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8 1990年代、オルタナティブの始まりと終わり

再燃するZINE:ネット時代に花開くコミュニケーション・カルチャーの真髄

DIGITAL CULTURE
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2017年現在、ZINE(ジン)文化が国内外で勢いづいている。

とはいえ、それ以前・以後にもZINEは存在していた。たとえば1960年代にはカウンターカルチャーを取り扱ったヒッピーによる『Whole Earth Catalog』が生まれ、スティーブ・ジョブスや日本の雑誌業界にも大きな影響を与えている。また、当時の日本では、マスコミの対義語をもじった和製英語「ミニコミ」という呼び方でも広がりを見せた。そのほかにも「ファンジン」「リトルプレス」といった呼び名があり、二次創作を扱う同人誌はZINEとしても成立する。

1990年代に大きなピークを迎えたZINE文化は、個人によって作られる自由度の高差を象徴するメディア文化だ。基本的には紙に印刷し、綴じた冊子状のものを指すことが多いが、創作目的や内容、形式に至るまで、特に決まったルールなどはない。作り手自身が思い思いに完成させたものが、そのまま彼らにとってのZINEになる。

もともとファッションに関するZINEだったi-Dや、これまでにもZINEカルチャーに焦点を当てていたメディアに限らず、今や多くのニュースサイトや雑誌で「ZINEとは何か」が語られる。だが、「ZINEとは何か」という問いにひとつの答えはない。「ZINE=インディーズの雑誌」というぼんやりしたイメージによって、「What (どんなものか)」が気になるのはもっともだ。だが、「What」というより「How(何をするものなのか)」という問いが正しいかもしれない。

ZINEは、「個人の個人による個人のための出版」という位置づけであることが多いために、明確な代表作や正典は存在しない。大衆に向けたマスメディアではなく、名も知れぬ小冊子として、自分の近くのコミュニティで交換したり配ったりして広めていくのが常だ。

インターネットやSNSが世界中で普及し、情報ツールとして当たり前になっている2010年代。ここまでZINEカルチャーが注目され、盛りあがっている現象はすこし不思議だ。自らの考えていることや好きなものを瞬時に発信・共有できるインターネット環境ではなく、自主的な印刷による紙のZINEを選ぶ理由とは一体なんなのだろう。

90年代、ZINEカルチャー隆盛期

90年代、ZINEの文化が盛りあがっていたのは主にアメリカの西部だ。特に、音楽やスケートボードカルチャーとは強い関係があった。ミュージシャンやスケーターの創作物として脚光を浴びたZINEには、インディーズの冊子にもかかわらず、現在も話題になったり人気を博す作品が少なくない。たとえば、プロスケートボーダーのマーク・ゴンザレスは数多くのZINEを残しており、彼の素朴なイラストレーションは今もさまざまなアパレルやグッズに使用されている。また、音楽シーンにおいては、90 年代初期にガールズ・パンクの流行とともに、第3波フェミニズムとDIY(Do It Yourself)精神が紐付きながら彼女たちによってZINEが作られた。彼女らのZINEは客にばら撒かれ、ファンによる複製も盛んだった。BlatmobileBikini Killなどのパンク・バンドが中心となって行なわれたRiot Grrrl(ライオット・ガール)ムーブメントである。

彼女たちのことを詳細に語ったZINEがある。大垣有香が自身の大学卒業論文を収録した『Riot Grrrlというムーブメントーー自分らしさのポリティクス』だ。彼女によれば、ライオット・ガール・ムーブメントは、ライブ会場などでの性的差別に対する怒りから発端したものだ。そのせいもあってか、ZINEの内容は力強くときには過激で、当時、世間からのバックラッシュはとても大きなものだった。女性のパンクスたちは、ZINEだけでなく音楽活動などでも「Fワード」やあばずれを意味する「スラット」をあえて自ら発し、また「革命」を意味するRevolutionを多用する。忽然と立たされた劣位から、徹底的に抗戦しようとしたのだ。

ライブ会場での過激なモッシュによる死傷、女性客に至ってはレイプ被害に遭うなど、過酷な環境でステージに立たなければならないパンクスたち。そういった体験による怒りや乗り越えなければならない障壁は、想像もつかないほど残酷で明白だ。そういった抑圧に対する怒りを爆発させ、団結の必要性を訴え、あるいは男性と対等な立場を主張するために、彼女たちの強気な表現が確立されていったのかもしれない。

抑圧された環境であえて侮辱用語を自称し、自分たちの「パワーワード」にする姿勢は、たとえば平然と差別がまかり通っていた時代からの黒人文化にも見られるだろう。侮辱用語「Nワード」をコミュニティ内のスラングで「仲間・親友」といった意味合いに昇華させているのだ。このように言葉の「文脈」を変える試みや、女性パンクスたちが自身の手でZINEという形にして叫びを世に広めたことは、血を流さずに他者にメッセージを伝えるためのとてもスマートなやり方だろう。

つまり、90年代に起こったライオット・ガール・ムーブメントのZINEは、知名度のあるパンク・バンドの「フェミニズム」に対する切実な思いに支えられて流通し、今日まで語られるほど大きなものになっているのである。

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ZINEとインターネットの関係

90年代に広まったZINEの題材はフェミニズムだけだったわけではない。これはあくまで一例だ。多くのZINEは個のコミュニティに埋もれ、ジンスタ(ZINEを作ったり集めたりする人)の手元でひっそりとアーカイブされている。

また、当時はインターネットを現在のように自由自在に利用できる環境はほとんどなかった。ZINEはコミュニケーションツールとして、友人同士でトレードする文化でもあったのだ。これは、現在のTwitterやInstagramに類似したコミュニケーションのあり方かもしれない。

DIYで大量生産しづらい条件からみると、ZINE単体の「世界中に広まる情報力」や「マスに向けた強いメッセージ性」はあまり大きくない。モノを作って公開するにもかかわらず、対価を求めたり世界に認められることは主な目的ではないのだ。では、何が目的になるのだろう。

このことに関しては、アリスン・ピープマイヤー著で野中モモが訳した「ガール・ジン 「フェミニズムする」少女たちの参加型メディア」が解説している。

大勢の評論家がジン作者たちに、なぜジンを作るのか質問してきた。ジンを作るのには時間がかかり、お金、権力、名声など一般的に私たちの文化が価値があるとしているものを生みはしない。この質問に対してジンスタたちが決まって出す答えのひとつが、「ジンを作るのが楽しい」というものだ。ジン作者は、ジンを作っている時間があっというまに過ぎるとか、ジンをまとめるのがいかに「触覚的快感」であるかという認識を語るだろう」

(P147)

この文で注目すべきは、ZINE単体の良さではなく「ZINEを作ること」の良さを示していることだ。ここからも、「What」ではなく「How」としてZINEをとらえるべき理由が見えてくる。ZINEとブログやSNSのあいだに差異があるとすれば、それはこの「触覚的快感」がともなうかどうかで、大事なのは考えや言葉を目に見えるものにするという行為そのものなのだ。

また、ZINEをトレードすることに関しては、以下のように記されている。

受け取る人の喜びを想像し、その人を想像することで私たちは身体的な人工物ーー「郵便受けのなかの贈り物」としてのジンーーが実体化する関係を作り出す。贈り物としてのジンは、本質的にコミュニティ構築の活動となる

(P151)

ジンスタ同士のコミュニティを布にたとえるなら、ZINEはそれを構築するために紡ぐ糸のようなものだ。「Text(文章)」という言葉は「Textile(織物)」と語源をともにするが、ZINEになったテキストは、誰かとトレードしていくことで、まるで編み物のようにコミュニティを形成していく。ライオット・ガール・ムーブメントの場合、そのコミュニティが社会的に可視化するほど大きくなったということだ。

前提でも書いた通り、ZINEには自由で多様な内容、形式がある。ただ、小さなコミュニティでの流通に限定されたものが多く、ほとんどは中央集権的なアーカイブがない。だが、考え方を逆転させれば、大衆文化やコマーシャリズムに取り込まれることをうまく避け続けながら、点在するジンスタのコミュニティ内で変化・多様化・成熟している。今日まで「ZINEというやり方」が何にも束縛されず人々に伝播し続けているのだ。

2010年代のZINEカルチャーは「ハード」ではなく「ソフト」だ

では現在、どのようなZINEカルチャーがあるのだろうか。

最近世界で最も話題なったZINEは、ラッパーのフランク・オーシャンによる『Boys Don’t Cry』だろう。2016年に彼はアルバムの「Blonde」を発表、自身のセクシュアリティをカミングアウトした。ZINEのタイトル『Boys Don’t Cry』が、レズビアンコミュニティの厳しい現実を描いた映画と同じタイトルであることは、偶然ではないはずだ。

また、日本国内でも、至るところでZINEカルチャーの動きが見られる。

具体的な作品を挙げればキリがないが、ここでは皆が簡単に手に入れることができる書籍の範囲内で、ZINEが取りあげられた例を挙げよう。エイ出版社のまるごと1冊がZINEについてまとめられたムック「ZINE入門」や、デザイン誌「アイデア」で連載された、ばるぼらと野中モモによる対談をまとめた「日本のZINEについて知っていることすべて」は今、ZINE文化が人々に注目されているがゆえに必要とされた出版物だろう。

流通のさせ方もさまざまだ。専門店や大小のイベントも確立されてきている。大きなイベントでは、Tokyo Art Book Fairが毎年大盛況を納めている。また、夏・冬に行なわれるコミック・マーケットも大きな文化のひとつだろう。また、ジャンルを問わずさまざまなアパレルショップの小棚に置かれていたり、蔦屋書店のように大きな本屋でもZINEコーナーが見られるようになった。また、コンビニのオンデマンドプリントによって受け手に印刷してもらう形式も、最新のZINE事情として考えられるだろう。

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「ガール・ジン 「フェミニズムする」少女たちの参加型メディア」には、こんな一文がある。

ーー創造的な意欲に火をつけるには、実物のジンを手に取ることが必要なのだーー

(P108)

この言葉を踏まえると、現在のZINEの動向に90年代のZINE文化の影響を見出すことができる。

たとえば、Tavi Gevinson(タヴィ・ゲヴィンソン)によるオンラインのブログメディア、ROOKIE MAGを紙面化してまとめた『ROOKIE YEAR BOOK』が2014年に発売された。ROOKIE MAGはティーンエイジャーの女子向けに、ファッションやカルチャーなど日常生活の何気ない部分を記事として発信するメディアだ。また、翌2015年には山崎まどか率いる翻訳チームによって、日本語版も登場している。この翻訳チームにはインターンシップとして参加する若者たちがいた。

ゲヴィンソンによる『ROOKIE YEAR BOOK』も、日本語訳のインターンシップとして関わった日本人チームも、まるで現在に90年代のガール・ジンカルチャーをリバイバルしたかのようだ。

ゲヴィンソンは96年生まれのミレニアル世代だが、彼女の運営するROOKIE MAGは、90年代のZINEに通じるものがある。たとえばのROOKIE MAGには「Live Through This」というカテゴリーがある。日本語で訳すならば、「人生を乗り越える」「この世界で生きていく」といったところだろうが、「大人と子供の境界線」「後悔しない生き方」などを意味し、かなり個人的な話題が並ぶ。定型的な情報や知識というわけではなく、あくまで個人のメッセージがユーザーに届けられているというわけだ。さらに、直接的に「ZINEの作り方」に触れた話題もあり、90年代ガールズ・パンクに見られたDIY精神も垣間見られる。

媒介が紙であれインターネットであれ、こういった自分の気持ちを自身の言葉によって語る行為に価値の優劣はないだろう。ところで、どうして彼女はオンラインでも十分成立しているROOKIE MAGを紙に印刷してまとめたのだろうか。

Slateによれば、膨大な情報が現在進行形で増え続けるインターネットの世界では、ひとつの情報の価値の賞味期限がとても短く、あっという間に新しい情報で埋もれてしまうことが理由だと語られている。メッセージ性を重視する内容のコンテンツが、早い者勝ちの情報の流れとともにかき消されることを防ぐために、彼女は印刷というアーカイブ方法を選んだというわけだ。

彼女は自身の書籍そのものをZINEと称してはいないが、ライオット・ガール・ムーブメント的な文化に影響された内容や、それらを印刷して紙としてアーカイブ化する行為は、まるで90年代のZINE文化に対するオマージュのようだ。

また、『ROOKIE YEAR BOOK』の日本語訳インターンチームは現在「Sister Magazine」というメディアを立ちあげ、クラウドファンディングなどをしながら活動を続けている。彼女たちは『ROOKIE YEAR BOOK』が持っている90年代リバイバルなZINEカルチャーに最も近い存在だ。実際に、文章の変換という形でその内容や文脈を共有しているからである。ということはつまり、翻訳を通してリアルなZINEカルチャーに触れ「創造的な意欲に火をつけられた」ということだろう。「Sister Magazine」は現在オンラインメディアで、紙媒体の制作は見られていないが、まさにアリスンの言葉が体現された現象だ。

現在のZINEカルチャーのシーンに起こっている90年代リバイバルは、かなり間接的なものだ。それはビキニ・キルがすすんでファンにZINEをコピー/複製を繰り返させたのと同じで、大切なのは「紙とインターネットどちらが有意義か」といったハードウェアの事情ではなく、ソフトウェアとしてのスピリッツなのである。

インターネットが完全に普及した今、ZINEは紙/インターネットといった形式の差異に縛られたのではなく、むしろもっと自由に「How」を選べるようになったのだ。「いつもはオンラインでテキストを公開し、記事をアーカイブするために紙に印刷する」というやり方は、90年代よりももっと前から続くZINEの文化から文脈/精神をすくい取った現在のアップデート版といえるだろう。それでも、内容や形式が自由であるために、コマーシャリズムに取り込まれたり、定型化/画一化できないのがZINEカルチャーだ。内容や対象、形式がどんなに変容しても「DIYするZINEカルチャー」という行為だけはピュアなままに受け継がれ、これからの世代にも広がり続けていくのだろう。

皆さんにとっての「現在90年代を象徴するもの」を教えてください。TwitterもしくはInstagramで「#90年代オルタナの生と死」でハッシュタグ付きで投稿してください。特集期間中、FUZEがピックアップして定期的に再投稿していきます。

Image: Chris Hamby/Flickr, dan10things/visualhunt
Source: i-D jJapan, HEAPS, Wikipedia(1, 2, 3, 4 ), P.W.A, Amazon(1, 2, 3)HIGHSNOBIETY(1, 2) , アイデア, ROOKIE MAG(1, 2, 3 , 4, 5, 6), Slate, Sister Magazine, Tokyo Art Book Fair
ピープマイヤー、アリスン「ガール・ジン「フェミニズムする」少女たちの参加型メディア」野中モモ訳、太田出版、2011年。

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