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電脳世界の「消滅の美学」を再解釈する、イン・ガオ『(NO)WHERE (NOW)HERE』

ARTS & SCIENCE
ライター高橋ミレイ
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イン・ガオ(Ying Gao)は、カナダのモントリオールで活動するファッションデザイナーで、ケベック大学モントリオール校でファッションとデザインの教授も務める。フランス、スイス、カナダで個展を6回開き、Ars Electronica(アルス・エレクトロニカ)やボストン美術館などに60回以上出展した実績がある。

彼女の作風は、建築や都市計画、メディアを批評する思想家たちのビジョンから着想を得ながら、センサーなどのテクノロジーを使ってインタラクティブな衣服をデザインするというものだ。

その一例となる『(NO)WHERE (NOW)HERE』と題された2着1組のドレスは、フォトルミネセンスの繊維とアイトラッキングセンサーを内蔵し、人の視線に反応してゆっくりと動く。照明を落とした空間ではぼんやりと発光する。

『(NO)WHERE (NOW)HERE』は、フランスの思想家ポール・ヴィリリオ(Paul Virilio)のエッセイ『消滅の美学』(Esthétique de la disparition、英題:The Aesthetics of Disappearance)にインスパイアされたものだ。彼の提唱する「消滅の美学」という概念は、写真や映画の発明以降のメディア芸術のことを指している(対して彫刻や絵画といった、19世紀以前の美術作品は「出現の美学」と呼んでいる)。

作品の説明で彼女は意識の消失、明瞭さと不明瞭さの間にある揺らぎの例として、ヴィリリオの『消滅の美学』の冒頭にあるエピレプシーのくだりを引用している。

意識の空白はしばしば朝食時に起きる。カップが手元から落下し、その中身がテーブルにこぼれ、忘我の時が数秒間続く。それが起きるのも終わるのも前触れがないが、感覚は目覚めたままである。しかし外界とのインタラクションはない。意識が戻るのはそれが失われるのと同様に突然である。止まっていた言葉や動作が、中断されたところから再開され、再び連続的な時間を形成する。

『消滅の美学』ポール・ヴィリリオ

『(NO)WHERE (NOW)HERE』は見る人に明瞭さと不明瞭さが混在したものを凝視する経験を与えることで、存在と消失の概念に疑問を投げかけているのだ。

「ヴァーチャル・リアリティの空間」の中に現れるその幽霊にたいする節度のない愛のために、私たち固有の身体を決定的に失わせる

ヴィリリオは速度(=世界の老朽化)の思想家と呼ばれ、サイバネティックスに対し一貫して懐疑的な立場をとり続けてきた。

私たちの日常や社会を取り巻くあらゆる出来事や倫理的な問題すべてを、情報に還元することでメディアの一部としてしまう報道やそれに支配された社会のあり方を批判し、すでに人々の意志では制御できない段階まで来ていると警鐘を鳴らしている。

彼の著作『電脳世界 最悪のシナリオへの対応』では、インターネットや仮想現実が人間固有の身体性を失わせることに対し、痛烈に批判している。

遠隔=電波的現前を引き起こすテクノロジーの速度は、「奇妙な小窓」の中に、「ヴァーチャル・リアリティの空間」の中に現れるその幽霊にたいする節度のない愛のために、私たち固有の身体を決定的に失わせるように仕向けています。

提起される問題は、接触をふたたび見つけることです。世界がひとつの有限な空間になって、失うことが耐えがたく、そして得るものがもはやないような日が来るでしょう。二十一世紀は喪失が獲得にまさるような世紀です。

『電脳世界 最悪のシナリオへの対応』ポール・ヴィリリオ

『電脳世界 最悪のシナリオへの対応』の原書が書かれたのは1996年だが、今の社会の有り様そのままを予言しているかに見える。現に今の私たちの大多数は、スマートフォンという奇妙な小窓に囚われ、発刊から20年後の現在に至っては(一部の人々の間ではあるが)VRデバイスに熱狂しているのだから。

メディアやテクノロジーを真っ向から批判するヴィリリオのコンセプトを再解釈しつつ、テクノロジーを使ってメディアで発信するというイン・ガオの試みは、外部からの干渉によって輪郭が揺らぐ身体や自我、あるいは保護膜としての衣服の役割両方を表現している。それは彼女の作品群が技術的な実験に留まらないことを表していることに他ならない。

彼女のサイトでは、他にもエドガール・モランからインスパイアされ表情を認識するドレス『NEUTRALITÉ:CAN'T AND WON'T』など、興味深い作品を多数見ることができる。