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攻殻機動隊からセサミストリートまで、海外エンタメのキーワード「レプリゼンテーション(representation)」とは何か(後編)

IDEAS LAB
ライター塚本 紺
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本記事は"セサミストリートから攻殻機動隊まで、海外エンタメのキーワード「レプリゼンテーション」とは何か"の後編となっている。前編を読んでいない方はそちらを先に読んでほしい。

『セサミストリート』は新しいシーズンにおいて、自閉症を持つキャラクター、ジュリアを登場させた。これまでも絵本やオンラインのミニ・エピソードでは登場してきたが、本編にもようやくお目見えとなったわけだ。

これは「すべての子どもたちの素晴らしさを見つけよう(See Amazing in All Children)」プログラムの一環である。目的は自閉症スペクトラムに当てはまらない児童や親たちが、自閉症を抱える児童の言動を理解する助けとなること、彼らとのコミュニケーションの手助けとなり、そして子どもたちが他の人との違いを受け入れるきっかけとなることだ。

初めまして、ジュリア(Meet Julia)』と題されたエピソードでは、ビッグバードがジュリアに挨拶をするが、ジュリアは色塗りに集中していて彼を無視する。当然ビッグバードは傷ついて「ジュリアは僕のことあんまり好きじゃないみたい」と大人のキャラクターに打ち明けたところ、彼が自閉症スペクトラムについて説明をするという流れになっている。大人のキャラクターのセリフを通じて、なぜジュリアがあまり言葉を使って説明しないか、他のマペットたちと遊ぼうとしないかが説明される。自閉症を抱える子どもたちが、遊びやコミュニケーションにおいて異なるアプローチを持っていることを視聴者が学べる仕組みになっているのだ。

これが自閉症に関する教育的な面とは別に、レプリゼンテーションという観点でも視聴者に影響があることは確実だ。実際に自閉症の子どもを抱える親やその友人、親戚がこの番組を見れば「社会の一員として認知されている」という感覚を強めることができる。たとえこの番組を幼稚園の他の子どもたちが見ていなかったとしても、ジュリアがテレビに登場することは、自閉症を抱える子ども本人とその家族が社会に対する帰属意識を持つ助けとなる。

「社会に自分の存在が見えている」というメッセージ

そう言われると、レプリゼンテーションといっても特別なことではないことに気づいてもらえるだろう。日本でも、NHKを始めとするさまざまな教育番組で同様の取り組みを行なってきている。テレビを通して「◯◯という病気を取り上げてくれて嬉しい」「私たちのような◯◯がいることを取り上げてくれて嬉しい」という感覚を、我々も何度も体験してきている。

しかしここで大事なのは、広く一般の人々に情報を伝える「教育的な側面」と「レプリゼンテーションという側面」は別であることだ。それが自閉症であれ、シングルマザーといった家族構成であれ、テレビや映画を通じて自身のレプリゼンテーションを目にすることで「社会に自分の存在が見えている」、そんなメッセージを受け取ることができる。それがレプリゼンテーションの影響だ。

想像できるだろうか、国内向けの映画やドラマ、整髪料の広告ポスター、雑誌のカバー、何から何まで、自分とは違う人種で独占されている生活を

ダイバーシティ(多様性)という言葉がキーワードとして聞かれるようになって久しい。前編で紹介したリズ・アーメッドのスピーチでは、多様性というコンセプトの中で隠れてしまっているレプリゼンテーションの重要性について熱弁している。

(ポピュリズムの台頭の中で"多様性"と言われると)エクストラでトッピングのように追加されるもの、贅沢なもの、余分な飾り、のような意味合いで受け取られてしまう。(中略)

多様性と共に生きることができるけど、なくても生きることができる、そんなもののように聞こえてしまう。そのせいで本当に決定的に重要なものにフォーカスできなくなっている。重要なのはレプリゼンテーションだ。レプリゼンテーション(自分を代表してもらうこと)は余分な飾りではない。レプリゼンテーションは人々が文化や政治に対して期待する役割にとって、絶対的に必要不可欠な要素だ。

アーメッドは深くため息をつく。ブレグジットの後、ヘイトクライムがイギリスでは41%も増加したこと、イスラム教徒に対するものに限定すると326%も増加したことを目に涙を浮かべながら語る。今、社会は危機に直面している。社会がこれ以上の分断を抱えずにまとまって前進するかどうかが、問われていると。

もしあなたが、文化の中に簡単に自分を反映した物を見つけることができるとしたら、すごく頑張って想像してみてほしい。自分の姿を文化の中に見つけることができない人々にとって、ちょっとでもそれを見つけられることがどれだけ意味があるか。ビルボードやテレビ、雑誌、映画の中に自分自身(と同じカテゴリーに属する存在)を見つけるたびに、あなたはメッセージを受け取っている。あなたの存在は重要であると。あなたは国全体の物語の一部である。あなたには価値があると。

日本に住む大多数の日本人にとって、人種という観点でそれを想像するのは難しい。想像できるだろうか、国内向けの映画やドラマ、整髪料の広告ポスター、雑誌のカバー、何から何まで、自分とは違う人種で独占されている生活を。

アーメッド自身は子どものとき、テレビにアジア人が写るたびに家族は大声で「アジア人だよー!」と2階にいる姉弟を呼んでいたという。家族総出で興奮していたのだ。ファンだからではない。それは彼らが社会の一部であるという貴重なメッセージだったからだ。それほど、80年代90年代のイギリスでアジア人がテレビに写ることは珍しかった。

文化におけるレプリゼンテーションの欠如は、アイデンティティ、そして社会への帰属意識の問題なのだ。

『ゴースト・イン・ザ・シェル』批判に潜む、レプリゼンテーションの切望

アンダーレプリゼンテーション(underrepresentation)という言葉がある。レプリゼンテーションが不足しているという意味だ。記事前編の冒頭で紹介した、『ゴースト・イン・ザ・シェル』『ドクター・ストレンジ』『アイアン・フィスト』にまつわる議論の根本にはアジア人のレプリゼンテーション欠如の長い長い歴史と、それに対するアジア系アメリカ人の怒りがある。

アメリカの東海岸や西海岸で病院に行くとアジア系の医者の数は非常に多い。アジア系の弁護士も多い。政治家も多い。それでも映画・テレビ・アニメでアジア人がこういった重要な職業として登場することは珍しい。アジア人は欧米のエンタメの歴史においてオタクキャラで笑いのネタにされるか、一面的なカンフー悪役として扱われてきた。

日本で育つ日本人にとってみれば、こういったエンタメ作品にいちいち怒りを感じるのは馬鹿馬鹿しいと思うかもしれない。しかしアメリカに住むアジア系アメリカ人にしてみればそれが唯一のレプリゼンテーションなのだ。ファッション雑誌のカバーにアジア人男性が登場することは無いし、アクション映画の主人公として人気になることもない。青春ドラマで野球やバスケットのスタープレイヤーとして登場することもない。勉強オタクだったり、女性であれば過剰にセクシーな"ゲイシャ"キャラであることがほとんどだ。

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あなたが町を歩いていても、家でテレビを見ていても、インターネットを利用していても、こういったネガティブなレプリゼンテーションしか目に入らなかったとする。それは社会にとってのあなたの価値はそれでしかない、というメッセージを受け取り続けることを意味するのだ。この環境が子どもたちのアイデンティティの形成に与える影響は大きい。

ソーシャルメディアの台頭で、こういったマイノリティに対するレプリゼンテーションの欠如はますます議論にあがるようになってきた。

そんな中で原作でアジア人として描かれていた役を白人俳優が演じることになったり、アジア文化をメインに据えた作品で重要な役が全員白人、アジア人は端役、というニュースに怒りの声が上がるのは「オレたちにもまともなレプリゼンテーションを与えてくれ!」という長年にわたる渇望が大元にある。根本にあるのは「原作に忠実にしろ」というアート作品に関するポリシーの押し付けではない。「原作でアジア人として作られたものですら奪ってしまうのか」という嘆きなのだ。

そういった怒りと「大スターを起用するのがハリウッドのビジネスモデルだから仕方ない」「原作者のお墨付きだから文句は言えない」という議論はまったく別の次元である(どちらかが正しいということではなく)。

『ゴースト・イン・ザ・シェル』や『アイアン・フィスト』に対するアジア系アメリカ人の失望は、作品ごとに独立したシンプルなものではない。あらゆるメディアを通して欧米社会が彼らに送り続けてきた「社会の大事な一員じゃない」というメッセージに対する失望なのだ

当たり前の話だが、どんな年齢、人種、性別の人が国会議員になるべきかは非常に政治的な議論である。それはエンターテイメントでも変わらない。ポジティブなレプリゼンテーションが白人に偏って与えられてきた欧米社会で、これまで通り白人を中心にキャスティングすることも(現状維持)、別の人種にポジティブなレプリゼンテーションを与えることも(多様性の追求)、等しく政治的なメッセージなのだ。

「アナタは社会の価値ある構成員である」というメッセージを受け取れない人々は「社会の主流から外れた場所で語られる、極端な物語や主張に耳を傾けるように」なり、より社会の分断を深めるというアーメッドの指摘は鋭い。

ISIS戦闘員たちは頭の中では自分たちがジェームズ・ボンドのようなヒーローだと思っているだろう。頭の中では誰しも自分が正義の側に立っていると考えている。皆さんはISISのプロパガンダ動画を見たことあるだろうか。動画はまるでアクション映画のように編集されている。

それ(プロパガンダ動画)に対抗する物語はどこに存在しているだろうか。私たちは(ISISに参加してしまう)子どもたちに「私たちの物語でも、君たちがヒーローになれるんだよ」と伝えることを、できているだろうか。「君たちには価値があると社会は思ってるよ」と。

こうやって考えてみると、レプリゼンテーションというコンセプトはエンタメに留まらない、非常に政治的かつ社会的なポピュリズム議論の基盤だと言える。『ゴースト・イン・ザ・シェル』や『アイアン・フィスト』に対するアジア系アメリカ人の失望は、作品ごとに独立したシンプルなものではない。あらゆるメディアを通して欧米社会が彼らに送り続けてきた「社会の大事な一員じゃない」というメッセージに対する失望なのだ。

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