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9 #未来世紀シブヤ2017

「2010年代オルタナティブ渋谷」の震源地~ヴィンテージ・ショップ「BOY」は何故、新たなカルチャーの拠点となったのか?

ARTS & SCIENCE
ライター柴 那典
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ヴィンテージ・ショップ「BOY」は、なぜ渋谷の新たなカルチャーの拠点となったのか?

そう言われても、そもそも店の名前すら知らない人のほうがまだ多いかもしれない。渋谷は宇田川町、東急ハンズの真向かいにある「ノア渋谷ビル」というマンションの一室。3Fの扉をあけるとその店はある。扉を開けると、古着とCDと本と奇妙なオブジェたちが出迎えてくれる。壁にはフライヤーや雑誌の切り抜きやライブハウスのゲストパスなどが貼られて渾然一体としたムードを醸し出している。雑然としているが、不思議と居心地がいい。レジ前には一押しのバンドのCDが置かれている。

オーナーは、TOMMY(トミー)の愛称で親しまれる奥冨直人。「fashion & music」をコンセプトに店を立ちあげた彼の元には次第にミュージシャンが集まり、イベントやDJを通してその名は徐々に広まっていった。DAOKOやnever young beachやyogee new wavesなど、店がいち早くプッシュし世に知れ渡っていったアーティストも数多い。

SNSが普及し、世界的な潮流として都市がショッピングモール化している2010年代の現在。かつてカルチャーの孵化装置であった「ストリート」という概念は、今も渋谷という街に存在しうるのか? BOYという店がやっていることは、大袈裟にいえば、そのことへの一つの回答に思える。奥冨直人に、そのあたりのことを聞いてみた。

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──今回の取材では、BOYという店がどのようにしてカルチャーの拠点になったのかを聞きたいと思ってます。まずこの店はどう始まったんでしょう?

TOMMY:オープンは2009年の2月ですね。その時は円山町にあった前の会社のお店ですけど、その時から店長でずっとやらせてもらってます。

──当時の奥富さんはまだ学生だったんですよね。

TOMMY:そうですね。当時は服飾の専門学校に通ってたんですけれど、高校時代から渋谷でよく遊んでいたっていうのもあって、ファッション誌に載る機会はあったんです。ウェブ媒体も増えてストリートスナップが盛りあがってきている時代で。それで10代後半の頃に自分もそういう媒体に出始めて。いろんな古着屋に行っていたんですけど、特によく行くお店の系列の新店舗で働かないか?という話があった。それがBOYの始まりですね。19歳、専門学校1年のときです。

──ちなみにどんな媒体だったんでしょう?

TOMMY:STREET編集室が発刊していた『TUNE』メインで、表紙になったりもしてました。あと『Men’s NON-NO』等、ほかの雑誌に載る機会もありましたが、やっぱり『TUNE』の影響はすごくありましたね。

──そういうところに載って名前も知られるというと、今の時代で言うインフルエンサーみたいな感覚だったと思うんです。

TOMMY:そうですね。

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Image: Victor Nomoto - METACRAFT
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Image: Victor Nomoto - METACRAFT

──そういう、自分の影響力を使って面白いことろをやろうという発想は当時からありました?

TOMMY:僕もずっと音楽は好きだったんですけど、当時気持ちがファッションに向かってたんで、音楽のことをお店に絡めようとは最初は正直思ってなかったんです。でも、渋谷近辺で同じように遊んでる友人が増えていたので、次第に自分のイベントをやるようにはなってましたね。中3から高2くらいまでは地元の埼玉でバンドをやったりしてたんですけど、高3で新宿のスモーキン・ブギというハコを借りてイベントをやりはじめ、18のときに新宿ロフトを借りたり、翌年に渋谷屋根裏2daysイベントをやったり、いろいろやってました。若かったから目立ちたい気持ちもすごくありましたしね。

──でも、それとお店とは別物だった。

TOMMY:別でしたね。お店の1周年パーティーだったり、節目のイベントは行っていましたが。ただ、今考えたら不思議ですけど、そのときから自分の個人的な趣味趣向が何故か入ってるラインナップになってたんです。ART-SCHOOLの木下理樹さんとか当時Riddim Saunterにいた古川太一さんにDJをお願いしていて。そういった方々とも19歳くらいのときには知り合ってたんだなあと。ただ、やっぱり基本的に古着屋の会社だし、自分も古着屋の人間なので、音楽は好きだけどそれを仕事にしようという気持ちは拡がっていかなかったです。ただ、やっぱりきっかけになったのはDAOKOですね。DAOKOの投稿した動画を初めて観て、衝撃が走りました。この人が音源を作るなら、それを置かせてもらいたいという感情が初めて芽生えましたね。その後、LOW HIGH WHO?というレーベルと交渉してCDを置けることになって。

──初めてDAOKOの曲を聴いたときの衝撃は、何が大きかったんでしょう?

TOMMY:『戯言スピーカー』という初音ミクの曲にラップをのせてたんですけど、曲がいいし、映像もいいし、何より声があまりにも衝撃だったんですよね。当時は高校生になったばかりで、15歳の子の不安定さと声の震えのビブラートの感じ、繊細さ、儚さ、すべてが自分の好きな青い像にハマって。そこでアポをとったらアルバムを半年後に出すって話だったので、それをどうしても置きたいと思って、以前の会社にお願いして初めてCDを取扱わせて頂きました。発売日以降、お店でかけてたら『これ何ですか?』って買う方がどんどん増えて。結局3、4日で完売したんです。そのときの喜びは大きかったですね。好きな音楽が売れていく快感と同時に、何か自分の音楽的センスも認められた感じがして。そこからDAOKOちゃんもよくお店に来てくれるようになったんですよね。そこから友達も繋がっていって、セカンドアルバムで『BOY』という曲を、高校2年のときに作ってくれたんですよ。

Video: lowhighwho/YouTube

──あれ、いい曲ですね。最後のラインに《案内しよう この街の誇れるお店を》とある。

TOMMY:僕もすごく好きですね。初めてLOW HIGH WHO?のParanelさんから『BOY』という曲を聴かせてもらったときは本当に衝撃的で。音楽の夢は一度諦めていたけど、こうやって一人の高校生の女の子が影響を受けたことを曲に残してくれた。それが大きかったですね。そこからしばらくして、会社を辞め独立に向かって動きだしました。名前も変わらず『BOY』で引き継がせてもらって、そのときは24歳で漠然とした自信があって。次はCDを売ったり、今まで自分が溜め込んだアプローチをしたいと思った。で、最初はDAOKOちゃんのインディーズ時代の音源とか、あとはjan and naomiというアーティストのレコードを置いたり、コツコツやり始めたんです。これといったノウハウもなく、とりあえずそのときいいと思えるものを置き始めたんですけれど、その後すぐにyogee new wavesやYkiki Beat等、世代の近いバンドと出会って。Ykikiは『Forever』の7インチを作ったときだったかな。

Video: Ykiki Beat/YouTube
Video: Yogee New Waves/YouTube

──どういうきっかけだったんですか?

TOMMY:Ykiki Beatはヴォーカルの秋山くんと僕の仲のいい友達が同じ大学だったんです。年は下だったんですけど、おしゃれな子や音楽好きな子が多い学校で。その中のコミュニティで知り合ったんです。yogee new wavesは、道を歩いていて知り合いました。

──道を歩いて!? どういうことですか?

TOMMY:サーキットイベントのときに下北沢を歩いていたら友達がいて、『バンドやってるんだよ』って紹介されて。なんで、ほんとに出会いはストリートです。

──最初は円山町だったとのことですけれど、今の場所に店を選んだのは、どういう理由だったんですか?

TOMMY:やっぱり音楽ですね。まずは自分がライヴハウスに行きやすい。あとは、自分が想像する渋谷系のイメージもあって。

──BOYの入ってるマンションはかつて90年代に「ZEST」のような渋谷系のムーブメントを牽引したレコードショップがあった場所ですからね。

TOMMY:当時の空気はどうしても同じには体感できないと思うんですけれど、近いものはあるかと思います。あとは、古着屋がないエリアで古着屋をやりたいっていうのもあって。原宿でやるよりは、アクセスがよかったりライヴハウスが近かったり、まず何より友達がたくさんいるエリアでやろうってのが大きかったですね。

──奥冨さんの審美眼やセンスについても訊きたいんですけれど。そもそも最初に「これは!」という衝撃を受けた音楽って、どの辺なんですか?

TOMMY:小学生の頃はテレビっ子だったんで、そこからですね。日本だとミスチルの『深海』とか『Dicovery』あたり、あとスピッツ、イエロー・モンキー、ラルクも好きでした。ポップチャートにいるけど、なんか暗いというものにロック性を感じていました。野島伸司作品とか『ぼくらの勇気 未満都市』とか、ああいう世紀末の暗さみたいなものにも近い気がします。

──そうなんですよね。あの時代はみんな暗かった。

TOMMY:そうなんです。そこに影響を受けたんで。そういうものがポップチャートにあるのが好きだったんです。こんなに売れてて支持されてるのに、すごく儚い美しさがあるというか。そこになぜか惹かれた。今でもそういう好みはあると思います。それこそDAOKOちゃんに反応したのはその感覚だと思うし。でも、その頃にはDragon Ashにもハマってて、小学校の頃から裏原とかストリートファッションにも憧れてて。あとは2000年代のジャパニーズ・ヒップホップ、例えば、KICK THE CAN CREWとかRIP SLYMEがチャートにがんがん入ってきてる時代も好きだったので。その頃のJ-POPも好きですね。

──自分の音楽やカルチャーの遍歴と、今のBOYの店作りやコンセプトって、どう繋がっているものだと思いますか? というのも、ここに来ると、単にCDと古着を両方置いてるというだけじゃないことがわかる。雑然としてるようで居心地がいい空間全体を作っているという。

TOMMY:そうですね。壁に貼ってるのも日に日に増えてるので。とにかく『俺はこれだ!』って決めちゃうより、いいと思ったものを何でも拾いあげるところがあるのかもしれない。性格的にもそうで。学生の頃からオタクでも不良でも友達は友達だし、それが自分にとっての普通で、グループ意識や価値観の押しつけに左右されたくないっていう感じでずっとやってきたので。音楽に関してもそうですね。一時期シティポップって言葉が増えた頃に『BOYはシティポップ系置いてますよね』と言われるようになったりしたんです。それはいいんですけど、読み取りがあまりにも浅いなって思うんですよね。もっと振れ幅がある。本来一つのジャンルに偏ってイメージをつけるほうがファッション含めやりやすいかと思うけど、僕の場合は、そこにJ-POPもあるしシューゲイザーもあるし、いろんな音楽から影響を受けてるから。ファッションもそう見てるんですよね。

──今の話、すごく面白いですね。まず大きいのは「オタクとも不良とも友達になれる」というところ。だから人の輪が広がっていく。

TOMMY:そうですね。CDを置くお店はほかにもあると思いますけど、やっぱり自分はいろんなとこに行くし、いろんなイベントにDJとして出るし、ライヴハウスのスタッフと友達になったりして。いろんな情報をお互いに交換し合う。それが違うんでしょうね。面白いと思うことに対して、自分の壁がないんですよ。しょうもなかったら壁はあるんですけど。

──今日、店に入ったら、一番目につくところにニトロデイのCDが置いてあったんですけれど。彼らとの出会いは?

TOMMY:友人バンドの以前のマネージャーさんが久しぶりにお店に来て、新しくバンドを担当するので良かったらと、CDを聴かせてくれて。それがものすごいよかった。単純にそれだけです。彼らが影響を受けたようなグランジは中学生の頃に好きだったんで、原点みたいな感じもあるし。で、ライブを観たらめちゃくちゃよかったんで「これだ!」って思って。そこからSNSでもシェアし続け、ミュージシャンの友達にも送ったりしました。感度がいいと思う人に送って、そこから徐々に広がっていけばいいと思ってますね。

Video: LastrumMusic/YouTube

──今の時代、仰ったようにSNSもYouTubeもあるわけですよね。でもそのいっぽうで、おそらく渋谷で店をやっている利点もあると思うんです。そのあたりはどうでしょう?

TOMMY:実際、お客さんから得るものは大きいですね。そこからの情報交換もしてるし、自分も誘えるし。

──ふらっと入る場所って言うよりは、ここを目当てに来て扉を開けて入る場所ですもんね。

TOMMY:そうですね。うちはかなりお客さんと喋ります。何年かやってると、音楽の仕事をしたいっていう学生のお客さんにライヴハウスのバイトを紹介して、そこに自分がDJとして出たりすることもあるんですよ。そうしたらまた新しいコミュニケーションが生まれたりして。お客さんにはいろんな場所を紹介しますね。そうしてクラブとかライブハウスで出会って乾杯したり。僕、音楽に関してもそうですけれど、とりあえず人間的な部分全開でいいかなって思うんです。とにかくウソのない感じで、素直にやる。特にうちみたいな店はウソをついたら終わると思うので。

──そのウソのない感じを守るために、自分に課しているルールってありますか?

TOMMY:自分のセンスを信じることじゃないですか。最近『これがいい』ってみんな自信をもって言えなくなってると思うんですよ。SNSでも意見が違うだけで敵だ味方だってなるし。そういうことに対してすごくシビアになっている気もするし。だからSNSをやらない子も増えてる。でもうちの場合は、自分のセンスを信じてなかったらこういうことをやるのは無理ですからね(笑)。

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Image: Victor Nomoto - METACRAFT
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Image: Victor Nomoto - METACRAFT

──渋谷という街についても話を聞ければと思います。奥冨さんが渋谷で遊んだりするようになって10年以上経っていると思うんですが、街はどう変わってきたと思いますか?

TOMMY:自分の年齡とか遊び方が変わってきたのもあるんですけど、すごく単純にいうと、SNSで外に出なくなった人と、外に出るようになった人がいると思いますね。あとは、音楽にも言えますけど、『ここで遊べ!』という圧力みたいなものが、ちょっと今は強い気がしますね。自分で遊び場をディグする感じが弱い感じがします。ただ、街はどんどん綺麗になってるし、新しいものができてる。人は増えてる印象ですけどね。

──僕も街を見てて思うことがあって。2000年から2009年、つまりSNSとスマホが普及する前のインターネットは、ベッドルームが溜まり場だったと思うんです。だけど、2010年代に入って、人々が外で位置情報とともにインターネットを使うようになった。そういう情報技術が街の風景を変えたと思っていて。

TOMMY:そうですね。

──あと大きいのは観光客が増えて、観光地化している。

TOMMY:そうですね。去年の年越しのカウントダウンのときに渋谷にいたんですけど、深夜の1時くらいのセンター街はほとんど外人で。そんときにも思いましたね。あとはスクランブル交差点で自撮りしてる人がすごく多くて。あんなにいたっけ?って。

──おそらくあのスクランブル交差点って、東京という街の一つのランドマークになってるんでしょうね。ロンドンとニューヨークとシンガポールにそういうものがあるのと同じように、都市の一つの象徴になっている。

TOMMY:たしかにそうですよね。

──で、僕はいろんな都市に行って思うんですけれど、どこに行ってもショッピングモールがあるんですよ。どの国でもGAPやUNIQLOがあって、いわゆるファストファッションの品揃えは確実に同じものになっている。グローバルなポップチャートを見ても同じことを思う。だから、音楽にしてもファッションにしても、実はBOYのような、その人の好みだけでやってる小さな店のようなものが細かいパーツになってその街の性格を左右するかもしれないと思っているんです。そのあたり、大きな話ですけど、どんな風に思います?

TOMMY:渋谷にもファストファッションのビルも増えましたしね。それでいうと、やっぱりうちのやってることはマスのイメージからは浮いてると思います。でも、だからやりやすいというのはあるんでしょうね。メインストリームとは外れたことをやってるのが、お客さん的にも面白いという。あとは、このエリアにはDIYでやってる人が結構いるので。そういう意味では、渋谷はポップだけど、すごくオルタナティブな街でもあると思う。自分でいくらでも遊びを作れる街です。だから、自由な姿勢でいると『今、渋谷のここに行く!』っていうのが、その時々で違ってくる。それを全部吸収して好きなものが増えていく。それはいいことかなって勝手に思ってます。

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Image: Victor Nomoto - METACRAFT

──この取材もそうですけれど、BOYはここのところ新しい世代の渋谷のファッションと音楽を象徴するような店として注目されるようになってきた流れはあると思うんです。そういう実感っていつ頃からありますか?

TOMMY:最近ですね。1年は経ってないかな。去年の12月に『オーリー』という雑誌でART-SCHOOLやTHE NOVEMBERSやOKAMOTO'Sのレイジくんはじめ、BOYが仲のいいミュージシャンを集めて写真を撮りたいという依頼があって。その時くらいから徐々に感じてますね。店に来る人が年々面白くなってるんですよ。誰かに『勢いがあるね』みたいに言われて感じたというより、その実感が一番大きいかもしれない。僕個人に振られるのも面白い話が増えているし。全ての活動が結びついてきた感じはしますね。共演したバンドの方々が店に来てくれたり、大事に思い合える人たちが集まってきている感じがする。お客さんが年々濃くなってる実感がある。店はめちゃめちゃ楽しいですね。

──ちなみに、自分がやってて、同じスタンスを感じる、共感する、もしくは仲間意識を持っている人、店、場所はありますか?

TOMMY:そうだなあ、基本的にスタンスが好きな人と遊んでるけど。でも、仲間意識的なものはあんまりないかもしれない。だから一人でやってるんでしょうね。誰かがいたら一緒にやってると思う。もちろん考え方が合う人は沢山いますよ。古着屋としていいなとか、音楽のやり方好きだなとか。特に夜遊びしてるときにいろいろ会ったりするんですけど、そういう人って、ファッションも音楽も、みんな自由にいいところを自分に取り込んでるようになってると思いますね。センスがズバ抜けてる人ほど自由になってると思います。

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