2010年代の海外ドラマ革命、それは「クリエイターと産業、ユーザー」の三者が手を取り合った「20年の歴史」の結晶である 対談:☆Taku Takahashi(m-flo/block.fm)×田中宗一郎
DIGITAL CULTUREここ数年、アメリカを中心に海外ドラマは劇的に面白くなっている。Netflixなどの映像配信サービスの隆盛をひとつの契機として、その表現の内容と質は目覚ましい発展を遂げ、数えきれないほどの傑作が生まれている状況だ。しかし、いまだに「海外ドラマ」が一部の固定ファン向けのニッチなコンテンツであり、映像配信サービスも一般的とは言い難い日本においては、その地殻変動はほぼ伝わってきていないと言っていいだろう。これはあまりに勿体ない。
そこで我々は、具体的に現在の海外ドラマは何がどのように面白いのか? そして、その理由はどこにあるのか? ということを紐解くべく、インタビューを行なうことにした。その相手は、日本の音楽界でも屈指の海外ドラマ通であるm-floの☆Taku Takahashi。彼は国内外のポップ・カルチャーに精通しているだけではなく、2011年にインターネット・ラジオ局の〈block.fm〉を立ち上げたことからもわかる通り、コンテンツとそれを取り巻く構造の在り方にも強い問題意識を持っている人物だ。コンテンツとアーキテクチャーの改革が同時に進んでいる現在の海外ドラマの語り部として、これ以上に打ってつけの人物はいないだろう。
インタビューの訊き手は、やはり国内外の様々なポップ・カルチャーに精通し、文化と産業のわかちがたい関係を俯瞰的に見つづけてきた〈The Sign Magazine〉の田中宗一郎。果たしてふたりの対話は、「海外ドラマ」にとどまらず、日本の産業構造や文化的なリテラシーの問題にまで及んだ。
なお、☆Taku Takahashiと田中宗一郎の対話は3つのパートに分かれている。本稿は、全体の入り口となる総論編。そして、2010年代屈指の重要作について語った『ゲーム・オブ・スローンズ』編、50年以上に渡って熱狂的な支持を集めるSFの金字塔『スター・トレック』編がある。ぜひ3本あわせて読んでいただきたい。
海外ドラマの隆盛を支えるファンダムの豊かさは、どのようにして育まれたのか?
田中:事前にTakuさんが興味のあるドラマのリストをいただいているんですけど。
『スタートレック』
『アメリカンゴッズ』
『ストレンジャーシングス』
『エージェントオブシールド』
『Mr.ロボット』
『ウェストワールド』
『Veep』
『高い城の男』
Taku:はい。
田中:『Veep』以外は大体がサイエンス・フィクション、もしくはファンタジーですよね? Takuさんは、特にSFやファンタジーがお好きだと考えていいんでしょうか?
Taku:SFが基本的な僕のテイストの軸だと思います。僕、ファンタジーは嫌いなんですね。『ゲーム・オブ・スローンズ』と『ベルセルク』だけはファンタジーでも見れるんですけど。
田中:ファンタジーが受け入れられない理由というのは?
Taku:ドラゴンが好きじゃないし、魔法も好きじゃないんです。あと、中世期の感じも好きじゃない。感覚的にグッとこないっていうのが一番ですね。メカが好きなんですよ。あと、僕、ゾンビも苦手で。だから、リストに『ウォーキング・デッド』が入ってないんです。
田中:僕もゾンビものは見ないですね。Takuさんがゾンビに興味がないっていうのは?
Taku:怖いからです。
田中:(笑)。
Taku:『ウォーキング・デッド』とか見られてます?
田中:いや、結局、『ウォーキング・デッド』だけはあれだけ話題になっていたのに見なかったんです。いただいたリストだと『Veep』以外はすべて見てるくらいですから、流行ってるものは一通り見ておこうと思ってるタチなんですけど。
Taku:情報収集はどこでするんですか? 流行ってるかどうか、っていうのは。
田中:主に海外の記事ですね。たとえば、〈Billboard〉や〈The Fader〉といった音楽寄りのメディアから、〈The NewYork Times〉や〈The Guardian〉といった新聞メディアも。
Taku:海外のメディアは、アメリカのポップ・カルチャーとかドラマの話を記事にしちゃいますもんね。
田中:そうなんですよ。日本だと、映画はぎりぎりジャーナリズムと批評があると思うんですけど、ドラマに関しては皆無ですから。「好き、嫌い」という反応だけで。でも、海外だと1エピソードが配信されるごとにレビュー記事がアップされたりする。それはやっぱり参考になりますね。
Taku:ただ、その情報ソースが英語だから、日本人からしてみると情報がないに等しいんですよね。
田中:まさにおっしゃる通りですね。だからこそ、配信系を中心にして海外ドラマはここ5年で飛躍的に面白くなったと思うんですけど、日本だと情報ソースがあまりにもないので、いまだに「海外ドラマ」=「シットコム」的なものだと思われている。あるいは、女性ドラマだと『セックス・アンド・ザ・シティ』のイメージのままだったり。
Taku:新興勢力であるNetflixとかの配信サービスが、いまだに『ゴシップ・ガール』とか『セックス・アンド・ザ・シティ』をプッシュしてるところを見ると、「時が止まってるな、この国は」って思いますよね。どれも名作だとは思うんですけど。要は、民放が新しい海外ドラマを放送するのをやめてから一気に知られなくなりましたよね。逆に民放で今のアメリカのドラマをやれるのかって言われたら、ちょっと危ないと思いますけど。
田中:いろんな部分で難しいですよね。配信ドラマが隆盛した一つの理由として、映画のコードに引っかかるエロ、グロ、ナンセンス、全部やれちゃうからっていうのがありますよね。政治ネタも臆することなくやれちゃう。それを日本国内の民放でやるのは無理があるでしょうね。
Taku:うん、たしかに。
田中:ただ、海外の情報が入ってこないのは、映画・ドラマだけじゃなくてポップ・ミュージックもそうですよね?
Taku:うん、それはあります。僕自身、それが理由でblock.fmを始めたのもあるので。世界のあちこちで面白くて新しい音楽が生まれているのに、当時の日本のFM局ではそれを紹介していなかったんですよ。今ではEDMっていう言葉ができて、〈Billboard〉にも入るようになったから、かかるようになりましたけど。
田中:ホントようやくの話ですよね。
Taku:でも、当時のエレクトロのかっこいいアーティストが集まってEDMに変わっていく、その変わり目のものはまったく紹介されていなかったんです。「紹介しましょうよ」とFM局に持っていっても「いや、スポンサーがつかないんで」と断られる。それが日本のリアリティだなって。
田中:そこは日々痛感しています。
Taku:それと同じ状況をドラマでも感じますね。なかなか紹介されないんですよ。
田中:実際、ここ5年くらいで、アメリカの配信系を中心に、ドラマが飛躍的に面白くなったという実感が僕にはあるんですけど、Takuさんはどうですか?
Taku:いや、もう今がピークじゃないですか? 「これ以上行けるのかな?」って逆に心配になるくらい、今は面白いものがたくさん出てきていますよね。
田中:どれもこれも質が高いし。しかも、ジャンルやテーマのバリエーションもあまりに幅広くて。
Taku: ユーザーの質、リテラシーもめちゃくちゃ高いと思いますし。
田中:おっしゃる通りですよね。質の高い作品をきちんと受けとめているユーザーの層の厚さといいますか。ただ実際のところ、アメリカのユーザーのリテラシーの高さは、何に起因しているんだと思いますか?
Taku:僕は「フェアユース」にあると思っています。フェアユースの概念っていうのは、解説などの目的で使う場合は、たとえばユーチューバーがドラマの映像をそのまま使ってもOKということですね。アメリカのYouTubeでは、リアクション・ビデオがたくさんあるんですよ。『ゲーム・オブ・スローンズ』のシーズン3の8話で、結婚式のシーンがありますけど、このエピソードでリアクション・ビデオの存在が一気に大きくなった。そういうものがあると、制作側の外側でファンがコミュニティを作ることになるから、めちゃめちゃリテラシーが高くなるんじゃないかなと。
田中:二次創作的な形で、ファンがそれぞれの作品をいろんな角度から解説したり、分析したりして、さらに作品を広めていくと同時に、作品に対する理解が深まっていくという構造ができあがっている、と。
Taku:日本だとフェアユースっていう概念がないから、そういったビデオを作る人もいないし、なかなか広がりづらい。そこに大きな差があると思います。
田中:日本は本当にあらゆる著作権がガチガチですからね。
Taku:たとえば僕のYouTubeは全部、こういうのばっかりですよ(閲覧履歴を見せる)。Alt Shift Xっていうのは、僕が大好きなチャンネルです。とてもよくできているんですよ。
Taku:この人たちにはパトロンっていうか、クラウドファンディング・サービスみたいなもので収益を得ているんです。それでも製作者側からは怒られない。
田中:ファンダム全体が豊かなんですよね。作品や制作側の意識だけでなく。
Taku:豊かなんですよ。そりゃリテラシーが高くなりますよね。あと、もう一つ理由があるとすれば、コンベンションをやっていることですね。AKBの握手会みたいなのを、あちこちで実際にやるんですよ。
田中:それこそ69年に『スター・トレック』の最初のTVシリーズが終わって以降、全米で活発に行なわれるようになったカルチャーですよね。それが今のコミコンの存在にも繋がっているともいえる。
Taku:そう! 『スター・トレック』のコンベンションがすべての始まりと言っていいくらいですね。ファンベースを強くするために、フィジカルで会える機会を大切にしてるんです。しかも、その内容を面白くして、それをまたコンテンツにしちゃう。出演者にも還元されるようにサイン会は有料だったりとか。本当によくできてるんです。
田中:ひとつのコンテンツをファンダムとわけあって、それを大きく広げていって、それぞれにちゃんとインカムが入るようなシステムを長い時間をかけて作ってきたんですよね。
Taku:いい例じゃないかもしれないけど、「牛一頭全部を料理します」っていうくらい、骨の髄までしゃぶるアメリカのビジネス・モデルはしっかりと完成していると思っていて。で、僕はそのすごさに見事ハマっちゃってるタイプなんですよ。
田中:僕もまったく同じです(笑)。そうしたビジネス・モデルを築きあげることで、ファンダム全体の豊かさとコンテンツの質の高さを担保してきた。何十年もかけてカルチャーを育ててきたわけです。
現在の優れたドラマ表現における引用の巧みさ
田中:では、より個々の作品的なところで、「自分は最近の海外ドラマをこういったポイントで楽しんでいるんだ」というのが何かあれば教えてください。
Taku:この前、コインチェックがハッキングされましたけど、『Mr. ロボット』はそれと同じような話じゃないですか。無茶苦茶な世界を作ろうとするハッカー集団がいて、実際にハックしちゃって、お金の価値をなくしちゃう。
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田中:近未来の話ですけど、リーマン・ショックからオキュパイ運動以降にかけての格差社会をモチーフにしている作品で。ハッカーたちがそうした不平等な世界経済をすべてひっくり返すためにハッキングするっていうストーリー。
Taku:で、僕はあの作品の何が好きかっていうと、ストーリーの面白さにプラスして映像美があることなんですよ。映像の撮り方がめちゃくちゃ綺麗。それと、音楽ですね。『ストレンジャー・シングス』のサントラも、うまくシンセサイザー使って、評価されているじゃないですか。『Mr.ロボット』もほとんどのシーンでシンセを使っていて、シーズン2以降は懐メロを使い出すんですよ。で、その音楽の入るタイミングとか、音楽のセレクションが抜群にうまい。
田中:スコアも巧みなんだけど、ポップ・ソングの使い方が実に効果的かつ粋なんですよね。『Mr.ロボット』のシーズン2で、エンディングにダスティン・スプリングフィールドの「ユー・ドント・ハヴ・トゥ・セイ・ユイー・ラヴ・ミー」が入るじゃないですか。しかも、あえてライブ・バージョン(笑)。あそこのセレクトとか、見事ですよね。
Taku:『ストレンジャー・シングス』のシーズン2も懐メロの使い方がうまいですよね。最後のダンス・シーンで、シンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」と、ポリスの「エブリ・ブレス・ユー・テイク」を使っていて。「うわー、これは」っていう。
田中:ホント絶妙なんですよね。前者は所謂ジョン・ヒューズが作ってきた80年代の青春映画へのオマージュとしては最適だし、後者みたいな恋愛ストーカーについての歌を使って、シーズン3への不安を掻き立てたりとか。
Taku:しかも、その音楽が流れるシーンで、いろんな人間模様があるんですよ。恋してる人もいれば、フラれる男の子もいる。で、フラれた男の子を、昔から憧れてたお姉ちゃんが慰めてくれたり。「いい? あの子たちは今はわかってないけど、もう少し歳をとったらわかるようになるのよ、あなたのよさを」とか。僕、小学校、中学校、高校とモテない生活をしてるから、自分と照らし合わせながら、「ウンウン」って泣きながら見ちゃったんですけど。
田中:(笑)。
Taku:それはともかく(笑)、最近のドラマで共通しているのは音楽の鳴らし方のうまさですよね。これはたぶん、『ホームランド』以降なんですけど、あまりバックグラウンドに音楽を使わなくなったんですよ。無音が増えている。
田中:たしかに。
Taku:ほぼ無音で、プラス、部屋の環境音が入るくらい。『Mr.ロボット』もそうなんですけど、ほとんど生活音だけを出しているんですね。で、ここぞ、というところで音を入れてくる。その落差で「バーン」って音が入ってくると、聞こえ方が全然違うんですよ。その緩急のつけ方もいいですし、セレクションも申し分ない。
田中:それが故にずっと緊張感が続く、非常に重苦しい作品に仕上がっていて。
Taku:そうなんですよ。ただ、『Mr.ロボット』は音楽だけじゃなくてストーリーも気になるんですけど、「見るぞ!」っていう気持ちのときじゃないと、なかなか…。
田中:テーマが重いですからね。今の社会が抱える重苦しさがべっとりと染みついてる。しかも、主人公もある種の精神疾患を患ってて。小説の形式でいうところの「信用できない話者」という設定になっているので、画面に映っている世界が本当の現実なのか、彼自身の妄想なのか、視聴者にはわからないという作りになってて、よりサスペンスが強まるんですよね。
Taku:そうです。「これは誰に話しかけてるんだろう?」「 僕らは何なんだろう?」っていうのがずっと続くんですよね。
田中:だから、ドラマに入りづらいところがあるし、気持ちに余裕がないとなかなか直視出来ないドラマでもあって(笑)。
Taku:そうなんです。でも、すごく評価されるべき作品だと思いますね。
田中:同意します。じゃあ、音楽と映像のコネクションの話をもう少し続けさせてください。
Taku:はい。
田中:たとえば、『ストレンジャー・シングス』。どちらのシーズンも84年から85年にかけての設定で、アメリカの片田舎が舞台。なので、基本的にみんな車移動しますよね?
Taku:そうですね。
田中:とても面白いと思ったのは、それぞれのキャラクターが車移動するときにラジオやカセットテープから流れている曲がそのキャラクターをタイプキャストしていることなんです。代表的なのは裏の世界に行っちゃうウィルの兄のジョナサンなんですけど、彼はデヴィッド・ボウイと同時代のニュー・ウェーブ、ポストパンク——特にザ・クラッシュが大好きなわけです。84年のアメリカ中西部でそういうテイストだっていうのは、いかに彼がスーパーナードで、コミュニティ内ではマイノリティなのかっていう演出なんですね。それ以外にも、たとえばLAから引っ越してきたマックスの母親の違うお兄さん、ビリーが運転している車ではスコーピオンズがかかったり。老若男女すべてのキャラクターの属性にきちんとしかるべき曲を当てはめているんです。そこもすごくうまいなと思いました。
Taku:そもそも監督のザ・ダファー・ブラザーズは、80年代を生きてないじゃないですか。だから、すごくリサーチしてると思うんですよ。当時のロスから来てる子たちがどういうのを聴いていたのか、田舎の子たちはどういうのを聴いていたのか、思春期に何を聴いてたのか、とか。だから、実はリアリティを当てはめてることが多いんじゃないかなと思ってて。
田中:相当なリサーチをしていると思います。たとえば、ウィルのジョナサンの兄弟ふたりを繋ぐ曲として、クラッシュの「シュド・アイ・ステイ・オア・シュド・アイ・ゴー」が何度も使われるじゃないですか。
田中:エピソード1は84年の秋の設定なんですけど、僕みたいなクラッシュのファンからすると、それまで実の兄弟のような間柄だったジョー・ストラマーとミック・ジョーンズが最後に一緒にステージに立ったのが84年の春。それから数ヶ月して、ミック・ジョーンズがバンドから脱退して、離れ離れになってしまったというニュースが届いた。それがまさにエピソード1の舞台なんです。つまり、「シュド・アイ・ステイ・オア・シュド・アイ・ゴー」を使うことで、兄弟してクラッシュ・ファンである二人が離れ離れになってしまうってプロットをあらかじめ予告してるんですね。もちろん、そんなこと知らなくてもドラマは楽しめるんですけど――。
Taku:知っていると余計に楽しめますね。
田中:そうなんですよ。第一話で『X-MEN』のコミック134号を貸し借りする話が出てくるのも、実はエルの登場を示唆してたりとか。そういう細かい引用が隅々まで行き届いてるのが本当にすごい。
Taku:実際、『ストレンジャー・シングス』はあれだけ作り込んでいたからこそ、アメリカに80'sブームを生みましたんだと思います。
田中:『E.T.』『スタンドバイミー』『グーニーズ』といった80年代の映画もたくみに引用しつつ。
Taku:ファッションにも影響を与えていますよね。『ストレンジャー・シングス』が流行ったから、ファッションのプリントに80'sのものがドバッと入り始めたりとか。たとえばLAに行くと、今、80'sをテーマにしたバーがすごく流行ってたりとかする。そういった影響も与えていますね。
田中:優れたドラマ表現があらゆるカルチャーに影響を与えている、まさに今起こってることのひとつの象徴ですよね。
なぜ日本の音楽や映像表現は海外に後れを取っているのか?
田中:ただこういう言い方はあまりしたくないんですが、やっぱり日本のドラマには、『ストレンジャー・シングス』のような構築感、設計力はないですよね。どうですか?
Taku:アメリカと較べて、日本のドラマは難しいと思うんですよ。まず制作時間と予算の制限があるじゃないですか。全部を作り終えてから公開することができないし、キャスティングもタレントに頼らなきゃいけないところがありますし。
田中:構造的な問題ですね。
Taku:ある意味、アメリカってずるいんですよ。何がずるいかっていうと、俳優を雇える分母が違うんですね。アメリカだけでも広いけど、それ以外にイギリス人やオーストラリア人も、アメリカ訛りで喋ってたら雇えちゃう。それこそ『ストレンジャー・シングス』のイレブンなんて、アメリカ訛りで喋ってるけどイギリス人ですし。
田中:『ゲーム・オブ・スローンズ』みたいにアメリカ資本の製作なのにイギリスの俳優をずらっと集まることができたり。
Taku:でも、日本の場合、「このドラマもまた同じ俳優だ」とならざるを得ない。そこでアメリカと比較しちゃうのは、ちょっと酷なのかなと思うところはあります。
田中:そもそもの基盤に大きな差がある、と。
Taku:せめて、制作を一回全部終わらせてから世に出す、みたいな行程になったら、ちょっとは変わるんじゃないかと思うんですけど。
田中:たとえば、Netflixみたいな企業が、日本のクリエイターに海外と同じルールで作らせることで何かが変わる可能性はあると思いますか?
Taku:そもそもの日本は問題として、音楽のサブスクリプション・サービスも映像配信サービスも同じで、「小学校1年生が、2年生を体験せずに、いきなり3年生のことをしなきゃいけない」っていう状況があると思うんですよ。
田中:というのは?
Taku:音楽の場合、アメリカではまずCDがあって、次にダウンロード・サービスが普及しました。ダウンロード・サービスでいろんなものが買えるという状況が一旦整ったんですね。で、その次にサブスクリプション・サービスが現れた。そんな風に段階的に進んでいった。でも、日本の場合は、音楽ダウンロード・サービスが始まったけれども、いろんな会社がいまだにサービスに関わっていない。ダウンロード・サービスがまだメインストリームになっていないのに、いきなりサブスクリプションといわれても、「うーん」ってなっちゃう。
田中:まさにおっしゃる通りですね。
Taku:映像の場合も一緒で。アメリカではまず地上波があって、その次にケーブル・テレビが普及しました。で、そこからNetflixとかの映像配信サービスに移行しているんですよ。
田中:段階的にインフラとサービス、その受容が発展してきたという歴史的な背景がある。
Taku:つまり、アメリカでは1年生、2年生、3年生って段階的にいけるんだけど、日本は2年生がないんです。だから、結構難しいところだと思います。実際、ここで話しているNetflixの話が通じる人は、そんなに多くない。やっぱりニッチじゃないですか。
田中:実際、これだけすごいことになってるのに、本当に限られた人たちだけが騒いでるという実感がありますね。
Taku:僕みたいにエンタメの世界で働いていても、みんなが見てるわけじゃないのが現実です。だから、逆に見てる人とは仲よくなれるし、話したりするんですけど。うまく変わっていってほしいなと思ってますけど、大変ですよね。
田中:いや、難しいと思います。2017年7月にこのFUZEで「音楽の敵、音楽の味方」という特集をやったんですけど。そこで、俺はヒールになろうと思って、「黒船Spotifyが日本の音楽文化を救う?」っていう記事を作ったんですよ。
Taku:まさに黒船ですからね。
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田中:「これを受け入れないで、タワーレコードでCDを買いつづけている限りは、何も変わらない」って完璧にヒールをやったんです。その記事自体はすごく読まれたんですけど、バックラッシュもすごかったですね。
Taku:具体的にどういう批判だったんですか?
田中:まずはSpotifyを受け入れてしまうと、アーティストに対する還元が減ってしまうという問題ですね。「だからこそ自分たちはフィジカルCDを買うんだ」という意見。もうひとつは、その記事での僕の主張というのが、現状の体制で必死に頑張っているアーティスト、レーベル、マネジメント、リテーラーの人たちの気持ちをまったく思いやらない考え方だ、と。
Taku:『おーい、龍馬』という作品で、坂本龍馬が勝海舟を殺しにいくシーンがあるんですよ。そのときに、龍馬が一応は話を聞こうと思って「なんで幕府は黒船を入れたんですか?」って聞いたんです。その答えが、「そうするしかなかったからだ」。まさに、その状況と一緒だと思うんですよ。
田中:同意します。
Taku:もうどうやってもデジタル化は止められない。ならば、それをしっかりと取り入れて、そこでどう勝つかを勉強しなきゃいけない。黒船ってそういうことじゃないですか。江戸幕府は内需だけではもう苦しい状況だったから、もし黒船を無理やりはねのけても復活は難しかったと思うんです。それと一緒で、音楽のデジタル化も止めようがないから、使えるものは使うべきだと思います。
田中:行くも地獄、止まるも地獄だったら、行ったほうがいい。その先のことを誰もが一緒になって考えよう、ということですよね。
Taku:レコード会社は大企業ですし、みんなを食べさせていく責任があるから、判断に慎重になるのは理解できるんです。でも、やるしかないっていうのは、まさにおっしゃる通りだと思いますね。この流れが止められないのだったら、逆にうまく利用して、マネタイズ・ポイントをどう変えていくか。音楽配信サービスをそのツールにしていかない限り、もう無理なんですよ。
なぜアメリカのドラマは2010年代に面白くなったのか?
田中:実際、音楽にせよ映像作品にせよ、海外でストリーミング・サービスが一般化するようになってから、コンテンツ自体も飛躍的に進化したと思うんですね。ここ数年で日本よりも随分先に行ってしまったという実感が僕にはあります。ただ、それが日本でも受け入れられるかどうかは、先ほども話に出た日本人のリテラシーの問題に関わってもいる。そのあたり、Takuさんはどう考えていらっしゃいますか?
Taku:残念ながら、日本人のリテラシーは世界に比べて低いと思います。でも、作り手側もそれを助長するような行為をしているんですよ。作り手側がユーザーを赤ちゃん扱いし過ぎているんですね。それが悪いサイクルを生んでいる。
田中:ダウン・スパイラルですよね。
Taku:そういった意味では、ユーザーは悪くない。大事なのは、ユーザーを子ども扱いすることじゃなくて、楽しみ方を教えてあげることだと思います。
田中:実際のところ、Takuさんから見て、ゼロ年代前半と現在とで比べた場合、日本のアーティストによる表現のアウトプットの仕方、もしくは受け手のリテラシーはどう変化していると思いますか?
Taku:90年代の方が圧倒的に日本人のリテラシーは高かったと思いますよ。ユーザーのリテラシーも高かったし、面白い番組もたくさんあったし、面白い音楽作品もいっぱいあった。まあ、当時の日本はお金があったっていうのも大きいんですけど。
田中:そうですね、そのポイントもすごく大きいと思います。
Taku:今は不景気になって、マネタイズする場所が見つけられず、「どうしよう、どうしよう?」ってわかんなくなってしまっている状況。もちろん、不景気のせいだけではないんですけどね。たとえば「不倫ネタでビュー数を取るのとか、もう止めません?」って思うじゃないですか。
田中:貧すればさらに窮するの典型だと思います。
Taku:世界でいろんな面白いことが起こってるんだから、それを紹介していけばいいのに、って思うんです。だけど、現場の人のレベルも下がっちゃってるんでしょうね。
田中:実際、そう思わずにはいられないときもありますね。
Taku:話をドラマに繋げていくと、90年代から2000年中盤くらいまでは、アメリカのドラマも面白くなかったんですよ。もちろん、当時も見ているドラマはありました。でも、全然面白くない。それって時代的に、アメリカが過剰にコンプラ重視だった時期なんですよね。
田中:表現に対する規制という意味では、まさに今の日本みたいな感じですね。
Taku:たとえば、電子レンジに猫入れたら、「説明書に書いてないじゃん!」と怒られて問題になっちゃうとか。マクドナルドでコーヒーをこぼして起訴されるとか。そういう時代だったから、アメリカも安全第一の考え方だったんです。それで何が起こったかというと、ユーザー離れですよ。だから、日本が変わるための一番の方法は、ユーザー離れじゃないかなって。
田中:まずはゼロになるしかないんだと。
Taku:アメリカでユーザー離れが起きたとき、どうしたかというと、「じゃあ面白くしないと!」「いや、でも起訴されたらヤバいよね」「わかった、じゃあ徹底的に法律を勉強して、有無も言わせない状況を作ろう。何か言われた場合はこういう風に対応できる」っていう風にシステム作りをしっかりしたんですよ。それで結局、今では何でもありになったじゃないですか。もちろんセクハラはNGですけど、それ以外は全部OK。「別にドラッグの話をしたっていいじゃん」とか。
田中:表現の自由度はすごく広がりましたよね。
Taku:リアリティがないと、ユーザーがついてこないことがわかったんです。それに加えて、デジタル化でどうマネタイズするかも考えた。ビジネス・モデルもしっかり考えたし、法律もしっかり考えたし、面白さ――マンネリを壊すことも徹底的に考えた。その結果が、2018年のアメリカのドラマの状況なのかなって思います。
田中:僕自身は海外発のドラマをとにかく頻繁に観るようになったのは、この5年ほどなんですが、Takuさんはいつ頃から今のアメリカのドラマの活況をお感じになられました?
Taku:『24』とか、2000年代の割と大味のドラマも見てるんですよ。あれは、時系列でリアルタイムに物語が進んでいくというアプローチが斬新でしたし、常にユーザーに刺激を与えることを徹底的に意識して作られていた。いろんなことに対応しようとして、ドラマの表現が変わっていく過程の作品だと感じますね。今見るとギャグにしか見えないんですけど(笑)。
田中:(笑)。
Taku:その過程を踏まえ、「いや、こんなには刺激はいらないよ」と変わっていって、それが今に繋がっていると思いますね。
今見るべきドラマは、我々のすぐ目の前に山ほどある
田中:では、今、アメリカのドラマが非常に面白くなっている中で、「まずこれは最初に見ておいた方がいい」と読者にお勧めする作品を挙げるとすれば、何になりますか?
Taku:僕はお勧めを聞かれた場合、まず「何のプラットフォームに入ってるの?」って聞くんですよ。Amazon Prime、Hulu、Netflix――何に入っているかで、見るべきものが違うので。
田中:そうですね。いきなりすべてとはいかないから。
Taku:あとは、その人の好み次第ですよね。『デスパレートな妻たち』や『セックス・アンド・ザ・シティ』が好きな人には、『SUITS』が面白いよ、と勧めます。色々な勧め方があると思いますね。僕は時間さえあればドラマを見ているんで。しかも、全部好きなんですよ(笑)。
田中:ええ(笑)
Taku:アニメだったら『リック・アンド・モーティ』とか。フィリップ・K・ディックが原作の『高い城の男』もいいですよね。あとは『ホームランド』。シーズン1は面白くないですけど。今の政治社会をちゃんと語っている作品で、好きなんです。あとは『ウェスト・ワールド』ですね。2年ぶりに復活しますけど、ここからどうなるのか。
田中:『ウェスト・ワールド』の原作小説や最初の映画作品は、機械化が進んでいく社会で人間が感じる恐怖を描いていましたけど、J・J・エイブラムスが手掛けたドラマ・シリーズだと、それが逆転しているじゃないですか。作られたAI側からの視点に重心が置かれているんですよね。
Taku:「AIに人権があるのか?」っていう話になっていますよね。要は『鉄腕アトム』の世界ですよ。それを認めるのかどうか。スティーブン・ホーキングスはAIに反対してるじゃないですか。「AIが人間を支配する」と言っている。『ウェスト・ワールド』で描かれている社会は、今後、起こりうるかもしれないんですよね。
田中:2045年にシンギュラリティ問題がありますけど、もしかすると、機械による人間の能力の拡張の先はディストピアかもしれない(笑)。
Taku:面白いのは、ディストピア的な世界観がアメリカで受けていることですよね。去年、アメリカでエミー賞を獲ったのが『ハンドメイズ・テイル』ですし。そこにアメリカ人はリアリティを感じているんだと思います。言ってみれば、『ゲーム・オブ・スローンズ』もディストピアじゃないですか。ディストピアの中でどうやっていい社会を作るのか、っていう話ですから。
田中:いろんな設定を使って、今の社会とこれからの社会を描こうとしてる。
Taku:そんな感じで、お勧めは幾らでもあるんですよ(笑)。だから、僕が言いたいのは、「最近、何か面白いものないかな、刺激が欲しいな」と思ってるんだったら、目の前にいっぱい刺激はあるよ、っていうことなんです。Netflixもあるし、Huluもある。「ひょっとしたらAmazon Primeの会員なってません? そしたら、『ゲーム・オブ・スローンズ』が全話無料で見れるんですよ」っていう。そういう時代ですよ。せっかく目の前に素晴らしい作品がたくさんあるんだから、見てもらえたら嬉しいな、っていうのが僕の気持ちですね。
田中:同感です。こんなに面白い時代ないですよ。
Taku:ないですよ、本当に。しかも、簡単に見られるし。
田中:楽しいし、考えさせられるし。その両方の快楽がある。
Taku:みんなにやって欲しいのは、友達連れてきて、「『ゲーム・オブ・スローンズ』、どこまで見た?」って聞いて、「シーズン3の8話まで」って言ったら、「じゃあ、9話を一緒に見よう」って言って隠していたビデオを取り出すとか(笑)。
田中:(笑)。
Taku:そういう楽しみ方をしたり。『ゲーム・オブ・スローンズ』のシーズン5の10話でしたっけ? びっくりするエピソードもいっぱいあるじゃないですか。それを見る日だけは友達をつれてきて、リアクションを楽しむとか。そういう遊びをして欲しいですね。
田中:まずは身近なところから始めてみますかね。
Taku:僕は、友達が『ゲーム・オブ・スローンズ』を見始めてくれたら、まずは一緒にシーズン3の9話を見たいです(笑)。
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