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360°映画『Pearl』― グーグルが開けたパンドラの箱は芸術を変革するか

IDEAS LAB
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コントリビューターSCQIC
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歴史の中で、映像メディアは技術の発達にともなって大きく変容してきた。映画は1895年にリュミエール兄弟が生み出して以降、半世紀以上にわたって、唯一の映像メディアとしてその覇権を握った。

1960年代以降にはテレビがそれを奪いとったものの、21世紀に入りテクノロジーの進歩とともに、その行方はまったくわからないものとなった。YouTubeを始めとする動画プラットフォーム、NetflixやHuluなどのサブスクリプションサービスなど、新たな映像メディアの形は次々と登場している。

そんな中でも、「360°映画」はまったく新しい映像体験を我々にもたらしてくれるかもしれない。360°の映像を使った映画はすでに多く作られており、『セッション』を生み出したサンダンス映画祭では、今年度30以上の360°映画が出品され、人気を博した。

これらは「VR作品」と呼ばれることもあるが、その多くがVRのFPSゲームなどとは違って、その世界に没入するための一人称視点ではないことが特徴だ。2016年に発表された「VR作品」の多くは、全方位を見回せる「360°ビデオ」(ゲームアナリストの平林久和さんはこれを、いわゆる「便乗VR」と定義した)。

さて、21世紀の巨人であるグーグルがこの360°映画をひっさげて映像業界に進出してきた。2016年5月、グーグルは開発者会議Google I/O 2016において360°映画プロジェクト「Spotlight Stories」の進捗を発表した。そのショートアニメーションが、『Pearl』だ。

Pearl あらすじ:ギター1本で流浪するミュージシャン父娘と、2人の愛車「Pearl」のロードムービー。途中、父はいなくなるが、娘はバンドのメンバーと共に旅を続ける。

映画、テレビ、YouTubeと、これまでに登場してきたあらゆる映像メディアは「カットを割る」こと、つまり、2次元の画を連続的につなぎ合わせることを大前提としていた。しかし、Spotlightチームが披露した、同時多発的にさまざまなストーリーを見ることができる経験はその前提を根本から覆すものだ。

かつて、『キル・ビル』などで知られるクエンティン・タランティーノ監督は、『パルプ・フィクション』において、時系列をバラして再構成して物語のスリルを増幅させ、世界中から大絶賛を受けた。例えば、映画の冒頭と最後にはレストランで2組(強盗たちと、ひと仕事終えたマフィア)がそれぞれのテーブルで食事をするシークエンスが出てくるのだが、これは強盗がレストランを襲撃するシーンを視点を変えて描いたものだ。

「Spotlight Stories」の360°動画技術が意味するものとは、このレストランのシークエンスについて、視聴者がこのレストランにいる客のひとりとして「出来事のウラで起きていること」を主体的に探すことが可能になるということだ。すなわち、制作する側にとっても、まったく新しいストーリー展開・演出・伏線張りが可能となる。映像メディアの可能性はぐんと開けるだろう。

『パルプ・フィクション』トレーラー(1994年)

映画は「映画館で多くの人間が一同に介して観るもの」から、「好きなときに映画館を訪れ、貸し出される端末を装着し、好きな視点で楽しむ」ものへ

360°動画が変えるのは、こうしたソフト面だけの変化にとどまらない。もしこれが覇権を握ることになれば、映画は「映画館で多くの人間が一同に介して観るもの」から、「好きなときに映画館を訪れ、貸し出される端末を装着し、好きな視点で楽しむ」ものへと変わるだろう。あるいは、4DXと組み合わせることによって、より作品世界へ没入することができるようになるかもしれない。

映画業界を根本から揺るがす360°動画は、まさしく「パンドラの箱」であり、Googleが無料で『Pearl』を公開したことは、まさしくその開封だったと言える。

このようなVR/360°動画の登場に対して、映画界からはさまざまな反応が寄せられている。ドイツの大監督、ヴェルナー・ヘルツォークは「VRはまったく新しい経験であり、我々はどのようなコンテンツを用意すべきかまだわからない」と当惑気味にニューヨーカーに語っており、スティーブン・スピルバーグは2016年のカンヌ国際映画祭において、「視聴者が『何を観るか』に始終するようになると、監督が伝えたいストーリーがないがしろになるかもしれない」とVRに対しての危惧をガーディアンに語った

とはいえ、3D映画(あるいは、4DX)がそうであったように、時代の趨勢とともにVR/360°映画はこれからますます伸張していくはずだ。そして3D映画における『アバター』のような、キャズムを超える作品が出たとき、映像業界は誰も予測がつかないようなものとなっていくだろう。