ひとりの男の人生を変えた、世界一静謐なライトペインティング
ARTS & SCIENCE音を楽しむ、と書いて「音楽」というが、そもそも「音」は波や粒子という存在で、ほとんど実体がなく常に儚さを含んでいる。そしてその点については、同じく波形というカタチをもつ「光」も一緒だといえるかもしれない。これらの痕跡を記録することは、思った以上に難しい。
「音」の場合だと、たとえばミュージシャンの多くはデジタル以外の記録媒体としてはレコードやカセットテープなどを駆使し、いかに深みのある音を再現できるかを試している。それでは、一方の「光」を記録するといった場合、アーティストたちはいったいどんな手法を凝らしているのだろうか。
ライトペインティング・アーティストのデニス・スミス(Denis Smith)は、Smith & Collinsという撮影会社を経営している写真家だ。その彼がサイドワークとして始めたのが、ライトペインティングだった。
何かの技術を利用すれば、誰でも等しくアート作品を作ることができる、ということはない。しかし、それを手にした誰もが新たなものを作る機会が得られることは事実だ
ライトペインティングとは、薄暗い場所でカメラを三脚で固定し、長時間露光でシャッターを切っている間に光を動かして描き、記録するという試みだ。たとえば車のヘッドライトを映し続ければ、写真では残像が軌跡となって描かれる。しかし何を「画筆」として使うかということには、写真を撮る者としてはこだわりたいものだ。
ライトペインティングをする人達のなかには、ペンライトの他にも、iPhoneや花火の光を使う人もいる。数年前には「pixelstick」という新しいツールが売り出され、あらかじめ用意した画像をそのまま夜の闇に鮮明に映し出すことも可能になった。
何かの技術を利用すれば、誰でも等しくアート作品を作ることができる、ということはない。しかし、それを手にした誰もが新たなものを作る機会が得られることは事実だ。デニス・スミスもまた、光を描くツールを売り出している。しかしそれはまさに本人が、写真やライトペインティングによって人生を変えられた経験を持つがゆえである。
デニス・スミスはニュージーランドのオークランド出身。経済恐慌、そしてうつ病とアルコール漬けの日常から抜け出すため、都市生活から身を引き、オーストラリアの雄大な自然のなかに身を置くことを決意。解放感を味わった彼は、仕事もストレス過多のセールス業から、写真家というクリエイティブな職業に転身した。
しかし、自然を舞台に撮られた写真作品は他にも多くあり、彼はよりラディカルな活動をしようと思い立つ。それがライトペインティングだった。
今や彼の作品は多くの人々の目に触れ、その制作方法を聞かれる機会が増えたこともあって、ワークショップを開催するまでに至っている。ライトペインティングには、誰もを惹きつける不思議な力が宿っているものだ。
当時の彼にとってライトペインティングとは、まさに自分を見つめ直すライフペインティングでもあった
『Ball of Light』シリーズは、出来上がりに真昼間の感じを出すため、フルムーンの時に撮られる。
スミス自身、夜にライトペインティングに出かけると「リラックスして平和な気持ちになる」と語っていることもあり、その完成写真は、日本人から見ればかなり禅的で落ち着いた雰囲気を感じさせるものに仕上がっている。pixelstickなどを用いる他のライトペインティングとの決定的な違いは、おそらくそこにあるのだろう。
普通ライトペインティングといえば、その場をデコレーションするためにするものだし、光で楽しく遊んでデコることができたら、それでいい。しかし、当時の彼にとってライトペインティングとは、まさに自分を見つめ直すライフペインティングでもあったのだ。だから『Ball of Light』シリーズにおける出来上がりの写真は、他のライトペインティングのような動的なものではなく、静謐で、清く、微動だにしない巨大なビー玉のようにも見える。
彼の作品はライトペインティングの楽しさのみならず、より根本的な態度、すなわち光を慈しむということを思い出させてくれる。
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