きの若者たちを魅了するオシャレな映画」としての、ミニシアター文化が確固たるものとなった。

Video: Movieclips Trailer Vault/YouTube

第3期:DCPの導入とミニシアター閉館ラッシュ

だが、そんなミニシアター・ブームは2つの波の襲来により終焉を迎える。1つ目の波はバブルの崩壊である。バブルが崩壊し平成不況が始まると、人々の消費活動は抑制され、百貨店離れの動きが急速に進み、セゾン文化もカルチャーの中心から退いた。それにともなって、セゾン文化のパーセプションにある程度立脚していたミニシアターからも、徐々に人が離れ始めた。とはいえ『トレインスポッティング』『アメリ」はバブル崩壊後の映画であったように、バブル崩壊はあくまで間接的な原因でしかない。

もっとクリティカルな問題は「デジタル化の波の到来」である。2002年、完全デジタル制作による最初の長編作品『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』が発表された。以来、撮影のコスト・編集の容易さといった観点から映画界に急速にデジタル化の波が訪れる。

VIdeo: ディズニー・スタジオ公式/YouTube

デジタル化黎明期にはデジタル上映の機材を備えた映画館がほとんどなかったため、デジタル撮影された作品をフィルムに変換し上映していたが、その後デジタル化を加速するために、VPF(バーチャル・プリント・フィー)方式が導入された。VPF方式とは、これまで1館あたり20〜30万円ほどかかっていたフィルムの輸送費・現像費が、デジタル化によって0円になるため、その浮動予算を使って映画館がデジタル上映機材を導入するための費用の一部を配給会社が負担することで映画館のデジタル化を進める仕組みである。

VPF方式では、作品1本、1館につき配給会社が7〜9万円を支払う。いわゆるシネマコンプレックスを擁する大手配給会社にとっては、コストを大幅に削減できるというメリットがあるが、上映本数が限られているため、VPFサービス会社からの機器導入を断られたり、自己負担で機器を導入しても、VPF利用料の負担と得られる配収がスケールしないと判断した配給会社が配給を避けるという事態が発生した。このようにして、経営難に追い込まれたミニシアターは閉館の一途を辿る。渋谷では「渋谷ピカデリー」「渋谷シネフロント」「シネセゾン渋谷」「シアターN渋谷」など多くの映画館が閉館、そして、ミニシアター文化の中心にいたシネマライズも2016年に閉館した。

第4期:いま、ミニシアターは

そんな冬の時代を経て、ミニシアターも変革を遂げつつある。奥渋谷のミニシアター「UPLINK」は、「アップリンク・クラウド」をスタートさせた。アップリンク・クラウドは、劇場で上映している映画に関してストリーミング視聴ができるシステムである。アップリンクは、ネットメディアでの発信も盛んに行なっている。「webDICE」というオウンド・メディアで記事を発信し続けているほか、Twitterでのフォロワーは4万人近くにのぼる。

予算が限られており、TVや新聞などのペイド・メディアに配給作品の広告を打つことができないミニシアターにおいては、Twitterをはじめとするお金のかからないアーンド・メディアでの告知で作品の認知を広げ、オウンド・メディアで作品への深い理解と、小規模の映画館ならではの「距離感の近さ」を打ち出すことで観客との関係性を構築することが非常に有効な戦略と言える。その意味でアップリンクの戦略は今後のミニシアターのモデルケースであると言えるだろう。実際、ほかのミニシアターに来場する人々の多くが高年齢層であることと比べて、アップリンクに来る客層は非常に若い。他の映画館を見渡しても、円山町に位置する「ユーロスペース」はメルマガ配信や、映画館の下の階に落語やコントなどのライブエンターテイメントを上演する「ユーロライブ」を立ち上げるなど、若年層を中心に観客とのエンゲージメントを深めようとしている。宮益坂上の「シアター・イメージフォーラム」も、SNSを使って、精力的に情報を発信し続けている(フォロワーは約2万人)。

「良い映画を上映している」だけだと生き残れない時代に呼応して、渋谷のミニシアターはそれぞれのやり方で変革を遂げようとしている。ミニシアターは未だに世界を知るための最も優れた手段であると筆者は思う。近年のミニシアターのスマッシュヒット作を観ると、チリの奇才、アレハンドロ・ホドロフスキー特集(アップリンク)、インドネシアの虐殺に関わった人々に、その時の行動をカメラで再現させるという、ショッキングなドキュメンタリー『アクト・オブ・キリング』(シアター・イメージフォーラム)、DIYで作り上げた日本の戦争映画『野火』(ユーロスペース)など、ヨーロッパ映画が中心だったミニシアター・ブームの時代に比べ、多様性を増した面白い環境になっている。「良い映画を上映している」だけだと生き残れない時代は、逆に巧みな戦略があれば、今まで以上に良い映画を多くの人に観てもらうことが可能な時代でもある。今後の渋谷のミニシアターの動向には要注目である。

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