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11 #海外ドラマは嘘をつかない

”イケメン”になったアジア人俳優は何と戦っているのか?:"代表"なくして視聴なし 前編

ARTS & SCIENCE
ライター塚本 紺
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美容師、パイロット、検事...。かつてキムタクがドラマで演じたキャラクターの職業が、「なりたい職業ランキング」に必ずランクインしていたのを覚えているだろうか。それまで注目を集めなかった職業であればなおさら、人気ドラマに取りあげられるだけで何百万人という視聴者が抱いていた偏見を変えてしまう。たとえば「検事」という職業が全国的に「イケメン」というイメージと結びつくとは、ドラマ『HERO』放送前の検事たちはまったく想像もしていなかっただろう。

ドラマが描く仕事内容に不満を持った検事・美容師・パイロットはいたかもしれない。だが、それを除けば自分たちの職業が題材になることを喜んだのではないだろうか。自分に直接のメリットがなくても、テレビに登場することで自分の職業が社会から価値を認められている、という感覚を得られるからだ。

これは職業だけに限らない。身体的な特徴や性別、年齢、出自、性的指向、疾患、障がい、など自分が抱えている属性がテレビや映画で取りあげられると私たちは特別な興味を持つ。

誰しも、テレビを見ていて「私のような◯◯を取りあげてくれて嬉しい」「◯◯をこう描いてくれて嬉しい」と共感する気持ちを持ったことがあるのではないだろうか。テレビや映画にはコンテンツを通して「社会はあなたのことをちゃんと見てますよ」「あなたに価値があると考えてますよ」というメッセージを送り、視聴者の社会への帰属意識を高める効果があるのだ。

逆に、社会からの疎外感を生み出すこともできてしまう。多民族社会でありながら白人中心のエンターテイメントが作られてきたアメリカでは、有色人種たちは偏った描かれ方をされてきた。

アメリカでは、アジア人が物語に一切登場しないことも多い。仮に登場したとしても女性であれば「寡黙かつ(男性に対し)従順」もしくは「過剰にセクシーなゲイシャ」キャラで描かれることが多く、男性であれば「大人し」くて「オタク」、そして笑いの対象として描かれることが多かった。

こういった状況に対する不満が、ハリウッドに対する「ホワイトウォッシング批判」の根本にあることは、以前のFUZEの記事でも紹介した。

これらの記事では『ゴースト・イン・ザ・シェル』や『アイアン・フィスト』など、批判されている作品を紹介したが、本稿では人々から称賛され、人気を呼んでいる作品や現象を紹介したい。それを入り口に、テレビ・映画といったエンターテイメントが持つ深い政治性について考えようと思う。

"テクノロジー・オタク"しか演じられなかったアジア人男性

メインキャストを黒人でそろえた映画『ブラック・パンサー』や、女性スーパーヒーロー映画『ワンダー・ウーマン』の商業的な成功は世間で語られることが多いが、ここでは「アジア人男性のセックスアピール」というあまり語られない側面に注目したい。

アメリカのエンターテイメントでは、アジア人男性は恋愛対象としては描かれてこなかった。カンフーの達人(白人にカンフーを教える老人の先生か、非道な悪役)だったり、英語が片言なレストランオーナーだったり観光客だったり。何人も同じスーツを着て、ひたすらお辞儀を繰り返すサラリーマンだったり。ここに共通するのは、アジア人が「外国人」として描かれていることだ。生まれも育ちもアメリカのアジア系アメリカ人にとってみれば「社会はあなたを外国人として見ている」「アメリカの一部ではない」というメッセージに感じられるかもしれない。

人気ゾンビ・ドラマ『ザ・ウォーキング・デッド』

近年のアメリカ・エンタメでこのステレオタイプを大きく破って話題になったのは超人気ゾンビ・ドラマ『ザ・ウォーキング・デッド』だ。ゾンビが歩き回るアメリカをサバイバルする人々の苦難や恋愛、友情、家族愛などを描いたこの作品にはアジア人男性のキャラクターGlenn Rheeが登場する。

彼は英語ネイティブのアメリカ人として描かれている。そして何より作中でメインキャストの一人である白人女性キャラクターMaggieと恋に落ちるのだ。

Maggieは作中でも魅力的に描かれているメインの女性キャラクターであり、彼らが恋に落ちる流れやその後の恋愛も丁寧に描かれている。そしてGlennは精神的にも肉体的にも頼れる、責任感のある魅力的な男性として描かれているのだ。超人気番組におけるこの関係はアジア系アメリカ人男性に留まらず、多くの視聴者、メディアから「長く待たれていたアジア人キャラ」と喝采を浴びた。そのいくつかをここに引用したい。

“アジア系アメリカ人男性はテクノロジー・オタクの脇役(そもそもテレビに映ればの話だが)で女の子にはほとんど相手にされないのが普通だ。しかしGlennはそれとは全く異なる。彼は恋愛相手として女の子を得るどころか、その相手は「テレビの歴史上最も視聴されているケーブルTV番組に登場する超セクシーな白人女性」なのだ”

−NPR/Code Switch「Steven Yeun's 'Glenn': Slaying Zombies And Getting The Girl

この記事における「超セクシーな白人女性」という表現は、Glennを演じる役者Steven Yeunの友人でもあり、シカゴのコメディ・グループStir-Friday Night!の同窓であるHarrison Pakの発言の引用だ。この直接的な表現は、彼の驚きをよく表している。「超セクシーな白人女性」の恋愛対象としてアジア人男性がテレビで描かれるなんてことは前代未聞だった。

“『ザ・ウォーキング・デッド』は最も見られているテレビ番組の一つだ。ポップカルチャーに存在する最も大きなパワーの一つでもある。他の白人や黒人のキャラクターと比べても全く劣らない「主役レベル」のアジア人キャラクターを抱えていたことは非常に意義深いのだ”

ーForbes「Why 'The Walking Dead' Was Wrong To Stick With The Comics This Time

Glennを演じるSteven Yeunはエンタメ業界紙「エンターテイメント・ウィークリー」の表紙も飾っている。Huffington Postは「やっとエンターテイメント・ウィークリーの表紙にアジア人男性が載せられた」と取りあげた。

『ザ・ウォーキング・デッド』に続いて、Aziz Ansari演じるアジア人男性の性生活や恋愛を描いたネットフリックスによるオリジナルドラマ『マスター・オブ・ゼロ』も配信を開始。つまり、端的にいうと少しずつアジア人男性も「セックスができる存在」として描かれるようになってきたのだ。

Huluオリジナル・ドラマ『ザ・ランナウェイズ』

そんな流れの最近の例が米Huluによるオリジナル・ドラマ『ザ・ランナウェイズ』だ。マーベルによるコミック原作のテレビ・ドラマであり、人種、性的指向という点で非常に多様なキャラクターたちが登場する。少ないが日本語やスペイン語のやり取りもあり、「ようやくダイバーシティを抱えるコミックブックTVドラマの登場(via Vice)」とそのキャストの多様性が大きくプロモーションされている。

高校生の主人公たちは年に一回のチャリティ・イベントを主催する自分たちの親が、実は巨大な陰謀に加担していることを発見し…というストーリーだ。大手レビュー・サイトのRotten Tomatoesでは82%の高評価を得ている。

その中で主要キャストとして登場するのが日系アメリカ人の家族「ミノル一家」だ。演じる役者たちも日系アメリカ人で、一部では日本語のセリフも登場する。そして父親であるRobert Minoruは魅力的、かつ深みのあるキャラクターとして丁寧に描かれている。

ネタバレを避けるために詳しい設定は書かないが、彼もまた、セクシーな男性として描かれている。上半身裸のベッドシーンもある。そして彼を演じているJames YaegashiでTwitterを検索すると、彼の魅力を称えるツイートがいくつも発見される。

ジェームズ八重樫、マジでイケメン!大好き!いい男!#MarvelRunaways

クリス・パインはこのツイート読まないでね。

ジェームズ八重樫さん、こんにちは

映画『ティファニーで朝食を』で白人俳優ミッキー・ルーニーが出っ歯と眼鏡をつけて日本人キャラクター『ユニオシ』を演じていたことを考えるとまさに隔世の感がある。

ちなみにニューヨークで活躍する舞台俳優でもあるジェームズ八重樫は2013年、『ティファニーで朝食を』のブロードウェイ公演でまさにこの「ユニオシ」役で出演している。しかし同じ役柄でもミッキー・ルーニーが演じたのとは大きく違い、ブロードウェイ公演ではイケメンかつ文化的にもアメリカに溶け込んだファッション・フォトグラファーに昇華されていた。アジア人男性が、どんどんと「イケメン」として描かれるようになってきていることがいろいろな作品で見られる。

さて、上記のメディアの反応を読んで「たかがテレビ番組くらいで大げさだな」「人種にこだわりすぎ」という感想を持つ日本人もいるだろう。

アジア人がテレビ画面に出ることに対する日本とアメリカの温度差には、大きな政治性がひそんでいる。キーワードとなるのは以前の記事でも紹介したコンセプト「レプリゼンテーション(representaion)」だ。

以前に書いた記事「攻殻機動隊からセサミストリートまで、海外エンタメのキーワード「レプリゼンテーション(representation)」とは何か」では、レプリゼンテーションという概念を紹介した。テレビや映画などで自分と同じ属性を持つキャラクターが描かれること、物語に自分の(ある要素の)象徴が登場することを「レプリゼンテーション」という。アジア系アメリカ人たちは、偏りのないレプリゼンテーションを求めていたのだ。

これまで紹介したドラマの成功や、映画『ブラックパンサー』、『ワンダーウーマン』の商業的な大成功をみると、レプリゼンテーションはアメリカのエンタメ・ビジネスの非常に重要な要素となっていることがわかる。レプリゼンテーションという点で進歩的かどうかが、興行収入や視聴率の大きな一要因になっているのだ。

人種のレプリゼンテーションに満足している日本人

しかしこういった現象に対して「たかがテレビ番組くらいで騒ぎすぎ」「人種にこだわりすぎ」という感想を持つ国内の日本人(アジア人)視聴者は多いだろう。

また、日本に住む大多数の日本人視聴者からすると『ザ・ウォーキング・デッド』や『ザ・ランナウェイズ』に登場するアジア人キャラクターが特別なアピールを持つかというと必ずしもそうではないだろう。

日本に住む日本人はテレビや映画、CMやポスター、雑誌などで毎日のように日本人役者、モデル、アーティストなどを見ている。つまり、「魅力ある存在としてアジア人が描かれている様子が見たい!」というポジティブなレプリゼンテーションに対する「飢え」がないのだ。

「人種という点でレプリゼンテーションに満足している」日本人の視点は、そういった意味ではアメリカ社会における白人の視点に近い。だからこそ海外のホワイトウォッシング議論も「原作に忠実であるべきか」「原作の発祥地である日本人は気にしているか」という点だけがとらえられがちだ。



レプリゼンテーションの政治性

もう一度、視点を海外に移してみたい。パキスタン系イギリス人俳優リズ・アーメッドは、イギリス議会で議員たちに向かって「役者と議員の仕事は非常に似ている」とスピーチを行なった。議員は市民を代表して、議会で彼らの意見を伝える。役者も物語のなかで、人々の存在を体現している。「物語の中に人々が求めているのは「自分たちがどこかに所属している」「社会の一部として受け入れられている」というメッセージだ」と彼は言った。

代表する、体現する、これらどちらも英語では「レプリゼント(represent)」という動詞が使われる。議会が自分を代表してくれる議員が存在していること、テレビや映画で自分の存在を体現してくれる役者が出てくること。どちらも「レプリゼンテーション(representation)」と呼ばれる。

世界史の授業で学んだ、「代表なくして課税なし」というアメリカ独立戦争のスローガンを覚えているだろうか。イギリスから独立する前、北アメリカに植民していた人々はイギリスから税を課せられていた。しかし彼らの代表として議員を英国議会に出席させることはできなかったのだ。これを不服に思った彼らは最終的に独立を決意することになる。そのスローガンの一つが「代表なくして課税なし」だった。このスローガン、英語では「No Taxation Without Representation(レプリゼンテーションなくして課税なし)」となっている。

税金を支払い、市民として平等な立場であるはずなのに、代表されていないことを怒ったのは当然だ。義務だけを課しておいて権利を与えてくれないとは何事だ、という彼らの心情を理解することは容易い。

同じことがテレビや映画など画面におけるレプリゼンテーション(on-screen representation)にも言える。アメリカでは白人であれ黒人であれアジア人であれ市民としては平等なはずなのに公正なレプリゼンテーションが与えられなかった。それに対する怒りが存在しているのだ。

Huffington Postの「画面におけるレプリゼンテーションが、なぜ重要なのか」という記事では、複数の専門家のコメントや研究結果を紹介している。

そのうちのひとつが、ミシガン大学のKristen Harrisonとインディアナ大学のNicole Martinsによって2012年に発表された研究だ。ここでは、子どもが持つ自己肯定感に対するテレビの影響が調べられている。

子どもにフォーカスをあてたこの研究で二人が発見したのは、テレビを見ることで自尊心が高まるということだった。しかしそれは見ているのが白人の少年であった場合だ。少女たち、もしくは有色人種である少年たちの場合は、テレビを視聴することで自尊心が低くなるという結果が出ている。

「この結果はレプリゼンテーションの欠如に責任があるといえる。そう言って良いだろう」とMartins氏は語った

テレビを通して自尊心を高めていたのが白人の少年たちだけ、という研究結果は非常に示唆的だ。少女たちは人種に関係なく、テレビ視聴によって自尊心が低くなったという。つまりテレビ視聴によって自尊心が高くなったグループは単純に半分の性別(男)のみ、さらに人種のマジョリティのみだった。全体の半分以下ということになる。

仮に類似の現象が日本でも起きているとすると、日本でテレビを見て自尊心を高めるのは日本人の少年たちだけ、少女たちや海外の民族ルーツを持つ少年たちは自尊心を低くしてしまうということになる。これに確実性があるのか、なぜこのようなことが起きるかは、記事の後編で探りたい。

日本が抱えるレプリゼンテーション問題

再び日本に視点を向けてみる。人種だけに注目する行為やレプリゼンテーション問題は、アメリカに限られた問題だと考えてしまう日本人は多いはずだ。しかしそんなことはない。

前回の記事を出した後、「日本でもレプリゼンテーションを受けていない、偏ったレプリゼンテーションを受けているグループはたくさん存在している」という声がTwitter上で多くあげられた。女性、LGBT、外国にルーツを持つ日本人、など多くの属性が指摘されている。

それと同時に、「(レプリゼンテーションなんて考えが定着したら)日本でもテレビにはどれも必ずLGBTのキャラクターと少数民族が出て、女性はキャリアウーマンに描かれる、という事態になる」「めんどくさい時代になった」という趣旨の反応も見られた。こういった反応も、レプリゼンテーションが与える自己肯定感という観点から説明がつくかもしれない。

現状のエンタメにおけるレプリゼンテーションに満足している人々の中には、マイノリティたちがレプリゼンテーションを増やすことで自分のレプリゼンテーション(=自分の社会における重要度)が減る、という感覚を持つ人がいてもおかしくない。

「現状のエンタメにおけるレプリゼンテーションには問題がある」という意識を持っていない人からすれば、女性の描き方の改善や、LGBTといったマイノリティからの要求は「ただのわがまま」どころか、自分が「社会の一部」だと思っていない人間たちが社会を侵食しているように感じてしまうのだろう。

マイノリティが画面に映ること、女性の描き方の変化に対するこういった嫌悪感はアメリカ、イギリスなどに限定されず、日本を含めて世界各地で表明されている。エンタメにおける多様性を称えるニュース記事をFacebookで検索すると、必ずと言って良いほど攻撃的なコメントが見つかる。

これらは旧来のレプリゼンテーションを通して肯定されていた「自分が考える社会」が、形を変えようとすることに対する恐怖心から来ているように思う。

北アメリカに住んでいた植民者たちが「代表なくして課税なし」と主張し始めたとき、英国に住むイギリス人たちも同じような恐怖心を覚えたのかもしれない。彼らにとって、北アメリカの植民者たちは税金を払っていても対等なイギリス国民ではなかったのだろう。

後編では、レプリゼンテーションにおける不公平をどうやって是正するのか、そしてエンタメにおける「差別表現」に建設的に取り組むにはどうすればいいのか探っていく。


>>後編につづく


Image: Kathy Hutchins/Shutterstock、Rainer Plendl/Shutterstock、internetadn/flickr
Source: YouTube(1, 2), NPR, Forbes, Huffington Post, Vice, Rotten Tomatoes, Instagram, Twitter(1, 2, 3), The Hollywood Reporter,Facebook, Huffington Post

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