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『アンダー・ハー・マウス』エイプリル・マレン監督が語る、LGBTとストーリーを交差させる表現力

ARTS & SCIENCE
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ラブ・ストーリーとLGBTカルチャーがこれほどまでに「普通」に描かれた作品が、存在しただろうか? 映画『アンダー・ハー・マウス』は、それまで自らの性のアイデンティティに無自覚だったジャスミンと、これまでの恋愛対象も女性である大工のダラスが、ふとしたきっかけで惹かれあい、ジャスミンの心に変化が生まれていく物語だ。目を引くのは「女性同士の恋愛」が主題となっている点である。本作品の日本上映に際し、LGBT表現や日本の現在について、エイプリル・マレン監督が考えていることを本作品に絡めながら聞いた。

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Image: FUZE編集部

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──まずはじめに、登場人物のキャラクター性についてお聞きします。この作品のヒロインであるジャスミンのように、自分がこれまで認識していた性のアイデンティティと潜在的な性のアイデンティティが異なるという現象は現実にも存在しますが、自分の性のアイデンティティを認識したり、肯定していくためにはどんなことが必要だと思いますか?

エイプリル・マレン監督(以下、マレン):何らかの、外側からの力が働かなければいけません。きっかけが自分の枠の外からやってくる必要があるんです。誰かと激しく恋に落ちることがあるかもしれないし、出会いやサポートする人、あるいはこういった映画など「あ、自分が感じていることって本当はそういうことなんだ」と目覚めさせてくれるなにかが必要だと思います。

ただ、気づきを得てからありのままの自分をオープンにさらけ出すには、コミュニティやパートナー、あるいはそれが恋人でもいいんですが、周りの人の支えが必要ですね。特に家族の影響は大きいでしょう。たとえば両親が自分の娘/息子に対して「こういう性別である」という決めつけをしていた場合、その枠から飛び出ることはなかなか難しいことです。自分のアイデンティティを隠していた期間が長ければ長いほど、年齢を重ねれば重ねるほどありのままの自分をさらけだしたり、アイデンティティを素直に受け止める自分に戻っていくことはさらに難しくなっていくでしょう。

──自己/他者に関わらず、性のアイデンティティに対する認知は課題だと思います。この課題は昔から存在していたのか、現在の気運だから発生しているのか、それとも今後も普遍的に続いていく議論なのでしょうか?

マレン:昔から、おそらくは今後も続いていくであろう普遍的な課題だと思います。ですが、「ありのままの自分でいいんだ」という動きはたしかに生まれてきています。特に(監督の地元である)カナダでは若者の間で「ジェンダーの枠にとらわれない社会を」という気運が高まってきているんです。

たとえば私が通っていたトロントの学校は、在学中は男の子同士が手をつないでいるところをしばしば目にすることはあっても女の子同士が手をつないだり腕を組んだりすることはなかったんですよ。でも7年後の現在、しばしば女の子カップルを見かけます。こうして変化を感じるときもありますね。

ここ10年、特にLGBTへの意識やアクションが現れてきています。たとえばダラスを演じたエリカ・リンダーは女性ですが、普段男性モデルをやっているんですよね。今まで男性モデルをやる女性はいなかったですし、そういう意味では彼女は先駆者です。これから先、エリカのように両性具有的な魅力を持った人が広告や映画、テレビ番組に現れれば、それを受け入れる土壌も作られていくでしょう。

少なくともカナダにおいては、女/男/トランスジェンダーといった性の枠を取り払い、人は人であってジェンダーなんか関係ないという意識が芽生えていて、解決に向かっているように思えます。このように「人は意外と似通ってて、愛は愛で、人は人であってそれ以上の何者でもない」という意識は生まれてはいるものの、残念ながら、そのような動きが見えない国もたくさんあるように感じます。

人はそもそも物事を分類して安心する生き物ですから、それを取り払うのは難しいですし、あまりにも長い間この枠組みにとらわれてきました。完全な自由までの道のりはまだ長いでしょうが、少しずつこのような流れが大きくなればと思います。

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Image: ©Sophie Giraud
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Image: © 2016, Serendipity Point Films Inc.

──理解の土壌を作るために必要な映画/広告などの表現に関連して、芸術や表現の世界でLGBTを話題にしていく重要性についてお聞きします。LGBTを取り扱う映画の少なさや、表現の乏しさ、ほかの映画作品と同じようには取り扱われない問題に対して、どうお考えですか?

マレン:いまだに限られているなと思います。現在そういった表現が描かれているといっても、たとえばコメディでの一役だったり笑いを取るための役だったりしますよね。最近私が関わっているSFもので、『Wynonna Earp』というテレビシリーズ作品があるんですが、ストーリーのなかで女性同士の恋愛を描いている部分もあるんですよ。これは女性による脚本なんですが、SFのシナリオで普通にLGBTの表現をしているんです。このように、リアリスティックな女性同士の恋愛を自然に描いているものは多少なりともあって、増えてきているとは思っています。

ただ、LGBTコミュニティをいまいち知らない人たちが描いている場合があまりにも多いんです。リサーチをしたり、なんでも聞ける友達がコミュニティに属していればいいのですが、そうでない場合は「こうなんじゃないかな」「こういうもんだろ」と想像しながら表現を作ってしまっています。その一つの例が『アデル、ブルーは熱い色』。これは完全に男性側からみた「女性同士ってこうなのであろう」というファンタジーなんです。

性の多様性に対する表現は少しずつ描かれてきてはいるんですが、まだ不十分ですね。そして今は女性監督やLGBTを描くことが一種の流行になっていて、これはいいことではありますが、まだ流行の範囲内の現象なんですよ。現在の流れがきっかけとなって認識が広がっていけばとは思うんですが。

──女性同士の恋愛を描いたこれまでの作品は『BOYS DON’T CRY』や『アデル、ブルーは熱い色』など、センセーショナルで悲劇的な展開が目立ちます。今回、『アンダー・ハー・マウス』が異性愛者同士ならありふれたようなラブストーリーを女性同士で描いたという点に新しさと感動を感じました。今回のストーリーに対し、監督はどうお考えですか?

マレン:これは脚本家のステファニー・ファブリッチが非常に意識している部分ではあったんですが、人によってはこの作品を「ディズニーっぽいよね」とか「ハリウッドっぽいよね」という人もいます。LGBTを扱う作品でも、悲劇的な結末という絶対的なアンサーを出さず余白を残しておくと、さまざまな解釈ができるんです。そのシーンをどう解釈するかは人それぞれ想像をすることができます。「この情景はもしかしたらダラスの想像かもしれない」とか、そういう見方だってあるんですよ。脚本を書いたステファニーは、「ふたりは出会い、そしてこれからもお互いの発見の旅は続いていく。これは私の解釈なんだけどね」と言っていました。

──性のアイデンティティを主題とする物語は、慎重にするほどオーディエンスが深刻に受けとって寄りつかなくなってしまったり、気軽にしすぎると軽率だと言われたり、表現にもバランスが必要だと思いますが、その微妙なラインを監督はどうお考えですか?

マレン:そのバランスは非常に難しく、またこの作品でもこだわって撮っている部分です。あまりロマンチックになってもセンチメンタルすぎてもいけないし、メッセージ性が抜け落ちたクリシェになってもいけないということで、かなり試行錯誤をしました。そして最終的にはシンプルな展開にすることにしたんです。二人の関係の自然さもよいので、この展開が一番いいバランスだと思っています。盛り上がって盛り下がって落ち着いて、といった激流のような展開ではなく、パッと彼女たちの人生を見せてパッと本を閉じる感じを意識して撮っています。

──今回はカナダ初の全スタッフが女性による映画作品である点や、女性同士の恋愛を中心として作られた映画ですが、ジャスミンのフィアンセであるライルのような男性キャラクターは『アンダー・ハー・マウス』においてどんな立ち位置になるでしょう?

マレン:『アンダー・ハー・マウス』はあくまでもダラスとジャスミンの二人の物語で、ほかの登場人物にはあまりフォーカスしたくありませんでした。ダラスにもジョスリンという彼女が元々いて、ライルやジョスリンにとってこの作品の展開は悲劇的かもしれません。ただダラスとジャスミンも、二人が一緒になることで犠牲を払っているんです。ジャスミンは安定した将来を捨ててありのままの道を選択するわけですよね。ダラスはダラスで自分の自由奔放な生活を投げ打ってでもジャスミンと一緒になりたいと決心します。そんなふたりの展開に集中したかったんです。

──たとえば異性愛者の男性がこの作品を観たとき、少なからずライルに共感してしまうことも考えられます。彼らにとってこの作品はどのような意味を持つと考えていますか?

マレン:本作を観ているヘテロ(異性愛者)の男性からは、意外と「ダラスに共感する」という声があるんです。それはきっとダラスとジャスミンの関係が本物の愛であって、「愛は勝つ」という展開を観たいからだと思っています。

また、少数派ではありますが「傷ついたライルをもうちょっと描いてあげなきゃ、だってジャスミンは浮気したんだよ?」とひっかかる人もいます。でも、こういった感想に隠れているのは映画のステレオタイプなんです。男女のラブストーリーを扱う映画の展開では、元々のパートナーから相手を略奪したり「あの子かわいいね」というセリフから始まるシナリオは際限なくあるんです。ですが、それに対する断罪はありません。かたや女性が女性と浮気してフィアンセの元を去るという描写には「ショックだ」みたいな反応がある。性を変えるとなんて反応の違うことでしょう! 『アンダー・ハー・マウス』はそういったことを考えるきっかけにもなると思いますね。

──ステレオタイプに立ち向かう表現は、心ない断罪や誤解への恐れが伴ってくると思いますが、この作品を発信するにあたって監督はどのような気持ちでしたか?

マレン:映画を上映する前の試写会で観客の反応を伺ったんですが、どうしても笑いを誘ってしまうシーンがあって。一つは二人の関係が発覚するシーンです。それともう一つは、翌朝に「君はレズだね」とライルがジャスミンに言う場面でした。二つとも変な笑いをとってしまうので、悩みました。バレてしまうシーンは物語の核なので、どうしても削ることができません。そこは背負うことにして、ライルのセリフはとることになりました。笑いが湧くというのは、オーディエンスにとって反応に困るシーンだからなのでしょうが、なかなか難しいバランスでした。

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Image: © 2016, Serendipity Point Films Inc.
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Image: © 2016, Serendipity Point Films Inc.

──日本の場合、LGBT表現が「貧しい」といっても過言ではありません。あっても見世物のような笑いの的だったり、アンダーグラウンドな文化だったりします。キャンプ的なゲイカルチャーがコメディとしてテレビ番組に取り上げられたり、レズカルチャーに至っては「表立ってやるようなことじゃない」というスタンスにすらあるように感じます。日本の性に対する表現の乏しさについて、思うことはありますか?

マレン:先日、第26回レインボー・リール東京~東京国際レズビアン&ゲイ映画祭~で『アンダー・ハー・マウス』の上映があったんですが、感想を教えてくれたお客さんたちは「今日くるのが怖かった」「ハラハラした」「恥ずかしかった」なんていうんですよ。それを聞いて本当に辛かったです。このような環境に身を置いて、カナダがどれだけ進んでいるかを感じました。日本の皆はさぞかし苦しい思いをしているんだろうと。「ありのままの自分でいてください。怖がらずに、輝いていてください」という言葉を投げかけたいです。自分の性を押さえつけたまま人生を送らなければいけないというのは、その人にとっても、ひいては世界にとっても害になります。だからありのままの自分でいることは大事で、その認知を広げるのは表現者の私たちにかかっているんですよ。

本当は人々がありのままでいられるだけで、よりよい世界が作れるはずです。カナダも進んでいるとはいってもまだ完璧な状態ではありません。その国に身を置くものとして思うのは、まずはコミュニティが団結すること、そして表現をしていくこと、身近な関係の人から「そうじゃない考え方や生き方もある」という理解を生んで、どんどん性の在り方に対する認知を広げていって欲しいということです。

とはいえ、この数年間で目覚ましい進歩を遂げています。人類として一歩前進していると思いますし、確実に明るい未来は見えていると信じているので、このまま進んでいきたいですね。

──日本は当事者以外の人が問題意識を持っていない印象があります。カナダの場合は、LGBT認知に乏しかった時代から現在に至るまで、具体的にどんな力がはたらいたのでしょう?

マレン報じること。メディアの力は偉大なので頑張らないといけませんね! カナダの場合、認識の変化がなければ現在の状態には至りませんでした。認知度に支えられてLGBTのコミュニティが育っていき、それを繰り返してきたんだと思います。また、トロントにはLGBTのコミュニティがある道路や街の一角があったりします。そういったコミュニティを可視化していくことが重要なんです。映画でも広告でも報道でも、目に見えるものにして認知を広げていけば、コミュニティの団結も伝播し、愛に溢れ誇りを持つんだという意識も芽生えます。プライドパレードといったイベントもありますが「こういうアーティストがいます」「こういうファッションデザイナーがいます」「こういう人がいます」といった風にどんどんフィーチャーしていけば、「ああこういう人もいるんだ」という認識が広がるし、認知度が上がると自然に受け入れられるようになっていくでしょう。メディアの力は大事だと思いますね。

──渋谷でもプライド・パレードが行なわれたりしていますが、日本のメディアの場合はセンセーショナルさが押し出され、いかに「かわいそうなものか」とか「LGBTという問題」として扱われてしまいがちです。その認識は変わるでしょうか。

マレン:私はLGBTや性に関する学術的なプロではありませんが、「普通のことである」という認識を広めることですよね。たとえばとても怖いことかもしれないですが、カップルは街中でも手をつないでみるとか。はじめはコミュニティ内からでもいいんです。こういうアクションはトレンドみたいなもので、誰かがやっていたら真似をされていくものなんですよ。たとえば13歳で恋愛対象が女性だと目覚めた少女が、街中で20代の女性カップルが手をつないでいる様子を見かけたとき「これって普通で、許されることなんだ」という認識が彼女に植えつけられます。周囲の行動も大事で、この光景を悲劇としてとらえるのではなく、祝福することは大きな力になります。女の子同士がデートしながらアイスを食べていても、それは仲のいいカップルで普通のことなんだっていう認識を草の根的に行動で示していくことですよね。

──お話を聞いて、メディアに属する監督や筆者など性に関して学術的なプロではない人物からも表現/発信していくことがとても大事なのかなと思いました。

マレン:それは欠かせないことだと思います。東京でどれだけ皆が怖い思いや恥ずかしい思いをしているのだろうと考えると心が痛みますし、進んでいるとはいえトロントでも行動を起こすことが怖くなるときだってあるはずです。でも「私たち表現者がやらなかったら誰がやるの? 自分自身が変化であれ」と思います。最後まで自分を応援できるのは自分しかいないので、行動して若い世代に影響を与えていくことですね。行動するだけでパワーは湧き上がってくるので、アクションを起こしていくことが大事だと思います。

みんな、意外と一人じゃないんです。日本に来る前に、妹に聞かれたんですよ。「怖くないの? 日本って性の文化がだいぶ違うから」って。だけど、未来への期待やコミュニティのサポートを感じられて、そこさえ忘れなければ確実に良くなっていく希望がありました。だから「怖くないよ」って妹に言って日本に来たんです。実際にエリカのファンって北アメリカ以上に日本やフィリピンにもいたりするんですよね。ただ、声高に言っていないだけで。実際に日本でも波は起こりはじめてきているので「自分は一人だと感じてしまうかもしれないけれど、意外と一人じゃないんだよ」ってことを伝えたいです。

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監督の「普通のことであるという認識」という言葉は、性と世界の関係の変化を生むためのキーワードになっていた。それは、いいかえれば「当たり前のものになる」といったところだろうか。たとえば、普通さとは一般的であるという意味に加えて、ありふれているものや凡庸さといったイメージも持ちあわせている。

普通

一:[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。「今回は普通以上の出来だ」「普通の勤め人」「朝は六時に起きるのが普通だ」「目つきが普通でない」
二:[副]たいてい。通常。一般に。「普通七月には梅雨が上がる」

[用法]普通・普段通常――「普通(普段・通常)は六時半に起きる」のように、へいぜいのでは相通じて用いられる。
◇「普通」は意味の範囲が広く、「どこにでも普通に生えている草」のように、ありふれている、珍しくないの意、「ごく普通の子」「普通科」のように、特に変わりがない・平均的・一般的なの意に使われる。これらは「普段」「通常」は使えない。


デジタル大辞泉より

だが普通と呼ばれることは、人々がその対象を受容した証でもある。人々は何かを「普通だ」と言うことによって無意識にその存在を許容し、受け入れている。

いっぽう、LGBTをはじめとするカルチャーは現在、文化としての「普通さ」を持ち合わせない。受容者は無視するか、徹底的に取り扱うかの2択だ。そこから文化として人々の間で馴染んでいき、「なんか普通だね、それ」と受け流されるようになるには、相当な時間と努力とアイディアを要するのかもしれない。

Video: 株式会社シンカ/YouTube

アンダー・ハー・マウス
期間:10月7日(土)〜
場所:シネマート新宿、シネマート心斎橋ほか、全国順次ロードショー
URL:映画「アンダー・ハー・マウス」オフィシャルサイト
配給:シンカ
© 2016, Serendipity Point Films Inc.

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