AIが“もうひとりの演奏者”。木村仁星が見せた、新しい表現の形

ARTS & SCIENCE
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Photo: Keiichiro Sato

AIが“演奏に反応して映像を描く”ライブを、あなたは体験したことがあるだろうか。2025年4月13日、東京・八丁堀のShinka HALLで開催されたコンサート『世界のスケープ』は、かつてない没入感を生むステージだった。

照明が落ち、最初の音が会場に響いた瞬間から、空気が少しだけ変わった気がした。静かで、でも確かに胸に残るものがあった。

この日ステージに立ったのは、ピアニストであり起業家でもある木村仁星(にせい)さん。AIを活用したWeb開発会社を経営する一方で、自身の音楽活動においても、「テクノロジーと人間の共存」をテーマに探求を続けているアーティストだ 。

写実から印象へ。そして、AI時代のアートへ

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Photo: Keiichiro Sato

開演前、木村さんはゆっくりとこう語った。

写真が発明された19世紀、写実画家たちは“カメラがあるなら自分たちは必要ないのでは”と考えた。でも、そこから印象派が生まれたように、今はAIに芸術の意味が問われているんです。

この日のコンサートも、まさにその問いに向き合う場だった。

ジブリの楽曲や映画音楽、そしてオリジナル曲。ピアノの音に合わせて、AIがリアルタイムで映像を生成していく。湖面に反射する光、ゆっくり回る星空、ふわりと舞う粒子。音とともに立ち上がる風景は、どこか懐かしくて新しい。

たとえば、あるオリジナル曲の静かな入りに合わせて、スクリーン上にゆっくりと綿毛のようなものが踊る。音が跳ねると同時に粒子が宙に舞い、まるでピアノが視覚そのものを奏でているような錯覚を覚えた。

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Photo: Keiichiro Sato

演奏の合間には、AIが生み出す映像に触発された即興曲も披露された。その時間はまさに、“今この瞬間”を共有する体験だった。

今回の演出が従来のコンサートと大きく異なっていたのは、視覚と聴覚が即興的に響き合うこと。AIは単なる背景演出ではなく、“もうひとりの演奏者”としてステージに立っていたのだ

そのため、一般的なピアノコンサートのように演奏者と観客が一体となって音楽に酔いしれる、というよりは、AIが音をどう捉えるのか、演奏をどう抽象的に可視化するのかを観客が“実験的に見守る”ような時間でもあった。

音と映像が“共鳴”する、反応型映像の仕組み

今回のコンサートで用いられたのは、「反応型映像」という手法。演奏をトリガーとして、プログラムがリアルタイムに映像の変化を生み出す仕組みだ。

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Photo: Keiichiro Sato

技術スタッフによれば、ピアノの音量、音域、テンポなどのパラメータをマイクやセンサーで取得し、それらをもとにビジュアルエフェクトを即時制御しているという。映像はプリレンダーではなく、演奏の“今”に合わせてその場で生成される。まさに音と映像が“共鳴”するシステムだ。

音に反応して映像が動くというのは、人にとってすごく直感的な体験。しかも、何が起きるかを完全に予測できないのが面白い。

と語ったのは技術を担当したスタッフの一人。即興性と計算が同居する映像表現は、舞台全体に独特の“生き物感”を与えていた。

従来の映像演出と比べて、視聴者の体験は圧倒的に能動的だった。視覚が音に反応して動くという直感的なリンクが、観客の身体感覚を巻き込んでいく。これは「観る音楽体験」とでも呼びたくなるような、新たなステージ体験だ。

「AIは、脅威ではなく共演者です」

終演後、木村さんに話を聞いた。

AIって、“使えば便利”とか“効率化できる”っていう話で終わることが多いんですけど、本質はそこじゃないと思うんです。

たとえば映像制作。これまではイメージの雛形を作るだけでも数時間から数日かかっていた。それがAIを使えば、数十分で済むようになる。

そうすると、表現したいことにもっと集中できるようになる。これはクリエイターにとってとても大きいことだと思っています。

木村さんは、画像生成AIやビジュアルプログラミング環境を駆使しながら、それを“自分の表現”としてどう消化するかを常に考えているという。

AIは脅威ではなく、共演者です」 その言葉には、技術を使いこなすだけではない、柔らかな距離感がにじんでいた。

芸術とは、問いを投げかけること

AIが表現の一端を担う時代に、人間の役割はどこにあるのか

たぶん“見た目のきれいさ”って、AIでももう十分できると思うんです。でも、“これにはどういう意味があるのか”とか、“なんでこれを作ろうと思ったのか”っていう部分は、人間じゃないと生まれないと思っていて。

マルセル・デュシャンの『泉』を例に出しながら、木村さんは“コンセプト”の重要性を語る。見た目よりも、作品に込めた「問い」や「ストーリー」。それこそが、観る人の心に残る。

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Photo: Keiichiro Sato

“それっぽい”ものなら、AIはいくらでも作れちゃう。でも“なぜそれを選んだのか”っていう軸がないと、たぶん人の目には留まらないと思うんです。

今回のようなAIとの共演は、単に“便利”や“新しさ”で終わらない。その背後に「問い」や「意味」がなければ、観客の心を動かすことはできない──そうした示唆が、この公演にはあった。

技術と表現のあいだに、人間がいる

AIへの不安や懸念についても、率直に語ってくれた。

たとえば、どのデータを学習させるかで結果が変わるし、特定の企業や国がAIを独占すれば、思想や行動まで誘導される可能性もある。だからこそ、“開かれた場”での議論がすごく大事だと思うんです。

一方で、AIは敵ではないとも語る。

AIと人間が、お互いの得意なところを担当すればいいんです。AIにはAIの強みがあるし、人間には人間の感性や判断がある。それを理解して、分担することが大事かなと。

終演後、出口付近では「これまでにないライブだった」「音を“見る”なんて驚き」という観客たちの小さな興奮の声が聞こえてきた。

新たな技術であるAIを受け入れるのに抵抗を感じる人は少なくない。それは自然なことだろうと思う。未知の表現に対して、私たちはまだ「問い」を抱えている段階なのだ。だが、少なくともAIの脅威を感じさせず、新たな可能性を提示した『世界のスケープ』の試みは観客に受け入れられていたようだ。

「こう生きていいんだ」と思えるように

『世界のスケープ』というタイトルには、“風景”の意味だけでなく、“自分自身の生き方”という想いも込められているという。

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Photo: Keiichiro Sato
途中であらかじめAI生成した動画も披露された。大好きなポメラニアンを登場させることで「自分らしく生きる」を表現したのだろう

AIとかテクノロジーとか、いろいろテーマはありますけど、僕にとってこれは“自分らしく生きていいんだよ”って伝えるための場でもあるんです。

既存の枠に縛られず、正解のない表現を重ねる。その姿は観客にとって、ただのコンサートではなく、何かを思い出させてくれる“時間”だったように感じた。

「AIが芸術を奪う」のではなく、「AIとともに芸術を育てていく」。 木村仁星は、その問いと向き合いながら、音を鳴らし続けている。

この“風景”が、これからどこまで広がっていくのか。 観客の胸に芽生えた戸惑いや感動ごと、この共演が次の表現につながっていくのか。 その続きを、またいつか見てみたいと思った。