60年で別人になった日本人——ヒットソングから読み取る、私たちの何が変わったか

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日本人は、まったく別の生命体になってしまったようだ。

1968年から2024年までの約60年間。時代ごとにさまざまな曲が流行し、人々の心を掴んできた。

そのヒットソングを辿っていくと、日本人の価値観がいかに変わってきたかが、驚くほど鮮明に浮かび上がる。

前編では、各年のトップソングを通して、価値観の変化を時系列で追ってきた。

後編となる本記事ではそこから一歩踏み込み、「人々の関心ごとがどう変化したか」、「性別役割がどう変化したか」、「テンポと社会状況の相関性」、「人々の感性がどう変化したか」の4つの観点で、より立体的に日本人の価値観の変遷を読み解いていく。

※ 本調査は個人レベルのリサーチであり、学術論文のような厳密性はないことには留意いただきたい。調査対象は各年のトップ3曲だけであり、ここで示す結果は時代全体ではなく、ヒット曲という一側面から見た傾向にすぎない。

60年でガラリと変わった、人々の関心ごと:集団から個人を経て内面へ

「別れることは つらいけど——」。1968年の年間1位、千昌夫の「星影のワルツ」が滲ませたのは、別れることになった思い人への哀愁と、共同体を前提に生きる昭和の人の姿だった。ところが60年後、2024年の年間1位、Creepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」は、「Who’s the best? I’m the best! Oh, yeah」と、自己肯定を高速なビートで歌い上げた。

Video: Creepy Nuts / YouTube

年間シングル上位3曲を時代別に調べると、日本人の関心は、「集団→個人→内面」と三段階で推移していっていることがわかる。

昭和のヒット曲の多くは、“別れ”や“家族”、“故郷”への哀愁をストレートに歌うもので、共同体の空気感をそのままメロディに乗せていた。自己実現を真正面から掲げる曲はなく、社会規範の中で揺れ動く個の葛藤と喜びを同時に描き出すような楽曲が多くを占めていた。

様相が大きく変わるのが、バブル崩壊後の1990年代前半だ。不安な現実を乗り越えるかのように、“夢”や“未来”をキーワードに掲げ、“自由”や“自分らしさの確立”が推奨され始めた。「世界に一つだけの花」(2003年)は、個の多様性に市民権を与えたエポックメイキングな曲である。

2010年代のSNS時代以降は“本音の開示”が加速し、内なる痛みを洗練された比喩で共有した、内省的な歌詞を持つ楽曲のヒットが常態化する。そして現在では、歌詞で描かれる感情は遥かに複雑化し、揺らぎゆく個を肯定的に晒す段階へと入ってきた。

好景気と強固な共同体を背景にした昭和の楽曲が、「集団の中で涙をこらえる歌」だとすると、不景気と震災を経た平成の曲は「夢と不安を抱え自分を語る歌」、そして孤独なコロナ禍を超えた令和の曲は「複雑な内面を世界に共有し合う歌」と言えるかもしれない。

ヒット曲は、まさに社会の鏡であり、処方箋だった。ヒット曲を追えば、日本人の価値観が「集団で同じ方向を向く社会」から「違いを持った個がゆるくつながる社会」へと確かに歩んできたことが見えてくる。

性別役割の移り変わり:女性像、男性像はもはやないものに

この60年間の価値観で、大きく変容した代表例がジェンダーをめぐる社会的な認識である。ヒットソングを見ると、それは一目瞭然だ。

1960年代後半、70年代前半。小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」(1972年)で、「あなたの島へ お嫁にゆくの——」と、新たな門出における切なさと希望が歌われたように、昭和の女性像は哀しみがあっても社会規範に沿って前へ進んでいく“耐える女”、“尽くす女”が中心だった。この時代の多くのヒットソングが女性視点であり、男性の感情を語る曲が少ないことも興味深い。これは翻って、当時の男性像が弱みを見せない“強い男”であったことが理由なのかもしれない。

変化が見え始めるのが、1970年代後半である。ウーマン・リブ運動の風が吹いている時代。ピンク・レディーが、これまでになかった能動的な女性像を打ち出しヒットチャートを賑わせた。

バブルの好景気を背に受ける80年代は、性別役割の大きな転換点となった時代と言える。中森明菜の「DESIRE -情熱-」(1986年)は、女性の欲望を言語化し、女性自らが情熱を宣言する時代の扉を開けた。同時に男性像にも大きな変化が起きている。男性視点で別れた恋人への心情を歌った寺尾聰の「ルビーの指環」(1981年)のヒットは、男性の弱さ、“傷つく男”像が、世間で受容され始めたことを表しているのではないだろうか。

Video: DREAMS COME TRUE / YouTube

バブル崩壊後、この方向性はさらに加速していく。DREAMS COME TRUEの「LOVE LOVE LOVE」(1995年)や、浜崎あゆみの「independent」(2002年)で、女性が自らの心情や生き方を宣言していくことが当たり前になった。一方の男性像は、Mr.Childrenの「名もなき詩」(1996年)のように、内省的な領域へもどんどんと広がっていく。かつての女性像、男性像が逆転したと言うべきか、あるいは平等になったと言うべきか。この辺りから、固定的な性別像が消失して、個の方向へと向かっていく

現在のヒットソングでは、固定化された性別役割が歌詞に落とし込まれることはほとんどない。歌われている視点も、どの性別での視点なのか、判別不明なものが多い。主流となったのは、男女の分け隔てない、自己肯定と内省が両立した“多面的”な心情を描く歌である。

60年代後半から70年代あたりまでは「耐える女と強い男」であったものが、バブル期に「欲望を語る女と涙を見せる男」へ転換。90年代以降は自立と内省が標準化し、令和には性差による視点はもはや意味をもたなくなりつつある。現在、音楽における男女像は、もはや物語の主語ではなくなった。“私”という複数の個の感情が、多彩な声で共鳴している。

テンポが映す、時代の鼓動:好景気には高速ビートに、不景気にはスローテンポに

ヒット曲のテンポは、その時代を生きた人々の鼓動そのものだ。今回のリサーチでは、ヒット曲のテンポも時代ごとにまとめてみた。

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Image: 小野寺しんいち
時代ごとの各テンポの楽曲数割合

60年余りを振り返ると、まず1968〜69年はスローテンポの曲が7割弱を占める。都会への人口流出で「星影のワルツ」(1968年)や「港町ブルース」(1969年)が心に沁み入るようになった頃、人々は故郷やかつての恋人との断絶を癒す、“夜の歌”を求めたようだ。

70年代でも依然としてスローテンポの楽曲が半数を占める。ただ、オイルショックで足取りは重いものの、ピンク・レディーのアップテンポな曲が登場し、テレビ越しの解放感が芽生え始めた。

80年代、バブル景気の高揚でアップテンポの曲の比率は33%へ急上昇。「パラダイス銀河」(1988年)や「CHA-CHA-CHA」(1986年)などダンス/ディスコ調の曲が、好景気と消費社会の熱気を伝えてくれる。

Video: Mr.Children Official Channel / YouTube

潮目が変わるのは90年代だ。バブル崩壊と阪神淡路大震災を経て、多くの人が立ち止まった。ミディアムテンポの曲は6割弱に膨れ上がり、「innocent world」(1994年)や「名もなき詩」(1996年)といった曲が、昂るわけでも、落ち込むわけでもなく、冷静に困難を乗り越えようとするマジョリティの心拍数を刻む

続く不況と、テロや金融危機を超えた2000年代は、喪失を抱いて癒やしを求める時代だった。アップテンポな曲は鳴りを潜め、「TSUNAMI」(2000年)や「千の風になって」(2007年)が静かに人々を包み込み、スロー比率が再び4割へ上昇した。

Video: avex / YouTube

ところが2010年代、SNSと動画文化が「拡散」という新たな音楽体験をもたらすと、アップテンポな曲が40%に跳ね上がる。みんなで踊れる「R.Y.U.S.E.I.」(2015年)や「恋」(2017年)が、重苦しい世相を吹き飛ばすように人気になった

Video: HYBE LABELS / YouTube

コロナ禍を含む2020年代はさらに複雑だ。画面を通して「Dynamite」(2021年)や「Bling-Bang-Bang-Born」(2024年)が爆発的なヒットとなり、アップテンポな曲が初めて最大派閥となる。ただ歌詞を見ると、バブル期のそれとは異なり、複雑な現実を一瞬忘れさせ、自分を鼓舞するような、起爆剤的な役割として機能しているようにも思える。

さらに興味深いのが、「W / X / Y」(2022年)や「晩餐歌」(2024年)などスローな曲も再び人気を集めていることだ。スロー27%、ミディアム40%、アップ47%という比率は、他の時代には見られない、すべてのテンポが並列に人気を集めていることを表している。人々は内省的で、孤独への癒しを求める一方、一斉に跳ね上がる瞬間も欲するような、二極化ではなくハイブリッド化へと進んでいるのではないだろうか。

こうしてみると、テンポの波形は景気曲線と災害年表、そしてメディアの変遷に呼応する。好景気のときは速いビートで人生を謳歌し、不況と災禍のときは遅い鼓動で傷を癒す。やがてネット時代が到来すると、私たちは”癒やし”と”昂揚”を同時に欲する多層的なリズムを奏で始めた。

ヒット曲は単なる娯楽ではない。社会がどんな速度で呼吸していたのかを記憶する、心拍計なのかもしれない。

深化した、日本人の感性:まっすぐな感情から、言葉にならない領域へ

1968年のトップソング「星影のワルツ」と、2024年のトップソング「Bling-Bang-Bang-Born」を比べると、歌詞のボリュームは約7倍に膨らんでいる。

この差は単なる文字数の増加ではない。言葉が増えたぶんだけ、感情の層も複雑になり、物語は単線から多層へと変化した。

たった一つの別れを静かに歌っていた時代から、矛盾や葛藤、欲望や肯定が入り混じる“むき出しの私”をリズムに乗せて叫ぶ時代へと日本の楽曲は進化してきた。

歌詞の長文化は、日本人が抱える感情の深さと複雑さが、時代とともに確実に広がってきたことの証だ。

ピンキーとキラーズのポジティブな感情を歌った曲「恋の季節」(1968年)にしても、藤圭子の人生の葛藤をテーマにした曲「圭子の夢は夜ひらく」(1970年)にしても、1960年代後半、70年代の楽曲で取り上げられた感情は今と比べるとシンプルなものだった。

歌われる感情といえば、“別れの哀しみ”と“浮き立つ恋心”の二大看板だ。“嬉しさ”、“哀しさ”、“切なさ”を歌うストーリーラインは明快で、純粋無垢な感情表現がむしろ美しく見えてくる。

変化の兆しが見え始めるのは、80年代だ。安全地帯が「ワインレッドの心」(1984年)で、「消えそうに燃えそうなワインレッドの心」と表現したように、情熱と理性の間で揺れ動く複雑な恋愛感情に踏み込んだ。

禁断の恋を歌った小林明子の「恋におちて -Fall in love-」(1985年)や、抑えきれないほどの情熱を歌った中森明菜の「ミ・アモーレ」(1985年)など、歌われる感情は多様になっていく。

Video: Hikaru Utada / YouTube

この傾向は90年代、2000年代も続き、歌詞はかつてよりもさまざまな感情を扱うようになり、比喩表現も豊かになった。特に、宇多田ヒカルに代表される若い世代のシンガーは、「Wait & See 〜リスク〜」(2000年)で一見相反するものに思える“恐れ(リスク)”と“希望”を融合させたように、新しい感情を次々に定義していった。

より深化を極めるのが、2010年代後半。米津玄師の「Lemon」(2018年)と、Official髭男dismの「Pretender」(2019年)は、より複雑化した社会にある言語化しづらい感情を巧みな表現に落とし込み、大ヒットを記録した。

「Lemon」は、単なる“哀しみ”と捉えられていた感情を、“苦しみ”、“受容”、“後悔”、“微かな希望”と複数の感情に細分化して捉え直し、それらを交錯させて歌い切る

「Pretender」では、「グッバイ」の一言に、未練、諦念、自己肯定を重ね、複数の感情をワンフレーズに落とし込んだ高度なレトリックも秀逸だ。

Video: Vaundy / YouTube

この流れを汲む2020年代の曲は、過去とは比べられないほど多層的な構造になっている。Tani Yuukiの「W / X / Y」(2022年)、Vaundyの「怪獣の花唄」(2023年)、tuki.の「晩餐歌」(2024年)といった楽曲は、もはや歌い手完全個人の独白のように、深く深く個人の歪で繊細ながらもまっすぐな想いを紡ぎ出す。

これらの楽曲は、感情を整理してから言葉にする従来の歌詞のスタイルから一歩踏み出し、「言葉にならないものを、言葉の断片で並列に提示する」という、極めて現代的な手法を確立している。

高度経済成長と終身雇用が機能した昭和は、ライフコースも感情表現もパターン化されていただろう。しかし、バブル崩壊、非正規雇用拡大、震災が立て続けに起こった90年代を転機に、人々は“モデルなき人生”を歩み始め、それぞれが異なる痛みと願いを抱えて生きるようになっていった。こうした人々の変化に合わせて、ヒット曲も多層的な感情を同居させる必要に迫られたようだ。

いまや私たちの聴取体験は、矛盾する感情をそのままに公開された楽曲に、自分の多層感情の一部を重ね合わせて共振するフェーズにある。

昭和時代の楽曲に慣れ親しんだリスナーには理解し難い歌詞表現かもしれないが、昨今の楽曲は、現代日本人が感じている“揺れそのもの”を肯定する賛歌だと言えるのかもしれない。

人類になくてはならないもの、音楽

以上、膨大な量のヒットソングを巡る旅は、終了を迎える。筆者個人としても、これだけ時代を横断して、さまざまな種類の曲を一挙に聴いた経験はなく、驚きと感動にあふれた調査となった。

次の10年、AIによる作詞やメタバースの拡大が進めば、楽曲はさらに個別化、内省化していくだろう。ひとり一人の心象風景にリアルタイムで寄り添う“可変式の音楽”が当たり前になるのかもしれない。誰もが“自分だけの歌”を持つ時代だ。

だが、どんな技術が生まれようと、音楽の本質は変わらないだろう。いつの時代も音楽が、昂る感情を揺らし、傷ついた心を癒し、人間同士の絆を深めてきたように、人間にとってはなくてはならない文化なのだ。

音楽はただの娯楽ではなく、私たちの“感情の年表”だ。時代が変われば、歌われる言葉も、響きも変わる。それでも、人が人である限り、音楽はきっとそこにある。60年という長い年月の中、「人々の心の代弁者」としての役割が唯一変わらなかったことが、それを証明しているのではないだろうか。

Source: オリコン年間シングルランキング, Billboard Japan Hot 100 Year End | Charts, 博報堂生活総合研究所