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7 1990年代、オルタナティブの始まりと終わり

Creative Drug Store、dooooにとっての音作りと90年代カルチャー

ARTS & SCIENCE
ライター宮本 徹
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いま、ストリートシーンを騒がせる集団、Creative Drug Store(クリエイティブ・ドラッグ・ストア)。SNSを見ると、Mac Miller(マック・ミラー)が彼らのアパレルを着ているなど、海外のラッパーやクリエイターからも注目されている存在だ。

今回、クルーのビートメイカー兼DJで、マッドプロデューサーであるdoooo(ドゥー)が初のファーストソロアルバム「PANIC」をリリースした。dooooの作る楽曲は90年代に影響を受けたものが多いという。

Video: P-VINE, Inc./YouTube
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90年代と聞いて、dooooはこう話す。

「90年代は好きなものだらけの時代ですね」

アルバムに収められている仙人掌との楽曲、『Pain』のMVのロケ地となった溝の口を案内してもらいつつ、dooooに話を聞いた。そもそもDJやビートメイカーを始めるキッカケはなんだったのだろう?

「13歳のとき、兄ちゃんの部屋からIce Cube(アイス・キューブ)の『You Can Do It』が流れてきたのがキッカケですね。それ聴いて、かっこいいなって思って。地元の岩手のTSUTAYAで、海外の曲をディグるようになりました。ジャケットで選んだり、The Notorious B.I.G(ノトーリアス B.I.G、以下ビギー)かっこいいなとか、2PAC(2パック)の『Greatest Hits』は基本でしょって感じでレンタルして。気づけば地元のTSUTAYAのヒップホップコーナーは、置いてる種類は少ないのですがA〜Zまで、すべて借りてましたね。それから高校卒業してターンテーブルを買って、DJと曲作りを始めました。岩手って地方にしてはレコード屋がたくさんあって、店員さんに勧めてもらったりもしながらヒップホップ以外のソウルやテクノ、ディスコも聴くようになりました。DJイベントもジャンル問わずに、いろんな音がかかるイベントによく行ってましたね」

岩手にいるとき、東京にはどんな印象があったのだろうか。

「東京はたまに行っていました。レコードを買いに、渋谷のディスクユニオンやマンハッタンレコードとか。いろいろなレコード屋さん回ろうと思って行くんですけど、最初にディスクユニオン行くとそこだけで満足しちゃうんです。どんなジャンルでもあるじゃないですか。ヒップホップやテクノ、生音だったりを聴いて、レコードを堀りすぎて時間もお金もなくなりほかのお店には回れない、という感じでした。イベントにも遊びに行ったりして『楽しいな』って思いましたね。そして大学を出て就職するタイミングで、東京に来ました」

岩手にもレコード屋やイベントがあったけど、東京にも楽しさを感じていたというdoooo。上京したのち、Creative Drug Storeのメンバーとはどういう経緯で知り合ったのか。

BIMと会ったのが最初ですね。自分がSoundCloudに『Yellow Cocktail』っていうミックスをあげていて。それを共通の知り合いがかっこいいと言ってくれて、BIMにも伝えてくれたみたいなんです。それがきっかけでBIMとやりとりしたら、500メートルくらいの近所に住んでることがわかって(笑)。彼はフットワーク軽いから、やりとりしてすぐに会いましたね。そのとき、たしか『Pool』のMVを撮ってたくらいの時期だったと思います。家に遊びに来たとき、MPCに入ってたビートも聴いてくれて、「ラップしても良いですか?」って言ってくれました。これが THE OTOGIBANASHI’S(ジ・オトギバナシズ)のファーストアルバム『TOY BOX』の『K.E.M.U.R.I.』って曲だったりします。この曲にBIMがめっちゃテンション上がってくれて、in-dに電話してスピーカー越しに聴かせてたんですけど、ぜったい聴こえないでしょって思いました(笑)。東京で遊ぶ友達はいたけど、曲を作る友達はいなかったので嬉しかったですね。しかも、同じような好みで」

Video: dutch_tokyo/YouTube

自身のミックス「Yellow Cocktail」をキッカケにしたBIMとの出会い。このミックスは1〜6までSoundCloudにアップされている。そして、これまでdooooがビート提供した楽曲を教えてもらった。

「THE OTOGIBANASHI’Sのファーストアルバム「TOY BOX」の、『K.E.M.U.R.I.』、『Froth On Beer』、『Closet』、『Dawn』、『Humlet』。セカンドアルバム『BUSINESS CLASS』の『Thank You for Flying with Us.』と『エコノミークラス』。あとはin-dのソロアルバム『d/o/s』の『iSLAnd』と『6℃』ですね。

THE OTOGIBANASHI’Sのファーストには岩手で作ったビートもありますね。地元には、DJやビートを作る仲間がいたんで、よく作っていました。当時は、知り合いにラッパーがいなかったから、聴かせるだけなんですけど。自分でラップはしなかったです。ラッパーもかっこいいけど、DJが醸し出す雰囲気もかっこいいなって

in-dのソロアルバムでは、彼が僕にとって藤沢のイメージが強いから『iSLAnd』は夏っぽくて合うなって思いました。あと、言ってることめちゃくちゃなんですけど、in-dって冬のイメージもあって(笑)。なので『6℃』は冬のイメージで作りました」

in-d自身も『6℃』のビートをもらったとき「冬の曲だと思ってリリックを書いた」と言っていた。dooooがTHE OTOGIBANASHI’Sのセカンドのあと、2016年に初のシングル『Street View feat. BIM,OMSB & DEEQUITE』をリリースした経緯を聞いてみた。

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「中学か高校のときに、もし最初に作品を出すならG-FUNKを作ろうって思っていました。オトギのセカンドが出て、自分のビートを作ってたときに、そのことを思い出したんです。それでG-FUNKのビートを作ったらめっちゃいい感じにできそうだったので、ちゃんと作ることにしました。攻撃的なビートで、SIMI LAB(シミラボ)のOMSBくんが思い浮かんで。あとBIMにG-FUNKのビートでラップしてもらったら意外で面白そうだなと思って、BIMにお願いしました。あとはG-FUNKさを全開にするために、ギャングスタラップのイベントでライブを見てかっこいいと思い、お誘いしたトークボクサーのDEEQUITEさん。とどめでBaby Eazy-E(ベイビー・イージー・E)とN.W.AのDJ YELLA(DJ イェラ)のシャウトを入れて。もう、お祭りみたいにやっちゃおうって。ほかにもやりたいことができて、これが完成してからちゃんとアルバムを作ろうと思いました」

Video: CreativeDrugStore/YouTube

『Street View feat. BIM,OMSB & DEEQUITE』キッカケで、アルバム制作を始めたdoooo。アルバム「PANIC」はどのくらいの期間で作ったのか。

「制作期間は1年半くらいですね。アルバムは好き勝手やろうと思って作りました。いろいろなジャンルの曲が好きだったりDJでかけたりするので、ヒップホップが軸だけどテクノや民族音楽なんかの要素もいれたいなって。曲順や流れ、客演してる人含め全部注目してほしいですね。こういうのが好きな人なんだって知ってほしい。

客演の皆さんと作った曲は90年代の音楽に影響を受けたものが多いですね。さっき話した『Street View feat. BIM,OMSB & DEEQUITE』は90年代のG-FUNKに影響を受けてます。JUBEEとの『Just Another Day』はヒップホップだけでなく、90年代のR&Bの気持ちよさにも影響を受けてます。JUBEEも同じような音楽が好きだったので」

JUBEEはまさに90年代がキャリアのルーツになっており、『Just Another Day』は彼らにとってぴったりな楽曲だ。

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また、アルバムのなかの仙人掌との楽曲、『Pain』のMVはdooooが絵コンテを描き、Creative Drug StoreのHeiyuuがMVを制作したという。

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「Heiyuuは本当にイメージ通り作ってくれて感謝してます。絵を描いてるときは夢中で、なにも思わなかったけど、いざ見返したら、暗すぎないかな?とかこれで大丈夫だろうか…と思いました。でもHeiyuuが面白さと怖さを絶妙なバランスで作ってくれて。仙人掌さんとの楽曲は、曲自体に90年代感はないかもしれないですが、90年代の作品に影響を受けてはいます。跳ねた感じのドラムだったり、地下で鳴り響いていそうなグルーヴだったり。MVのストーリーは大好きなホラー漫画から影響を受けたものです。たしか90年代に発売されていた、サスペリアっていうホラーの月刊誌だったり、ガロだったり。これを音楽で表現したいなって。90年代のホラー漫画の生々しい感じが好きなんですよね。MPC2000XLが今まで1番長く使っていて馴染みのあるサンプラーでしたので、このMPCに僕らしさを加えたいなと思って、サンプラーを人肉にしちゃいました。これは特殊メイクや造形をやっている自由廊っていう会社にお願いして作ってもらいました。どうせならMV以外でも活躍させたいなって思って、ジャケにも使ってます。いまは家の台所に置いてあります。どこに置いても違和感があるんですが、台所に落ち着きましたね(笑)」

Video: blackfilesstv/YouTube

人肉MPCを見せてもらい、触ったが、かなりリアルな質感で驚いた。アルバム「PANIC」は、dooooが90年代に影響を受けた要素がつまっていることがわかった。dooooにとっての90年代はどういう時代だったのか。

「90年代は音楽の面だと、自分にとって、特に影響を与えたかっこいいと思うヒップホップが多かった時代です。地下で鳴り響いて、みんなで聴いて。そういう悪い感じと、ビートの洗練された感じが絶妙なバランスだなって。好きなラッパーやDJは誰ですかって言われて自然と出てくるのは、DJ KENSEIさんやビギー。音楽以外でも、90年代の映画に出てくる建物やお店の雰囲気、あるもの全部がかっこいいんです。撮影されたのは90年より前かもしれませんが、『オクトパスアーミー シブヤで会いたい』っていう映画があって、それに出てくるサーティワンアイスクリームとか、やたらかっこいいんですよ。制服がかっこいいというか、可愛らしいというか。あと、自分の見てるものに偏りがあるかもしれませんが、テレビなんか見てると、なんでもありなものが多かった気がします。今でも面白いテレビ番組はありますが『トゥナイト2』とかやってたじゃないですか。年齢的に見ちゃダメでしたけど(笑)。「トゥナイト2」を見ようとしたら、中村真理さんの『Billboard TOP40』がやってたんですよ。岩手では深夜に1週間遅れで放送してました。ちょうど洋楽に興味持ち始めたときで、Jay-Z(ジェイ・Z)の『IZZO』をその番組で知りましたね」

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Creative Drug Storeのメンバーそれぞれから、dooooへのコメントをもらった。

in-d「dooooくんは知り合ったときから、良い意味で何も変わらないですね。好きなものだったり、人やモノへの接し方や関わり方だったり。アーティストとしても、人としても、出会った時から調子いい信頼出来る仲間ですね」

JUBEE「関わってる人達はみんな口揃えて言うと思うけどdoooo君はただただ変態でクソドープ。HipHopの1番オイシイ時代も知ってるし、だからこそ首がただ振れる曲も、踊れる曲も作れちゃう人。あと、飲むと割と潰れやすい」

VaVa「ドゥーくんは、はじめてビートを聞いた時から特有のグルーヴ感があったし、常に刺激を与えてくれるお兄やんです。僕のビートもこの人がいたから成長できたなあと思いますね。新作の『PANIC』くそバッチリでした」

Heiyuu「お互いのやりたい事を気を使わずに言い合える唯一の先輩だと思っています。(自分が勝手に思ってるだけだったらすみません、、笑)DOPEなサウンドでアーティストの未知の領域を引き出していくCOOLな存在です」

BIM「dooooくんと初めて会った日は今でも忘れないす。会った日に家に行かせてもらって、そのままビート貰って、そこから6年。doooo World全開のアルバム完成おめでとうございます! 早くビートください。love my dude.」

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Image: 浅野啓介

90年代はかっこいいものが多くて、いまよりも自由度が高かった時代。最後に、2010年代がどうなってほしいか聞いてみた。

「90年代はかっこいいって思うんで、僕らがいる時代も20年後の奴らに『2010年代ってやばかったよね』って言われるようになりたいですね。そうなれるように作品を残したい。かっこいい人が沢山いるので、自分がそう思うのは変ですけど、そういう心構えで作品を作ってます。あの年代はやばかったっていうシーンを作っていきたい」

皆さんにとっての「現在90年代を象徴するもの」を教えてください。TwitterもしくはInstagramで「#90年代オルタナの生と死」でハッシュタグ付きで投稿してください。特集期間中、FUZEがピックアップして定期的に再投稿していきます。

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