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8 #海外ドラマは嘘をつかない

「偏見の恐怖」から社会を救うコメディドラマこそ現代のジャーナリズム

ARTS & SCIENCE
コントリビューター向晴香
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“私はハーヴェイ・ワインスタインに挿入を求められ、5回中3回も断った”

おそらくほとんどの人は、上の発言を見た時、「#MeToo」運動の発端となったハリウッドの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインについて書かれたメディアの記事からの引用だと思うだろう。

しかし、これは今から6年前の2012年に放送されたコメディドラマ『30 Rock(サーティー・ロック)』で、とあるキャラクターが口に出した台詞だ。

「#MeToo」や「#TimesUp」の活動によって暴露されたワインスタインのセクハラ行為。ハリウッドで20年以上に渡りタブーとされ黙認された暴君の本質を、勇気あるジョークとしてすでに社会に向けて警告していたのが、コメディという表現方法だった。

『30Rock』の公式チャンネルは2017年10月10日に上記のセリフを含む場面を再投稿している
Video: 30 Rock Official/YouTube

男女平等を演じるアメリカと、戦う女性コメディアン

『30 Rock』のプロデューサーが、女性コメディアンで脚本家、1997年(#MeTooの20年前)から出演したコメディ番組『Saturday NIght Live(以下、SNL)』で人気を博したティナ・フェイであったことは単なる偶然ではないだろう。彼女は1999年に『SNL』において、75年の番組開始以来初めて女性のヘッドライターに就任した。映画『ミーンガールズ』で脚本家として高い評価を受け、SNLでは当時の女性副大統領候補サラ・ペイリンのモノマネを演じて人々の記憶に残っている。それは一種のYouTube登場以前の「ミーム」だったと見れば、先見の明がある。

フェイは2000年以降のアメリカTV業界における最重要人物の一人と云える。最大の功績は、男性中心のエンタメ業界とりわけ「TVコメディ」という特殊な環境において、女性の活躍の場を押し広げた立役者として2000年以降のアメリカTV業界を変革してきたことだろう。

男性だらけのテレビ業界、コメディ業界のトップにのしあがった彼女の作品は、「男女平等」を主張し続ける現代アメリカ社会における女性差別を映しだす鏡となっている。SNL卒業後にプロデュース・主演・脚本を務めた『30 Rock』はそうしたアメリカの不均衡な男女平等を映すベンチマークだ。

番組の流れはこうだ。架空のコメディ番組でプロデューサーを務める主人公リズ・レモンが、テレビ局の親会社からやってきた傲慢な男性上司のジャック・ドナギーから明らかなセクハラを受け続ける毎日。仕事一筋で独身のリズにお見合いを進めたり、女性らしい格好をするよう指示を出したりするジャック。シーズン1第1話では、ジャックが次のようにリズを「分析」する場面もある。

“大学で教育を受けた、ニューヨークのサードウェーブ系フェミニスト。スケジュールが一杯で性欲が満たされなくて、「健康的なボディイメージ」を掲げる雑誌を買い、2年に1回、1週間だけ編み物が習慣化する日々が「幸せ」なフリをしている”

Video: FermatSim/YouTube

しかし『30Rock』はジャックや世の男性を告発対象に吊るしあげることが本質ではない。「女性差別」を厳しく見つめながらも、「正しい答えとは何か」と見る人に問いかけているのだ。

例えばシーズン5第16話は、黒人男性コメディアンのトレイシー・ジョーダンが「女性は決して面白くなれないんだ」とツイートしてリズの怒りを買う。そこでリズは彼を口撃する代わりに、古くからコンビを組んでいた女性コメディアンとネタを披露し、トレイシー含む番組関係者の男性たちに女性の面白さを証明しようと試みるのだ。

会場は爆笑に包まれ二人は満足するが、トレイシーは「女性が医者になっている」という点がウケるポイントだと勘違いしてコントを高く評価した。「女性は面白くない」発言を撤回して謝罪するトレイシーに、リズは心底呆れしつつも受け入れる。

しかし最後には、「女性は面白い」と素直に認め共演者やスタッフが拍手を送る展開に、ネタは全く伝わっていなかったというオチをつける。「あなたはどう思った?」と問いかけるように、どちらの立場にも迎合しないバランス感覚と、視聴者に委ねられた「考える余白」。こうした視点は、ティナがエグゼクティブプロデューサーを務めるコメディドラマ『Great News』にも引き継がれている。そして同作品も『30 Rock』と同様に、#MeTooに関連するトピックを先取りして取りあげていた。

『Great News』はニュース番組の制作現場を舞台にしたコメディドラマだ。ここで描かれる日常は、アメリカのメディア業界やテレビ業界の裏側にある現代女性の視点からの価値観と、男性視点での価値観が見事に交差する。シーズン2第3話では、ティナ・フェイ演じる女性上司ダイアナにオフィスへ呼ばれた男性社員が、「目の前でバナナを食べろ」と命じられたと、女性の同僚たちに相談するシーンがある。しかし女性たちは「健康的な食事をしてほしいと思っただけでしょ」と軽く流す。男性たちは「被害者叩きだ!」("Victim shaming")と憤慨するが、これはセクハラが日常生活から生まれているという現実を必然として捉え、それを女性が男性にセクハラを行なうという視点の転換で表現したエピソードだ。

Video: Great News/YouTube

同エピソードが放映されたのは2017年10月12日。ニューヨーク・タイムズがハーヴェイ・ワインスタインに対する女性たちの告発の第一報を報じたのが10月5日で、当時まさに全米の話題をさらっていた時期だ。

『Great News』の制作プロデューサー・脚本を務めるトレイシー・ウィグフィールドは、決して#MeTooのタイミングを狙ったものではなかったと前置きしたうえで、「女性の立場に男性を置くことで『女性に非があったのでは?』と責め立てる世の男性や女性のabsurdity(馬鹿馬鹿しさ、理不尽さ)を可視化したかった」とコメントしている。差別の理不尽さを表現する脚本の妙に加えて、男性も女性と同様にセクハラ被害者になりうるという社会性に言及しているのだ。

社会がセクハラを黙認する理由をドラマで考える

インド系アメリカ人コメディアンのアジズ・アンザリが脚本・主演を務めるNetflixオリジナルシリーズ『マスター・オブ・ゼロ』で、アジズはNY在住の売れない俳優デフを演じる。そこそこ充実した日々を送り、仕事や恋愛に奮闘する「現代人」の役だ。だが、「理想の人生」を求めて社会性、時代性と対峙するミレニアル世代特有の葛藤がドラマでは描かれている。

『マスター・オブ・ゼロ』は、セクハラが対岸の火事でなはく、男性が無視できない身近な問題であることを教えてくれる。シーズン2の第10話、デフは大物シェフのジェフと知り合い意気投合、ふたりで新たな番組の企画を企む。しかし新番組開始の直前に、ジェフがセクハラを繰り返していることが明らかになり、デフは行動を起こすべきか逡巡する。なぜなら、大物シェフとの看板番組は、冴えない人生とキャリアを抜けだす最良の機会だからだ。

結局デフは行動を起こすタイミングを逃してしまう。すると、ジェフの被害を受けた女性たちが、次々とブログで告発する行動を起こすのだった。デフは、ジェフのセクハラ疑惑について「どう思うか?」と追及され、当惑し、「僕もみんなと同じで初めて知ったんだ」と釈明する。しかし、彼は身近にいる人の悪行を黙認する「イネイブラー」(Enabler)ではないかとの疑惑が生じ、女性たちから非難の目を向けられるのだった。

男性は、理解しようとしなければ、女性差別に気付くこともない。しかし、自覚しているデフであっても、仕事や人生を優先することで、悪を野放しにすることさえある。この複雑な現実を『マスター・オブ・ゼロ』は切り取っていたのだ。

Video: Netflix/YouTube

アジズは、現実社会でも「イネイブラー」の肩書で呼ばれるようになった。ハーヴェイ・ワインスタインの告発から1ヶ月後、アジズの知り合いである人気コメディアン、ルイス・C.K.がセクハラ行為を告発されたのだ。アジズは、ルイス・CKのセクハラを容認しインタビューで回答を拒否した「イネイブラー」であると報じられている。

さらに2018年1月には、アジズ自身がデートをした女性を部屋に連れ込み、拒否する女性を無視して無理やり行為に及ぼうとして告発された。

アジズ・アンザリとのデートは人生で最悪の出来事になった』と銘打たれた告発記事では、アジズが匿名の女性フォトグラファーに肉体関係を迫った夜について、事細かに描写されている。

ハーヴェイ・ワインスタインやルイス・ C. K.の告発に比べ、女性との間に明確な上下関係は存在していなかった。それゆえ人々の反応はアジズを全面否定するものから、女性側の態度に疑問を呈すものまで多岐に渡った。

アジズに対する疑惑は、加害者を過度に祭りあげるアグレッシブな手法を採る一部の#MeToo運動に対する疑問を抱かせた。The New York Timesのライター、バリー・ウェイスは、「アジズはアグレッシブで自己中心的だった」と非難しながらも、女性側の「口に出さない合図」を読みとれなかった男性を断罪するのは本質的な解決に繋がらないのではと述べる。またBackChannelのライター、ジェシー・ヘンペルはWiredで「感情的なシェアによる拡散に終始せず、実際に対話を促すムーブメントでなければいけない」と#MeTooのダウンサイドを指摘するなど、情報発信だけで世の中の問題を深層化できないメディアの弱さを思い知らされる。

コメディは“フィルターバブル”を打ち破れるか

「相手の立場を理解する」ことは容易ではない。自分のニーズに沿った情報のみを摂取する「フィルターバブル」時代の中で、多種多様な思想を持つ人々からみずからを隔離して生きている。

「フィルターバブル」の負の部分が描かれるのは、マイノリティ役者を主役にとらえたコメディードラマから切実に伝わってくる。Netflixのオリジナルシリーズ『親愛なる白人様』は現代のフィルターバブル世代を描くコメディだ。

黒人目線から大学内の人種問題を取りあげた本作品は、白人が大多数の名門大学ウィンチェスター大学でマイノリティーとして過ごす黒人生徒たちが主人公だ。一見差別など存在しないエリート校において『ブラックフェイスパーティー(白人が黒塗りして参加するパーティー)』が実施され、差別に関する議論が生まれていく様子が、エピソード毎にひとりの黒人生徒の目線から描かれる。

『親愛なる白人様』は、大学という隔離された世界のなかで、生徒を黒人・白人という肌の色でわけるのは過去の価値観だと教えてくれる。むしろ、人の分断を作るのは無意識から生まれる差別だと、心を見透かされる。

第1話では、ラジオパーソナリティとして黒人差別と真っ向から戦う黒人女性の主人公サムが、白人の彼氏ゲイブを連れて『黒人学生連合』に向かい、黒人生徒達と仲良くなろうとする。ゲイブは人種差別に反対しているからだ。

しかしサムの友人である黒人男性のレジーとゲイブの間に、差別を解決していくための建設的な対話は生まれない。レジーがゲイブの内部にある無自覚な差別と偏見を感じたからだ。

ゲイブ:あんな差別的なパーティー信じられないよ

レジー:そうか?俺は信じられる。どうやら違う学校に通っているみたいだな。

(中略)

ゲイブ:たしかに俺にわかるわけない。だから知りたい。よろしく。

レジー:場違いなんだよ

ゲイブ:だから殴る?

レジー:意外かもしれないが暴力で解決する人間じゃない。殴るとしたら理由はお前のそういう偏見だ

さらに同エピソードの後半では「なぜ『親愛なる白人様(サムがDJを務める番組名)』は認められて(白人による)黒人の仮装はダメなのか? 逆差別だ」と苦情が多数寄せられる。危機的な状況を見かねてラジオ番組を休むよう命じるスタッフの制止を無視してマイクの前に立ったサムは、校内の白人生徒に向かって訴えかける。

“「白人」と一括りにされるのは嫌よね。でも私たち黒人は一括りにされてきた。それにね私のジョークのせいで誰かが投獄されたり安心して近所を歩けなくなったりはしない。

でもあなたたちが黒人を蔑むことは今の差別的なシステムを強化する行為なの。黒人に銃を向ける警官が見ているのは、人ではなく偏見に満ちた風刺画よ”

Video: Netflix/YouTube

かつて大学は社会の礎を育て、世界の希望に満ちあふれている自由な空間だった。しかし『親愛なる白人様』は、アメリカの現代社会が抱える人種差別、表現の自由、言論の統制に対する問題意識が、理想郷であったはずの大学と社会のミライを担う学生の無意識や、演じられたポリティカルコレクトネスに巣食う複雑性を描く。

差別をなかったことにされてきた苛立ちと、「逆差別」と非難されることへの憤りを乗り越え、立ちあがることを選ぶ主人公の叫びは、決してドラマの脚色ではなく、ごく普遍的なものだ。

2013年のトレイボン・マーティン射殺事件やファーガソンでの射殺事件を発端に全米で起きた「ブラック・ライブズ・マター」は、マイノリティだけが前進する話ではない。すべての肌の色、世代が殻の外に出ていくために対話が必要だと訴えかける。『親愛なる白人様』は現代の人種問題に対するアンサムといってもいいはずだ。

『フレンズ』や『セックス・アンド・ザ・シティ』に誰もが夢中だった1990年代から2000年代前半まで、こうしたマイノリティ側の主張や視点はドラマの世界では代弁されてこなかった。トランプ大統領が堂々と移民排斥をうたう米国において『マスター・オブ・ゼロ』や『親愛なる白人様』のように、世の中で無視されてきた人々、マイノリティや移民二世が主役のコメディドラマがマスカルチャー化してきたことは、現代人にとってかすかな希望だ。

強まる偏見とポリコレと戦い続ける「笑い」の進化

男女差別、人種差別をコメディが批評するスタイルについて「本質的な笑いのエッジが社会問題によって損なわれていくのでは」とクオリティに疑問の声があがり、社会批判への需要から生まれるコメディに対しては、ジェリー・サインフェルドのような大御所コメディアンも懸念を示す。

しかし、もはやコメディと「ポリティカルコレクトネス」そして「ダイバーシティ」の繋がりを避けることは不可能だ。「ポスト・トゥルース」「オルタナファクト」の社会におけるコメディの価値は、さまざまな角度で無数のコンテクストをつなぎあわせるジャーナリズムとして機能するほど強力なのだ。

前述のティナ・フェイがプロデュースしたNetflixオリジナルシリーズの『アンブレイカブル・キミー・シュミット』では、シーズン2の第3話でアジア人の権利を主張する団体(Respectful Asian Portrayals In Entertainment、略称はR.A.P.E、これもジョークだ)が登場する。「前世は日本人芸者だ」と主張して顔を白塗りしてパフォーマンスを行なおうとする主人公の一人の黒人男性タイタスに対して、文化の盗用だと主張する『R.A.P.E』メンバーはパフォーマンス会場を占拠し抗議を行なうが、タイタスの優れたパフォーマンスに圧倒された団体の人々は涙を流し拍手を送るという展開だ。

『アンブレイカブル・キミー・シュミット』は、2010年代の社会やポリティカルコレクトネスから生まれた「偏見」にさえも疑問を投げかけるストーリー作りで、潜在意識へ強烈な問いかけを放つ。登場する黒人やベトナム人といったマイノリティの描き方がステレオタイプ的であると、人権団体やメディアから批判の対象とされてきたが、ティナ・フェイは世間の批判に対して笑いの力で"スマート"に反論し続けている。

https://youtu.be/mNKEKlXY3Z4

今年放送されたSNLでも「#MeToo」は旬なトピックだ。それは、問題に対する世間の目線と「気まずさ」をコメディにしているからだ。あるスケッチでは「アジズ・アンザリのことについてどう思う...?」と切り出した途端に和やかなディナーが緊張に包まれ、テーブルのひとりが「人種的な問題とも結びついている」と発言した途端、ただ全員が凍りつく。

Video: Global News Online/YouTube

こうした社会批評を軸とするコメディのマスカルチャー化が進む全米では、テレビのスクリーンの中から『差別をしていない』と無関心面して笑う視聴者の価値観に揺さぶりをかけている。

複雑に分断される世界でどう生きるか? この問いに対して、人と人が向き合い対話こそが「正義」とする世界観が広がっている。しかしそれは同時に、自分以外の性別や人種、世代に抱いている無自覚な差別意識に向き合う必要性も浮き彫りにしてきた。うっかり加害者やEnablerになる可能性と隣合わせの日常で無視されがちな「本質」に気付き人間性を直視させる笑いこそ、横行する「正義」で思考停止に陥った現代の社会を救う希望かもしれない。

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Image: Netflix
Source: YouTube(1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8), Huffington Post, Wikipedia, babe, The New York Times, Wired, The Washington Post(1, 2

Netflixオリジナルシリーズ「アンブレイカブル・キミー・シュミット」シーズン1~3独占配信中


#海外ドラマは嘘をつかない