2026年2月27日、ブルーノ・マーズが約10年ぶりのソロアルバム『The Romantic』をリリースする。
このタイミングで、改めて考えたいことがある。
「洋楽離れ」が叫ばれて久しいこの日本で、なぜ彼がここまで国民的スターになれたのか?
直近のブルーノ・マーズの動きを見れば、その異常と言ってもいい勢いに気がつくはずだ。
シルク・ソニック名義による『Leave The Door Open』が米Billboard Hot 100で1位を獲得し、日本でもロングヒット。さらにBLACKPINKのロゼとのコラボによる『APT.』は、Billboard Japan Hot 100で1位を記録し、11年ぶりに“西洋アーティストの楽曲”として同チャートを制した。レディー・ガガとの『Die With A Smile』は第67回グラミー賞でBest Pop Duo/Group Performanceを受賞し、日本の主要配信チャートでも好成績を収めた。
そして何よりも、2024年初頭の東京ドーム7公演・35万人動員だ。凄まじいのひとこと。これはローリング・ストーンズ以来29年ぶりとされる記録であるばかりか、東京ドーム7公演は日本国内の大人気アーティストでも、そう簡単にできることではない。
これほど多方向から今の時代を制している洋楽アーティストは、他にいないだろう。
本稿では、その理由は「音楽の良さ」だけに留まるものではないと考える。
ブルーノ・マーズが日本でここまで愛されている核心は、「日本人好みのキャラクター」として完璧に機能しているからなのではないだろうか?
「洋楽不況」という前提
洋楽離れの状況について、おさらいしておこう。Billboard Japanの分析によれば、Hot100に占めるアメリカ楽曲の割合は2017年の約7.6%から2023年には約3.9%へほぼ半減。同期間に韓国曲の割合は5.6%から9.7%へ増加しており、K-POPの台頭が鮮明となった。
日本の若年層の音楽消費が、洋楽からK-POPとJ-POPの二極へとシフトしつつあるのは、おそらく誰もが感じていることだとは思うが、数字もそれを表している。
この逆風の中でブルーノ・マーズは先の通り東京ドーム7公演・35万人動員を達成。
「洋楽不況」という言葉と、彼の数字は、まったく別の世界の話のように見えるだろう。
「キャラ立ち」という翻訳

日本人がお茶の間レベルで洋楽を受け入れる時、そこには常に「わかりやすいキャラ設定」があるように見える。つまり、音楽性以上に、その属性が消費されるのだ。
ビートルズやクイーンといったレジェンドに遡らなくとも、近年の事例を見るだけでもそんな構造がよくわかるだろう。
オアシスのギャラガー兄弟は、日本では「仲の悪い漫才コンビ」として消費されてきた側面がある。当初から日本で人気があったバンドであり、音楽雑誌が元気な時代からこの傾向はあったが、SNS以降は二人の絶え間ない罵倒と喧嘩に関西弁字幕を付けた動画が拡散されるなど、ミーム的なネタとしてさらに面白がられてきた流れがある。これが昨年の再結成ライブの盛り上がりにもつながっていると考えられるはずだ。
また、レディー・ガガは「礼儀正しい奇抜な人」だ。2011年の『徹子の部屋』出演時、黒柳徹子のトレードマーク「タマネギ頭」を模した衣装で登場し、髪の中から飴を取り出してプレゼントした。単なる奇抜さではなく、日本の芸能文化の文脈を予習してきた点も好意的に受け取られた。奇抜な外見と、日本へのリスペクトのギャップが「奇抜だけどいい人」というキャラを確立した。
そしてご存じテイラー・スウィフトだ。昨年8月にテイラーとNFL選手トラヴィス・ケルシーがインスタに投稿した婚約発表は「英語の先生と体育の先生が結婚します」だった。「先生」と自らのうるさい優等生的なパブリックイメージを認識しつつ、キャラクター作りをはっきりと自覚的に行なっている、長身のブロンドヘアー美人という憧れ的な要素を、自虐ネタや親しみやすいエピソードを交えたソングライティングで中和してきた彼女らしいエピソードだろう。
三者に共通しているのは、本人が意識したかどうかは別として、結果的に日本人が使い慣れた「キャラの箱」に収まることに成功したという点だ。この箱に入れないアーティストは、どんなに世界的に売れていても日本では「遠い存在」のまま終わってしまう可能性が高い。
オルタナティブロックでいえば、ニルヴァーナとパール・ジャムの差がそこにあるかもしれない。
ブルーノ・マーズという「超・高解像度ローカライズ」
では、ブルーノ・マーズはどんなキャラとして日本に定着しているのか。
キーワードは「解像度の高さ」だ。
2024年8月、ドン・キホーテの新CMにブルーノ・マーズが起用された。ただし、これは企業側からの高額オファーによる受動的な出演ではなく、ブルーノ本人がそもそもドンキがお気に入りであると発信していたことから実現したコラボだと言われている。実際CM制作のプロデュースも、CMソング『ドンキイクヨ』の作詞作曲も自ら手がけたことで大きな話題となった。
天井まで積み上げられた商品に手書きのPOP広告が溢れる、あのドン・キホーテの店内を大はしゃぎで駆け抜ける世界的スター。360度カメラの使い方も含めて、あまりに強烈なインパクトだ。
京都の寺院のような表層的な「美しい日本」ではなく、渋谷のスクランブル交差点のようなアイコンでもなく、日本人が日常的に利用する「ちょっとカオスな日本」を選んだ解像度。
しかもそれが「やらされた仕事」ではなく、本人プロデュースによる表現だったということが少し後で明らかになったのだ。ここにはレディー・ガガの『徹子の部屋』と似た力学が働いているようにも思える。
そして例の東京ドーム公演でもそんな力が発揮された。自身のヒット曲の合間に突如AKB48の『ヘビーローテーション』をカバーし、これにAKB48のOGである高橋みなみ、小嶋陽菜らが感激の反応。大きな話題となった。
また、彼のコミュ力は言語に依存しない。
テレビ出演時の変顔や大げさなリアクション、ラーメンをすする姿のSNS投稿。ステージ上の「帝王」と、ステージを降りた「お茶目な子供」のギャップ。「隙を見せる」ことで、ファンが「ブルーノ、何やってんの」とコメントするための余白を常に用意している。まさに非言語コミュニケーションの達人だ。
「どんな文脈にも馴染んで薄まらない」=最強のキャラ

ロゼとのコラボ『APT.』と、レディー・ガガとの『Die With A Smile』は、ブルーノのキャラがさらに進化した形を示している。
『APT.』はK-POPアーティストとの越境コラボだ。BLACKPINKが象徴するK-POP的なサウンドボキャブラリーからも、従来のブルーノ・マーズ的なサウンドからも飛び出したこのガチなコラボは、これまでブルーノに接触してこなかったK-POP好きの層に強く突き刺さった。
さらに彼は『Die With A Smile』はガガと対等に渡り合えることを示し、洋楽の正統派ポップ・ミュージック文脈でも主役を張れることを証明してみせた。この2曲が同じ2024年に出たことはあまりにも象徴的ではないだろうか。
そしてブルーノ・マーズは、驚くほど多彩で柔軟性あるキャラクター性を持っている。
オアシスは「喧嘩芸人」、レディー・ガガは「いい人な、変な人」と他のアーティストのキャラはおおむね固定されているが、しかしブルーノはK-POPともガチコラボし、ガガとも渡り合いながら、ドンキで踊る。AKBも歌う。固定されたキャラではなく、どんな文脈にも馴染むキャラなのだ。言ってみれば、一人なのに“箱推し”できるアーティストなのかもしれない。
洋楽復権のカギは「翻訳」ではなく「キャラ化」か?
洋楽離れの処方箋として「歌詞の和訳を充実させろ」「アーティストの背景を解説しろ」という声がある。
だが、それは歴史的にみても問いの立て方がずれているようにも感じられる。
その程度でいいのならば、あらゆる洋楽の日本盤に歌詞対訳と解説が封入されていた90年代〜00年代に、もっと多くの国民的洋楽スターが生まれていたはずだからだ。
音楽を聴かせる以前に、「このキャラを知っている」「このキャラが好き」という関係性の土台が必要なのではないか? さらには国内アーティストと違って接点も情報も不足しがちだからこそ、「どういうキャラなのか」というイメージ作りが求められるのではないだろうか?
それは本人発信だろうが、メディアによるものだろうが、二次創作的にファンメイドされたイメージだろうが、どれでもいいと思う。
しかし、ブルーノが自らそのキャラ化を能動的に実行してきた第一人者であることは間違いない。
翻訳を待つのではなく、自ら翻訳してのける。
それがブルーノ・マーズという稀有な存在の本質なのではないだろうか。
もちろんここにはハワイ出身という出自や、子供の頃からマイケル・ジャクソンのモノマネをするエンターテインメントショーで経験を積んできたというキャリアも影響しているはずだ。
ブルーノ・マーズは洋楽という高い敷居の向こうで待つのではなく、向こうから笑顔でこちらに入ってきた。しかも、ドン・キホーテのビニール袋を提げて「あそこのラーメン美味しいよね」と。
だからこそ多くの日本人は彼を「お客様」としてではなく、「家族」として迎え入れたのではないだろうか。
Source: Billboard Japan
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