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殺人鬼の目には何が映っているのか?「シリアルキラー展」イベントレポート

ARTS & SCIENCE
エディターmasumi toyota
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雑居ビルのエントランスを抜けて、「建物ここで合っているのかな」と思いつつ階段を降りていくと、明らかにそれまでと違う雰囲気のフロアにたどり着いた。そこは静謐な、こぢんまりとしたギャラリーだ。

ヴァニラ画廊では現在、昨年に引き続いて2回目の「シリアルキラー展」が行なわれている。

シリアルキラーの目には何が映っているのか?「シリアルキラー展」イベントレポート
image: FUZE

シリアルキラー」という言葉は、実際の事件や報道よりもフィクションの世界で耳にすることが多いのではないだろうか。例えば、真っ先に思い浮かべたのは海外ドラマ『クリミナル・マインド』だ。FBIの捜査チームがプロファイリングを駆使して犯人を逮捕していくシナリオだが、彼らが主に捜査するのがシリアルキラーと呼ばれるような連続殺人犯である。

「シリアルキラー展」は、すべて実在の犯罪者による作品が展示されている。絵画だけでなく、手紙や時計などのオブジェクトもある。人間を1度以上は殺したことのある彼らの絵画が、2部屋に渡って展示されている画廊にはどことない緊張感が漂っていた。

ところで、どうして殺人者の作品が並んでいると緊張感を帯びるのだろう? シリアルキラーといっても、その経歴や人物像、作風や事件内容はそれぞれ違う。そして、彼らは全員が処刑されているわけでもなかった。いまだ服役中の者もいれば、獄中死したり釈放されている者もいる。シリアルキラーの作品を通して彼らの存在を実感するというプロセスは、モネやゴッホの作品に思いを馳せる感覚のそれとは違う気がした。では、作品のどの部分を見て私は「違和感」を感じたのだろう。犯罪とアートをつないでいる、漠然とした緊張感を作り出す「何か」とは、一体何だろうか。

カラフルな世界ーー目に見えている色彩の感度

シリアルキラーの目には何が映っているのか?「シリアルキラー展」イベントレポート2
image: ジョン・ウェイン・ゲイシー/シリアルキラー展Ⅱ

「シリアルキラー展」で展示されている絵画は、色彩が豊かなものが多い。ジョン・ウェイン・ゲイシーは「殺人ピエロ」で有名だが、ピエロは彼の作品のメインテーマにもなっている。ゲイシーは、収監中に一般人に向けて大量の絵画を残しており、ギャラリーにはピエロやディズニー作品の『白雪姫』に登場する7人の小人などをモチーフにしたカラフルな作品が展示されていた。それらの作品は、油絵の具が不均等に塗りたくられていて、ところどころ絵の具がキャンバスから盛りあがった部分もある。カラフルで人工着色料たっぷりの輸入菓子のような毒々しい色味だ。グラデーションなどでバランスをとっている部分はあまりない。絵の具チューブからそのまま絞りだしたような原色だった。獄中の彼は、ファンへの販売のためリスト化し同じモチーフを量産している。展示されている一点物の作品と見比べると、その製作への姿勢の違いは明らかだ。

ゲイシーのほかに色彩が充実した作品が多かったのは、ハーバート・マリンだ。彼の場合、人物を描いた作品ではなく主に山をモチーフにした作品が展示されていた。そして、ビビッドな色というより淡いパステル調の色を使っている。グラデーションによって繊細な陰影を表現している点が、ゲイシーとは異なっていた。彼の作品は、例えばモネといった印象派のようで、そこに激しさや暴力的な要素は感じられなかった。

シリアルキラーの目には何が映っているのか?「シリアルキラー展」イベントレポート3
image: ハーバート・マリン/シリアルキラー展Ⅱ

モネたち印象派の絵画が、発表当時「写実的ではない」と罵られていたように、上記の2人の絵画には現実味がなかった。だが、それは印象派が「自らの目で見たもの」を素直に表現していたように、彼らの目にもこの色彩こそが「現実」として見えていたのかもしれない。ゲイシーの場合は「少年」に連想されるファンタジーの世界に、そしてマリンの場合は「ドラッグ」から作用する幻覚に。

ジョン・ウェイン・ゲイシーは少年を対象に性的暴行の末、33人もの殺人を行なった。また、ハーバート・マリンはマリファナとLSD中毒によって逮捕されており、13人もの無差別殺人もこの影響があるとされている。

絵を描くことは彼らにとって「何」なのか

展示では、シリアルキラーごとにキャプションが掲示されている。そこには彼らの生い立ちや殺人の概要、逮捕から現在に至るまでがコレクターHN氏の言葉で書かれている。虐待や性的マイノリティであることの葛藤が、起こした事件や描いた絵画に実際の影響を与えているのかは本人たちにしか分からないことだろう。だが、それらのプロフィールは鑑賞にあたって、彼らの作品に十分すぎるほど「シリアルキラーの影」を与えていた。

逮捕後、獄中に入れば人殺しをすることはできない(例外的に獄中でも行為に及ぼうとした人物はいるが)。ヴァニラ画廊の田口葉子さんによれば、比較的囚人の自由が認められている海外の場合、獄中で絵などを描き、それらを一般に向けて販売していた時期もあったそうだ。

シリアルキラーの目には何が映っているのか?「シリアルキラー展」イベントレポート4
image: ジョー・ロイ・メセニー/シリアルキラー展Ⅱ

彼らの作品は「パフォーマンス」として描かれているものと、「自然」に描かれているものに分かれていたように思う。ジョー・ロイ・メセニーは前者だ。彼の手記には血判が添えられており、観る者に対して「おぞましさ」を喚起させるイラストが描かれていた。シリアルキラーによる「おどかしパフォーマンス」のような演出が、意図的なものか無意識の産物かについてはわからない。だが、「おそろしいもの」として自分を受容していることが、そのパフォーマンス的な表現に落とし込まれているのは作品を見てわかる。そこから逃れようとしていたのか自己陶酔していたのかは、私たちにはわからないし、彼以外の誰かが正解をわかるべきではないと思った。推測や予測は可能であるにしろ、彼のパフォーマンスに対する気持ちを正確に理解するということは、彼の殺人へのモチベーションを理解したといっても過言ではないと感じたからだ。

一方「自然なもの」として観られたのは、ハドン・クラークの作品だ。彼のイラストはすべて「同一の少女」がモチーフになっている。彼の作品には血や殺人といったモチーフは一切登場せず、クラークの経歴を知らなければ子どもにも見せられるような教養的なものだった。ブロンドやブルネットにブルーアイズという容姿の少女を延々と描き連ねるクラークの場合、「自分の恐ろしさ」を意識した描写は一切無い。それゆえに健全な作品と本人の犯した行為に、違和感を感じずにはいられなかった。彼は少なくとも2人の女性を殺しており、彼女たちの血液を摂取したという。シリアルキラー展のキャプションによると、

女性の血を飲むと女性に変わる事ができるかと思った。殺された女の子になりたかった

と述べていたという。

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image: ハドン・クラーク/シリアルキラー展Ⅱ

シリアルキラーの作品は社会と文化が拡張された地点にある

自らが「普通だ」という感覚は、日常の中では意識するものではない。だが、「シリアルキラー展」の鑑賞中は、それを意識的に保持しようとしている自分に気がついた。

今回の展示で感じた緊張感の正体、それは「私たち」と「彼ら」とは別の存在であるという感覚を抱き続けるためのエネルギーだったと思う。境界線がどこにあるのか考え出すと、その答えはとてもあやふやであることに気がついてしまう。私たちはそれに抗おうとしているのだ。

「彼ら」と「私たち」の違いは「人間を殺したかどうか」にあるとして、どうしてそこに違いが生まれるのか? そして「人間を殺したかどうか」は、どうして作品に影響を与えるのか。これらの問いの答えは、私たちが普段意識せずとも法律やルールとして禁じている「人間の命を奪う」ということによって、彼らと社会との間に一線が引かれる点にあるのではないだろうか。「彼ら」は「社会」からつまみ出されてもなお、死ぬまでは存在する。社会から疎外された彼らが絵を描くと、そこで生まれた作品もまた社会に溶け込むことはないのかもしれない。

いくらシリアルキラーが描いたとはいっても、絵画がナイフを持って人を殺すことはない。なんの事件性や危害も加えないまま、彼らの絵画は私たちの日常に存在するのである。そして「彼らは現実に存在した」ということを確信させたり、過去の事件を思い起こさせる。まるで、鑑賞者に死や非日常を見せる窓のようだ。

シリアルキラーの目には何が映っているのか?「シリアルキラー展」イベントレポート6
image: ジョン・ウェイン・ゲイシー/シリアルキラー展Ⅱ

社会的には存在を否定されたはずのシリアルキラーが、絵画という表現形式によって再び社会に入り込み、私たちの前に現れる。絵画作品は、シリアルキラーという非日常な存在と私たちをつなぐインターフェースとしての役割をこれからも担っていくのだろう。

展示を見ていく中でもうひとつ気づいたことがある。それは、「手」を連想させるモチーフが多かったことだ。これは、キュレーションによるものではなく偶然だったようだ。手は、ペンを握るのにもナイフを握るにも必要なものだ。だからきっと彼らにとっては、意識して描くほど重要な部位だったのではないだろうか。

「シリアルキラー展」に展示されている作品は、社会から排除された人間が生み出すクリエイションだ。これらの作品は、見方を変えれば芸術や表現の拡張にあたるのではないだろうか。サブカルチャーと呼ぶのは軽率な気がするし、アウトサイダーアートと一括りにするには意図的すぎる。もちろん彼らの行為は肯定できるものでは毛頭ない。だが、もはや「普通」の社会に存在することができなくなった彼らは、私たちの立っている場所からは一生作り出すことができないものを見せているのかもしれない。

***

「シリアルキラー展」は前・後期で作品が総入れ替えされるが、本記事では前期のイベントレポートを行なった。昨年の「シリアルキラー展」では、コレクターHN氏の蒐集品の一部を網羅するような展示となっていたが、今回は2期に分けることにより作者一人ひとりにフォーカスした展示になっているとのこと。後期には、チャールズ・マンソンエド・ゲイン、比較的珍しい女殺人鬼たちなど、20名の殺人鬼の作品が並ぶ。

特別展示/HNコレクション シリアルキラー展Ⅱ(前・後期)
開催期間: 前期:6月11日(日)まで / 後期:6月13日(火)〜7月17日(月)
会場:ヴァニラ画廊(〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目10番7号 東成ビル地下2F)
入場料:2,000円
詳細:平日は12時〜19時(最終入場18時30分)、土日祝日は完全予約制。
URL:シリアルキラー展Ⅱ

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