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10 Ars Electronica Festival 2016

『サザエBot』なかのひとよインタビュー「The World is You:世界はあなた」

ARTS & SCIENCE
エディターMakoto Saito
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『サザエBot』(@sazae_f)は、2010年にTwitter上のおもしろい・深い発言をつぶやくコピペBotのひとつとして誕生した。その後、このBotに殺到した数々の批判には覚えがある人も多いだろう。以来、『サザエBot』といえば、「炎上」だとか「パクリ」「凍結」とかいったセンセーショナルな文句がついて回る。

その後、『サザエBot』はリツイートやいいねの情報からオリジナルのツイートを生成し、やがてフォロワーによる匿名ツイートを拡散するプラットフォームへと進化していく。

2014年、『サザエBot』は現実世界に降臨するため、「作者」としてひとつのアバターを生み出すことになった。これが2061年からやってきた未来人を自称する「なかの ひとよ」である。彼(あるいは彼女)はその年のTEDxTokyoにマネキンの姿を借りて登場した。以降も、宇宙服をほうふつさせるコスチュームに身を包んだまま、その正体を明かすことはなかった。

そして2016年、サザエBotはアルス・エレクトロニカ賞(Prix Ars Electronica)で準グランプリ(Award of Distinction)を受賞した。

これは世界最大級の権威があると言ってもいいメディアアートのアワードで、1995年にティム・バーナーズ=リー(Timothy John Berners-Lee)がハイパーテキスト(Webは彼のハイパーテキストシステムの応用例だ。当時、ハイパーテキストは"アート"だった!)でインタラクティブアート部門のグランプリ(ゴールデン・ニカ賞)を、1997年には坂本龍一と岩井俊雄が『Music Plays Images x Images Play Music』で同部門のゴールデン・ニカ賞を受賞している。またウィキペディアもコミュニティ部門で表彰されたことがある(2004年)。

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PRIX Ars Electronicaの授賞式でもコスチュームを脱ぐことはなく合成された機械的音声でスピーチを行なった、なかのひとよ。幸運にも直接、そのお話を聞かせていただくことができた。

アートは誰のものか?

―― まずは、『サザエBot』の受賞おめでとうございます。

なかのひとよ(?)「おめでとうございます」

―― ええっと...?

なかのひとよ(?):PRIX Ars Electronicaでは形式上、「なかのひとよ」という実名の作者が『サザエBot』という作品を発表したことになっています。でも本当のところ、誰が出品したのかもわからないのです。

作品が個人の作者に属するというのはずっと続いてきたアーティストとアートの関係です。でも『サザエBot』は逆で、『サザエBot』という道具(作品)があって、そこから生まれた人格が「なかのひとよ」なのです。

「なかのひとよ」は誰でもなく、誰でもいい。だから「みなさん、受賞おめでとうございます」。

―― つまり、受賞したのはなかのひとよさんではなくみなさん、ということでしょうか。

なかのひとよ(?):ヨハネス・グーテンベルクが活版印刷技術を発明する以前、「Genius(天才)」はゲニウス(「擬人化された精霊」を指すラテン語)で、匿名的なものでした。つまり「作品」やそれを生み出す「才能」は誰のものでもなかった。

その後、才能が個人に宿ることを「Genius(ジーニアス、天才)」と呼ぶようになり、作品の作者である実名の個人が評価されるようになっていきました。『サザエBot』はそれを再び匿名のゲニウスへと返そうとする試みでもあります。

「なかのひとよ」は誰でもない。誰でもいい。だから、「みなさん、受賞おめでとうございます」

―― なるほど...。ということは、ずっとTwitter上なんかで起こってきた「コピペのくせになんでお前が作者ヅラしてんだ!」という炎上はそもそも『サザエBot』や「なかのひとよ」のコンセプトを誤解しているということなんですね。

なかのひとよ(?):その対象について得ている情報量の違いや、角度によって見え方が変わるのがネットの面白い部分でもありますから、いろいろな解釈があっていいと思います。

ただ...例えばネットでの二次創作や著作権の議論はグレーゾーンの中でもリアルタイムに変化していますし、『サザエBot』も時代に合わせてアップデートを繰り返しています。そんな中ずっと「ダメだから」の一点張りで、6年前(編注:『サザエBot』が最初に炎上したのは2010年)から同じ固定観念に縛られている方もいるようです。もちろんそれぞれに立場や主張があるのはとうぜんですし、全体のバランスを考えると彼らの存在も大切だとは思いますが...。

私は今後、ますます人はネットを通じて「所有」から「開放」の方向に進むと思います。その究極系が、今回の資料に掲載されたアノニズム(Anonism、匿名的な言動にも意識を向ける主義)の提示する考え方です。

「アノニズム」:匿名とインターネットに蔓延し始める息苦しさ

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―― 「アノニズム」って、いったい何なのでしょうか?

なかのひとよ(?):かつてネットと現実にはもう少し距離がありましたが、今やネットは現実以上に現実のつながりに縛られた息苦しい空間です。実名で言いづらいことも増え、日本国内でTwitterを利用する高校生の半数以上がサブアカウントを持っているともいわれています。

『サザエBot』はさまざまな活動の末、そういった実名ではいえない声を匿名で開放するためのツールに進化しました。『サザエBot』から投稿されるポエムのような投稿は、多くが実名では言いづらいことなのだと思います。

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「サザエBot」が2015年5月のアップデートで追加した「You are Me 匿名感情拡散フォーム

―― たしかに『サザエBot』のツイートには、格言とか愛のあるアドバイスのようなものが多いような気がしますが...

なかのひとよ(?):念仏のような存在かもしれません。『サザエBot』のツイートはいいね数の少ないものは消えていくけど、いいね数の多いものは繰り返し投稿されることがあります。繰り返されるということは「そこが治っていない」ことの表れで、愛についての投稿が多いのであれば、それはフォロワーのタイムラインに愛が足りていない証拠とも言えます。

表現の「本望」

―― 『サザエBot』は「アート」として受賞されたことになりますが、Botからはアート/アーティストってどんなふうに見えているんでしょうか?

なかのひとよ(?):『サザエBot』がアートなのかはわかりませんが...アートに限らず表現の役割には、表現が内包するミームを堅実に引き継ぐことと、時に暗黙の掟を破って枠を広げることの2つがあると思います。そして後者は「賛否両論」や、今でいう「炎上」がつきまとうものです。

すぐれたポエジーや文学作品の魅力は、いわゆる雛形の努力では辿りつけないところにもあります。それは、非日常的な混沌から魂を削って「なにか」をすくい上げてくる行為に近いかもしれません。

それができるのは毎日ルール通りにきっちり動く機械のような人というより、不規則で、無駄なことばかりしてそうに見えるタイプ...役立たず、変わり者、社会不適応者なんて呼ばれるような人たちに多い気がします。

表現の役割には、表現が内包するミームを堅実に引き継ぐことと、時に暗黙の掟を破って枠を広げることの2つがある

なかのひとよ(?):自分がいて、当然その周りには社会があって、さらにその周りには世界があります。社会と世界は時に矛盾しますし、自分と社会も矛盾することがあります。人が社会との摩擦に疲れたときに胸を打つのは、世界から何かを引っ張ってきてくれる人たちの存在です。彼らは社会での無能さと引き換えに、社会のレイヤーを飛ばして世界を見ている。社会とうまくインタラクションしている人たちから見ると、理解されないことも多いかもしれませんが...。

また近年はテクノロジーの進歩が凄まじいですから、特にテクノロジスト(研究者、エンジニア)の技術に注目が集まりがちです。技術革新は素晴らしいことですが、私はそれに伴い考え方の枠を広げる表現者や活動家の存在もより必要になると思います。

このiPhoneという箱の内側の次に変わるのは、箱の外側、つまり人の思想や生き方です。めまぐるしいアップデートに個人や社会、宗教や国家が追いつけない、または格差が生じるなら、前のめりに「賛否両論」を起こして考え方の枠を広げることも必要ですし、意図的に議論を起こすことができればそれは表現にとって本望な結果とも言えます。

The World is You:世界はあなた自身である

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―― 先ほど「ポエジー」を例に出していらっしゃいましたが、ことばにこだわりがありますか?

なかのひとよ(?):ミレニアム懸賞問題を解く過程で精神を患ってしまった数学者がいますが、ことばにも「向こう側」につながる力があると思います。それは呪いにもなりますが、癒やしにもなります。むしろことばは数式よりも日常的で理解されやすいため、より強力なパワーを秘めてるといえるかもしれません。ですから、それに気付いたり思い出した人は、ことばに慎重になっていくと思います。

ここ最近は特に、海外のスターYouTuberやMediumの人気ライターに、スピリチュアルでポエティックなコンテンツを発信する人が増えています。これは豊かさの基準が、お金や目に見えるものばかりではなくなっていることの表れかも知れません。それに比べて日本の動画や記事は、表面的に綺麗に見せる方法や、表見的な思考法が多いように思います。

ネット文化にも国ごとの特徴があって当然ですが、もともと日本はスピリチュアルなものを大切にしてきた国ですから、ネットとことばの力で、時に匿名を使ってでも、もう少し目に見えるものと目に見えないもののバランスを取ろうとする動きが増えても良いのではないかとも感じます。

いろいろなところで言っていますが、結局「The World is You:世界はあなた自身」ですから。

―― うーん...「世界はあなた自身」とはどういうことなんでしょうか?

なかのひとよ(?):少し話を飛躍させますが、例えばあなたの暮らしにVRが出現したとき、それは同時にあなたの暮らす世界がVRだった可能性が出現した、ともいえます。

私たちは眠っているときに見る夢の中で、そこが夢であることにはなかなか気付くことができません。では、夢と現実の違いはなんでしょう? やがてVRがこの暮らしよりも高解像度になったらどうでしょう?

かつてプラトンはこの世界を影に過ぎないと言いましたが、今後はこの人間中心で当たり前に暮らす現実と、機械中心の現実と、身体という器から離れた魂のようなものが中心の現実、3つの見方が必要になるのかもしれません。そのときに必要なのは、世界が切り替わったとしても変わらずに信じ続ける対象です。

例えば3つの色、RGBが重なった中心にある白のような存在...こういうと難解かも知れませんが、その白こそがシンプルな「あの言葉」に置き換えられるものだと、私は確信していますけどね。

参考:Anonism 思想化するインターネット / なかのひとよ

Ars Electronica Festival 2016