第68回ベルリン国際映画祭が2月15日、幕を開けた。
ベルリン国際映画祭は、「三大映画祭」のなかでもヴェネツィア国際映画祭やカンヌ国際映画祭とやや毛色が異なり、社会派の作品が多く出品される。イスラム教の戒律で禁じられているサッカー観戦をしようと奮闘する少女たちを描いた『オフサイド・ガールズ』が政府批判の映画とみなされたり、2015年には20年間映画撮影を禁じられたジャファール・パナヒ監督のモキュメンタリー『人生タクシー』が、2016年にはイタリアにおける難民問題を描いたドキュメンタリー『海は燃えているか』が同映画祭の最高賞・金熊賞を受賞するなど、さらに社会派映画祭としての顔つきをたしかなものにしている。
ところで、昨年最も話題となった社会的なムーブメントが「#Metoo運動」であることは論を待たないだろう。
ベルリン国際映画祭も#Metoo運動に呼応し、映画祭開始前に「あらゆる形の暴力や差別に抵抗する」旨の声明を発表した。具体的には、「文化は変わろうとしている」という名の、性的暴力は当然のものとされてきた業界のあり方について考えるカンファレンスを開いたり、ハラスメントの被害者を勇気づけるためのウェブサイト「Speak Up!」をローンチするなど、まさに社会派映画祭と呼ぶにふさわしい動きを見せていた。
しかし、公式部門のひとつであるパノラマ部門に、韓国の映画監督キム・ギドクを招いての最新作の発表の場としたことにより、事態は一変する。キム・ギドク監督は、まさに#Metoo運動において渦中の人物の一人であったからだ。
彼は、2013年『メビウス』の撮影中に主演の女優を殴打、さらに望んでいない性行為を強要するといったハラスメントを行なっていた旨が告発され、裁判沙汰にまで発展した。ベルリン国際映画祭は、そんな彼を招いたことによって「偽善」だと非難されることになってしまう。
パノラマ部門のプログラム・ディレクター、パズ・ラザロは「困難な問題に対して、早急に結論を出すのではなく、開かれた議論をするために彼を招聘した」と釈明したが、キム監督を映画祭に招待したベルリン国際映画祭に対しては批判が巻き起こっている。キム監督は2月16日の新作上映後の記者会見で「映画を成立させるためにはやむをえなかった」と述べ、今後行動を変えるかという質問に対しては「この事件に対する解釈は人によって違う。私は検察官にすべてを話した」と答えをはぐらかした。
ベルリン映画祭では、さらなる一石を投じるかのように、開始直前「#BlackCarpetBerlinale」「#Nobodysdoll」と、2つのハッシュタグが新しく生まれた。
2018年1月のゴールデングローブ賞授与式では、列席者が一様に黒いドレスを着て大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。「#BlackCarpetBerlinale」は、ゴールデングローブ賞にならい、セクハラや性的暴力撲滅運動のシンボルとして、従来のレッドカーペットを黒いカーペットに変更すべきという運動であり、ドイツの女優、クラウディア・エイジンガーが発起人となって2万1000人からの署名を集めた。最終的にはカーペットの色を変更することはかなわなかったが、「#Metoo」ムーブメントの強さが改めて証明された格好となった。
同じくドイツの女優、アンナ・ブルーマンが提唱した「#Nobodysdoll」は、映画祭のファッションに関する運動だ。彼女は、女性がローカットドレスとハイヒール着用を伝統的に義務づけられてきた映画祭の伝統に疑問を呈した。そして「私たちは誰の人形でもない」と、自由な服装で映画祭に出席することを呼びかけた。この運動に対して、映画祭ディレクターのディーター・コスリックは「女性が望むままの自分でいることを応援したい」と述べ、「ベルリン国際映画祭ではドレスコードはない。バレエシューズを履いてもかまわない、男性がハイヒールを履いても構わないように」とつけくわえた。
ベルリン国際映画祭は、#Metoo運動の浸透後初の大規模な映画祭であり、さまざまな反響が生まれた。今後、「白人男性の映画祭」とされてきたカンヌ国際映画祭や、ヴェネツィア国際映画祭でも同様の動きが見られることになるだろう。性的暴力を当然としてきた映画業界は、オピニオンリーダーである三大映画祭も巻き込んで、大きく変わろうとしている。
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