1990年代後半の音楽カルチャーは、商業的音楽とDIY的音楽が入り乱れ、音楽の受け手である消費者の価値基準も変わっていった。作風もアルバム全体を通した物語性よりも、エンターテインメント性が強く、より新しいもの中心のリスニングを行うことは当然の流れだ。そうした時代が、オルタナティブを知らない若者によって刷新されることを、干渉と受け取るか、歓迎するべきか、そうした選択肢があることを1990年代は示してくれた時代だったのではないだろうか?ここでは、1996〜1999年のオルタナティブ音楽シーンの終焉とその先を見てみるとしよう(FUZE編集部)。
1990年代音楽史シリーズ
・「オルタナの生誕」は何を終わらせたのか? 1990-1992
・オルタナティブは幻想だったのか? 1993-1995
・オルタナの終焉で見えたモノ:1996-1999
1996年
1996年という年の音楽カルチャーをイギリスの存在抜きに語ることは不可能だろう。特に大きな話題となったのは、フェスティバル文化を育んできたヨーロッパで大きな成功を収め一時代を築きながらも、「アメリカで失敗した」レッテルを貼られてきたブリットポップにおいて、プロディジーやケミカル・ブラザーズが、ロックの生ドラムをサンプリングしたブレイクビーツのサウンドで、ロックファンをエレクトロに導き、競うように大ヒット・シングルのアンセムを生み出していった新世代だろう。彼らのサウンドは「ビッグビート」や「エレクトロニカ」と呼ばれ、多様化するロック・フェスでヘッドライナーを務めるほど存在感を発揮、ファットボーイ・スリムやアンダーワールド、Faithlessもこれに続いた。また映画でも、1990年代イギリスのドラッグ・カルチャー、ユース・カルチャーを体現したダニー・ボイル監督の『トレインスポッティング』が世界的ヒットを記録した。このイギリスでの文化現象は「クール・ブリタニア」と称され、1966年のスウィンギング・ロンドンとも比較されるほど文化への期待値が高まっていった。
アメリカではオルタナティヴ・ロックは、この年も前年からのスマッシング・パンプキンズやベック、政治的主張で次のカリスマと目されたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどが人気を博した一方で、これまでオルタナの人気を支えていたMTVがMTV2と分局化したことからメディア産業における音楽コンテンツの評価が変わり始め、MTV世代から続く一つの時代の終わりの始まりだった。その流れと平行するように台頭したのが女性アーティストで、『Jagged Little Pill』で国際的知名度を獲得したアラニス・モリセットや『Tidal』でデビューしたフィオナ・アップルなどシンガーソングライター、そしてノー・ダウトのグウェン・ステファーニ、ガービッジのシャーリー・マンソン、フージーズのローリン・ヒルなどが時代の顔となった。一方で、ヒップホップ・シーンで多大な影響と才能の片鱗を見せた2パックとノトーリアスB.I.G.による対立構造がニュースのヘッドラインを賑わし、結果としてヒップホップ人気の拡大へと流れ込むが、9月にラスベガスで2パックがマイク・タイソンの試合観戦後に、何者かに射殺され命を落とすこととなり、シーン全体が混沌とした時代を迎えようとしていた。
1996年 主な作品と出来事
2.23 イギリス人映画監督ダニー・ボイルによる『トレインスポッティング』公開、1990年代のイギリス若者文化を象徴する記念碑的作品となる。
3.9 オアシスの「Wonderwall」、全米シングルチャートでトップ10入り。
3.18 プロディジーのシングル「Firestarter」、全英シングルチャート1位。ロックファンからも注目を浴びる。
4.16 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの2枚目のアルバム『Evil Empire』リリース、全米初登場1位。
5.25 フージーズのアルバム『The Score』(Ruffhouse)が全米アルバム・チャートで1位。ヒップホップの世界的メガヒット・アルバムとなる。
7.23 フィオナ・アップルがデビュー・アルバム『Tidal』(Work)リリース。
8.11-12 オアシス、ネブワースでの2日連続の6万人ライブを成功させる。
9.4 MTVビデオ・ミュージック・アワードでスマッシング・パンプキンズが7部門制覇の快挙。
9.13 トゥパック、ラスヴェガスで射殺される。享年25歳。
9.30 ケミカル・ブラザーズのシングル「Setting Sun」(Virgin)、全英初登場1位を獲得。
11.1 レオナルド・ディカプリオ、クレア・デーンズ主演、バズ・ラーマン監督の『ロミオ+ジュリエット』が公開され大ヒット。
1997年
1994年頃から日本で盛り上がり始めたオルタナティヴ・シーンは、1997年に「第一回フジロック・フェスティバル」開催という形で一つの集大成を迎えた。欧米のフェスティバルさながらの豪華ラインナップは、国内で前例がなく、台風で2日目が中止になる波乱となったが、約3万人を動員。人気J-POPアーティスト出演が無い、洋楽志向が強いなど、国内音楽シーンで受け入れられずにいたが、その後の日本のフェス文化発達に大きく貢献してきた。
こうした日本での盛り上がりに反比例するように、オルタナティブが定着した欧米では、時代が終焉を迎えようとしていた。元ニルヴァーナのドラマー、デイヴ・グロール率いるフー・ファイターズはセカンドアルバム『The Colour and the Shape』で更なる躍進を遂げたが、サウンドガーデン、ダイナソーJr.、コクトー・ツインズ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが相次いで解散、イギリスではプロディジー、ケミカル・ブラザーズの2大ビッグビート・アクトのアルバム、そしてレディオヘッドの『OKコンピューター』をはじめ新時代を予感させるロックアクトが現れるも、ブラーのデイモン・アルバーンが「ブリットポップは死んだ」宣言が決定打となり、新人バンドのラッシュは打ち止め、作風に対する厳しい批判が相次いだ。
さらに1996年に殺害された2パックに続き、3月にはノトーリアスB.I.G.も射殺される。以降のヒップホップは、バイオレンスとストリートカルチャーのネガティブイメージを抱えていくこととなる。だが、東海岸vs西海岸というメディア受けしやすい抗争対立を機にヒップホップ人気は空前のピークを迎え、Bad Boy Recordsやミッシー・エリオット、ティンバランド、ウィル・スミスなどによる商業化に拍車がかかったことは1997年が一つの転機と捉えることができる。
映画界では前例のないメガヒット『タイタニック』をジェームズ・キャメロン監督が送り出す。これによりハリウッドの復活と映画界のオルタナ感、インディーズ志向は収束するかと思いきや、インディペンデント界でキャリアを積んだポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギーナイツ』、若手俳優だったマット・デイモンとベン・アフレックが脚本を書いた『グッドウィル・ハンティング』などクオリティある話題作が成功し、後者はアメリカ西海岸ポートランドのシンガーソングライター、エリオット・スミスの存在を世に知らしめた。
こうした音楽や映画の世界の流れが大衆主義に向かう勢いは留まることなく流れ続けている。そして、グランジを中心とした一つの時代は、急激に再生するポップミュージックの影で、その休止力が失速していったのだった。時は確実に次なる時代へと向かっていた。
1997年 主な作品と出来事
2.10 ブラーが脱ブリットポップ・アルバム『ブラー』(Food)をリリース。アメリカ志向の強い「ソング2」が大ヒット。
3.9 ノトーリアスB.I.G.が射殺される。享年24歳。
4.7 ケミカル・ブラザーズの2ndアルバム「Dig Your Own Hole」リリース。
4.9 サウンドガーデンが解散。
5.2 クール・ブリタニアの推進者、労働党のトニー・ブレアがイギリス首相に就任。10年の長期政権に。
5.20 フー・ファイターズがセカンド・アルバム『The Colour And The Shape』リリース。「Everlong」「My Hero」がアンセムに。
5.21 レディオヘッド、『OKコンピューター』(Parlophone)をリリース。
6.30 プロディジー、『The Fat Of The Land』(XL)をリリース。
7.26 第1回フジロック・フェスティバル開催。ヘッドライナーにレッド・ホット・チリ・ペッパーズとグリーン・デイ。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、エイフェックス・ツイン、フー・ファイターズ、マッシヴ・アタック、プロディジーらを招聘。台風の影響で2日目は中止に。
8.16 野外オルタナティブ・フェスティバル「ロラパルーザ」終了。7年後の2003年に復活。
8.31 イギリスのダイアナ妃が交通事故死。
9.29 ザ・ヴァーヴ、アルバム『Urban Hymns』(Hut)をリリース。
10.10 ポール・トーマス・アンダーソン監督の出世作『ブギーナイツ』公開。
12.5 ガス・ヴァン・サント監督の映画『グッドウィル・ハンティング』公開。エリオット・スミスの主題歌がアカデミー賞主題歌賞にノミネート。
1998年
1990年代と言いつつ、1998年は「ミレニアムの最初期」の印象が今となっては強い。それほどまでに、1997年と1998年は違う。それは、1998年に入り、オルタナティブ・カルチャー自体が多数派のものではなくなっていたからだ。それを象徴するのがMTVの人気番組「トータル・リクエスト・ライヴ」(TRL)の存在だった。人気投票形式の番組は、これまでMTVがメインターゲットとしてきたミドル・ティーン以上を、プリ・ティーンにまで下げたMTV内での世代交代に向けたチャレンジだったが、それが「オルタナを知らない子供たち」による(実際にオルタナ世代が「X世代」と呼ばれたところを彼らは「Y世代」とも呼ばれる)ポップアーティストを中心としたメインストリームカルチャーが徐々に一般化し始まることにつながる。この年には、マリリン・マンソンやKORNがロックシーンで人気を博したが、インダストリアル・ロックやヒップホップとのミクスチャーロックといったサウンドに、病んだ社会を描いた歌詞を掛け合わせ、さらに元来ヘヴィ・メタルが持っていた悪魔的なエンタメ性をも強調した独自のスタイルとなっていったものだった。
ヒップホップ・シーンでは、2パックとノトーリアスB.I.G.の死後、かすれていた方向性の中に、ニューヨークに登場したジェイZを筆頭に、南部アトランタのアウトキャスト、ロサンゼルスのブラック・アイド・ピーズ、ジュラシック5など、アンダーグラウンドで従来の東海岸・西海岸とは違う勢力が頭角を表すこととなった。
映画の世界では、ウェス・アンダーソン監督の『天才マックスの世界』やコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキ』などがカルト的ヒットとなり、後に再評価されることとなった。特に、ヴィンセント・ギャロ監督の『バッファロー66』は映画業界でも高く評価される。またテレビではケーブルTVのHBOで『セックス&ザ・シティ』がスタート、テレビのドラマ時代の幕開けに向かう動きが生まれつつあった。
1998年 主な作品と出来事
3.6 コーエン兄弟監督の『ビッグ・リボウスキ』公開。
6.2 スマッシング・パンプキンズが問題作『Adore』リリース。
6.6 HBOで『セックス&ザ・シティ』放送開始。
6.26 ヴィンセント・ギャロ監督の『バッファロー66』公開。
7.14 ビースティ・ボーイズ、アルバム『Hello Nasty』を発表し、全米初登場1位に。
8.18 Kornがアルバム『Follow The Leader』をリリースし全米1位に。
8.25 ローリン・ヒルが『The Miseducation Of Lauren Hill』をリリースし大ヒットに。
9.14 MTVで「トータル・リクエスト・ライブ」の放送が始まる。
9.14 マリリン・マンソンがアルバム『Mechanical Animals』をリリースし全米初登場1位に。
9.29 ジェイZが『Vol2 Hard Knock Life』、アウトキャストがアルバム『Aquemini』リリース。
10.9 ウェス・アンダーソン監督の出世作『天才マックスの世界』が公開。
1999年
1999年の幕開けは、音楽界の世代交代を痛感させられるものだった。1月に老舗レコード会社A&Mが活動を停止、その親会社であり、1990年代に最大勢力だったレコード会社ポリグラムはシーグラムに身売り後、ユニバーサルミュージックと合併し、インタースコープ・ゲフィン・A&Mという巨大なレーベルグループを形成する。音楽的な事情では、ブリトニー・スピアーズを筆頭に、バックストリート・ボーイズ、クリスティーナ・アギレラ、インシンク、S Club 7などアイドル・ブームの到来だ。「Y世代」と呼ばれるミレニアムのティーンエイジャーを熱狂させた。そしてロックでもそうした流れに歩調を併せていった。ミクスチャー・ロックのリンプ・ビズキットや、ポップパンクのブリンク182と言った、悪ガキ・スタイルのカリスマたちが白人ロー・ティーンを掌握してMTVを席巻する。そうした動きに歯止めが効かなくなった象徴として社会に記憶されたのが、同年開催の「愛と平和の祭典」がテーマの野外フェス「ウッドストック99」で起きたカオス。女性アーティストに対して「脱げ!」のセクハラ・コールは起こる、会場内で放火を起こす。同時期に話題を集めていたブラック・コメディ、シモネタ満載のアニメ『サウスパーク』さながらの世界を現実化させた雰囲気だったのだ。
こうした時代背景の中、辛辣な言葉で社会を風刺する白人ラッパー、エミネムがドクター・ドレーに見出されデビューしたのもこの年であったことや、クオリティ重視の作品作りを行ったレッド・ホット・チリ・ペッパーズやフー・ファイターズ、R&Bの万能型スーパーエンターティナー、デスティニーズ・チャイルドが評価を高め、その後の音楽シーンに長く生き残ることにもなった一つの分岐点とも言える。
欧米のインディ、イギリスのロック共々地味な状況を余儀なくされたが、その間にトータスやモグワイなどのポストロック、アット・ザ・ドライヴ・インなどのエモといったインディの当時のトレンドに活路を見出したい人は少なくなく、それは特に当時の日本のギターバンドに次の10年で本場の欧米以上に強い影響を与えることにもなった。
映画界ではデヴィッド・フィンチャー監督の『ファイトクラブ』が賛否両論で最も話題を集める作品となり、スパイク・ジョーンズ監督の『マルコビッチの穴』、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』など、元MV監督たちによる、重いテーマ性と豪華キャストによる風刺的演技というミスマッチ作品が相次いだことも、ポスト・グランジ時代の映像が1990年以降の音楽カルチャーからの影響を少なからず受け継ぎ更新する表現にたどり着いたと云えるのではないだろうか。
1999年 主な作品と出来事
1.10 HBOがドラマ『ソプラノス』放送開始。
1.30 ブリトニー・スピアーズ「Baby One More Time」で全米シングル・チャート1位獲得。オルタナ時代は終焉に。
2.23 エミネムが『Slim Shady LP』でメジャー・デビュー。全米初登場2位に。
6/8 ジョン・フルシアンテ復帰のレッド・ホット・チリ・ペッパーズがアルバム『Californication』リリース。
6.22 リンプ・ビズキットがセカンド・アルバム『Significant Other』リリース。全米初登場1位に。
7.17 デスティニーズ・チャイルド、シングル「Bills Bills Bills」で初の全米1位に。
7.22-25 物議を醸した「ウッドストック99」が開催。
9.25 カルト学園ドラマ「フリークス学園」放送開始。
10.15 デヴィッド・フィンチャー監督の問題作『ファイト・クラブ』公開。
10.19 スティーヴ・ジョーンズ監督が「マルコビッチの穴」で長編映画監督デビュー。
1217 ポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』公開。
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